訪日客増「切り札」に暗雲?
京都市を訪れる外国人にとって長年、不満ナンバーワンといわれてきたのが、公衆無線LAN「WiFi(ワイファイ)」の環境がもの足りないこと。京都市は市の中心部に無料WiFiの整備を始めたのだが、この取り組みに思わぬところから「待った」がかかった。「犯罪に悪用されかねない」という京都府警だ。セキュリティーが弱いWiFiを通じて、サイバー攻撃や違法なダウンロード、麻薬取引に利用された場合、容疑者の特定が難しくなり、「追跡捜査はほぼ不可能な状態」となるからだという。京都市は、WiFi整備事業を観光客の〝不満解消〟の切り札と考えており、府警からの異例の注文にも当初、利便性を盾に推進の姿勢を見せていたが、徐々にトーンダウン。接続方法の見直しなどの対策を余儀なくされている。
簡略化で利用拡大
問題が指摘されているのは、京都市の無料WiFi接続サービス「KYOTO-WiFi」。平成24年8月から市バスのバス停などの公共施設で連続3時間使えるサービスを始めた。
開始当初は、指定のあて先に「空メール」を送り、返信される10桁のゲストコードを接続時に入力しなければならなかったが、認証の手続きが面倒-という利用者からの不満が続出。昨年12月からは接続時の認証方法を大幅に簡略化し、メールを送らなくても利用規約画面をワンタップするだけで使えるよう変更した。
さらに、電波を出しているWiFiスポットは、ホテルやコンビニなど市内1500カ所以上に整備し、利用時間も24時間に延長。昨年11月末まで月平均9千件にとどまっていた利用件数は、今年3月の1カ月間だけで約70倍の62万2千件と飛躍的に増えた。
米大手旅行雑誌「トラベル+レジャー」が発表した今年の世界の人気観光都市ランキングで、昨年に続いて2年連続で1位を獲得した京都市は、WiFi接続サービスの拡充でさらなる観光客増を図ろうと、利用エリアを拡大させていく方針だ。
観光庁の調査では、訪日外国人が旅行中最も困ったことのトップに挙げたのが「無料WiFi環境」(23・9%)だ。
WiFi環境がなければ、海外から持ち込んだスマートフォンやタブレット端末でインターネットを利用すると、日本の通信会社を経由することにより、高額な通信料が請求されるためだ。
新婚旅行で京都を訪れていた米・ラスベガスの航空エンジニア、ジム・キャロルさん(34)は滞在中、市のWiFiサービスを頻繁に利用。「便利だと思う」と話していた。
書き込み主の特定困難に
こうした状況に懸念を示すのは京都府警だ。
サイバー犯罪対策課は今年1月末に市のWiFi接続サービスの問題点を把握。2月以降、市に対し再三にわたってセキュリティーの向上や認証方式の見直しを求めてきた。
府警によると、市の接続サービスは、通信内容が暗号化されておらず、WiFi経由でネットバンキングなどを利用した場合、IDやパスワードが容易に抜き取られる恐れがあるのだ。利用者の個人情報につながる記録が全く残らない点も大きな問題だという。
従来の方式であれば、最初に送信して登録されたメールアドレスを手がかりに追跡捜査がある程度可能だった。だが、今の「KYOTO-WiFi」はメールの送信・登録作業が必要ない。このため、仮に「ドローンを使った爆破予告」がネット上の掲示板に書き込まれても、書き込みの主を特定することは難しい。
このほか、麻薬の密売や児童買春、企業を狙ったサイバー攻撃など、あらゆるネット犯罪の温床になる恐れもある。
市の対策に府警「まだまだ」
WiFiを通じた犯罪は各地で起きている。
例えば、個人情報などの登録認証が必要のない公民館の公衆無線LANを使って、犯人がインターネット動画共有サイトに児童ポルノを投稿したケースもあった。この場合、たまたま動画に写っている関係者と面識のある人物が動画を閲覧し警察に届け出たため、犯人を摘発できた。
また、アミューズメント施設の公衆無線LANを使い、被害者のブログに脅迫する内容の書き込みがされたケースでは、発信者情報が保存されていなかったことから、犯人を特定できなかった。
こうした事件を誘発するのではないか、という警察の心配に対し、京都市の姿勢は当初、かたくなだったという。「安全性は大事だが、利便性も損なえない」というのだ。
だが、府警からの再三の要請で、市も改善に乗り出すことになる。
今年5月には、市バスの停留所や地下鉄など防犯カメラが設置されていない公共施設計530カ所で接続時間を30分に短縮。運行のない深夜時間帯のバス停でのサービスを停止した。長時間の連続使用をさせないことで犯罪利用に対する抑止策としたのだ。
また、今月に入り、認証方式の見直しや、有害サイトへのアクセスを制限する「フィルタリング機能」の強化を柱とする改善策を発表。10月から新たなセキュリティー対策の運用を開始する。
市の発表によると、接続の際の認証方式について「SNSアカウント認証」「メールアドレス認証」の2種類を新たに導入。ツイッターなどのSNSのアカウント(ID、パスワード)を入力する手続きでWiFiが利用できるよう改善する。
こうした方策を導入することによって、規約に同意するだけの従来方式よりも、利用者を特定する機能が大幅に向上するという。
京都市の門川大作市長は「安全性と利便性を両立する対策がとれた。今後も府警と協議を重ね、できることから対策を進めていきたい」と話す。
ただ、こうした市の対策について、府警はまだまだ厳しい視線を向けている。府警の担当者は「万全とはいえない」というのだ。
「追跡性はある程度改善されたが、今後も対策の強化をお願いしていく」と話した。
急がれるルールづくり
年間の訪日外国人旅行者2000万人の達成を目指す国は、全国の自治体にWiFiの普及を促進。東京五輪が開催される2020年までに約2万9千カ所の設置目標を掲げている。
総務省によると、今年5月現在で、全国の約300市町が整備に取り組んでいる。だが、自治体ごとに利用方法や認証方式が異なるといい、今後の課題となる可能性がある。総務省などは現在、運用指針などのルール作りを進めている。
福岡市の場合、WiFi接続時に氏名やメールアドレスの入力が必要だが、民間が提供するスマホアプリを使えばワンタップでWiFiが利用できる仕組みを導入している。
神戸市は、訪日外国人にパスポートの提示などを求める民間企業との連携サービスを展開する一方、京都市と同様に使いやすさを重視し、規約に同意するだけで使える独自の接続サービスも昨年12月から始めた。
総務省の担当者は「自治体ごとに認証方式がばらばらなのは問題。国としてなんらかの統一した基準を示したい」と話した。
サイバー犯罪に詳しい立命館大情報理工学部の上原哲太郎教授(情報セキュリティー論)は「警察の捜査力を弱めている現状を改める必要がある」とした上で、「全国の自治体でセキュリティーに統一した基準がなく、税金を使ったサービスとしてはあまりにずさん。国家レベルでルールづくりを急ぐべきだ」と指摘している。
WiFiの利便性と犯罪抑止は両立させることはできるのだろうか。