『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

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包帯の中に凶器を隠しているかもしれない

2014年10月23日 19時24分57秒 | 塾の風景

今日は日本史の授業から始まる。生徒は晶帆(津東3年)と千晶(津高3年)の二人。

そういや岡山の平(浪人)から連絡、駿台模試を1冊やってはみたが、70点台ばかりでどうしても80点が越えないとのこと。別に今の段階ならいいんじゃないの・・・と気楽に受ける。ただ、駿台模試など模試にはそれぞれの色があり、センターとは微妙にずれている。模試で80点を取る必然性はないと思うが、処方箋にもならい。とりあえずは明日あたり「日本史・センター試験への道」を岡山へ送るつもりだ。それまでに再来週の国公立の英語を選定しなければならない。これも深夜の作業に組み込まれる。

日本史の授業の最中に大典(21期生・愛知大学法学部3年)から連絡・・・「先生、すいませんが迎えに来てくれませんか」 「分かった、日本史の授業が終わったら迎えに行ってやるよ」

そして結果・・・二人とも50点台である。

平、現役の今なんでこんなもんや。だからといってできない二人ではない。二人とも90点以上を狙う・・・それでも今は50点台。まあ、70点台に焦らずに着実に精進されたし。

 

大典は今日手術だった・・・右手の指を骨折した。まあ、骨折の理由は知っているが微笑ましい兄弟愛である。ともあれ今回学習をしたことは・・・弟はいつまでも小さかった時の弟ではないということ。

ともあれ三顧の礼・・・帰宅を急ぐ車にまぎれてピックアップ、そして凛々しい包帯姿?で塾に登場。

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ふいに剥がれ落ちる歴史やな

2014年10月23日 16時36分34秒 | Weblog

親父の親父・・・つまりは俺の祖父だが、あまり思い出はない。小学校や中学校の校長を歴任したと小さな時から聞いて育ったから居心地の悪さが先に立ったのだろう、なるべく近づかないようにしていた。亡くなったのも早かった、確か俺が中学の頃だ。・・・そんな忘れ去られていた祖父の話がふいに出てくる。実家で奥さんがつくってくれた昼食を親父と二人で・・・これまた尻の座りがよくない状況で、ふいに出た。

奥さんがつくってくれたのはサンマの開きだが・・・「これさ、ウチの生徒さんで紀伊長島から来てる生徒さんのお母さんから貰たんや」と俺。「紀伊長島か、そりゃ遠いな」 「まあ・・・でも高速もあるし今なら1時間やな」 「あの頃は・・・大変やったな」 「行ったことあるの」 「ああ・・・わしや川口の家族にとってはいわくつきの土地やったな」 「どういう意味や」 「・・・昔、親父が紀伊長島の海野というとこの学校の校長になってな・・・」

俺が知ってた祖父は地元の白山町の小中学校の校長を務めたということ・・・「じゃあ、戦前の話か」 「ああ、わしが松阪工業に入った年やからな。親父が紀伊長島から少し離れたところ、何度か会いに行ったが、省営バスの連絡が悪くて歩いた・・・1時間はかかったな。海野という学校やった。沖に敵の潜水艦が出たとかで大騒ぎになったこともあったらしい」 「じゃあ、おじいちゃんは紀伊長島に住んでたんか」 「ああ、学校の近くに教員住宅があってな」 「単身赴任?」 「最初の頃は、でもしばらくするとお袋も紀伊長島へ行ってしまってな」 「じゃあ、親父は行かんかったんか」 「工業に入ったばかりやった。川口の家にはわしと役場に勤め始めた姉とわしのすぐ下の妹の三人だけで暮らした。時節柄、食料を絶やすなとの指令があって、土地をほっておくわけにはいかなかった。それでわしが工業に通いながら畑仕事をしたな・・・」

紀伊長島から少し南に海野という土地がある・・・ここのことだろう。近くに古里海岸があり、奥さんとはそこにある温泉に入ったことがある。『秀』というお店でいつも昼食を食べる・・・優人(松阪理数2年)と直人(鈴鹿高専5年)のお母さんに教えてもらったお店だ。

「あの頃は紀伊長島までが長かった。やっと紀伊長島の駅に着いても省営バス・・・省営バス? ああ、その当時は今の国鉄は鉄道省といってな、そこが経営していたバスや」 今は国鉄ではないがスルー。「バスの時刻が合わないと歩いた・・・遠かったな。トンネルを通って海に出た。確か紀伊長島、あれは湾のなかやったと思うが、・・・海野はそれこそ海が目の前にあったな。だから騒ぎがあった・・・アメリカの潜水艦が浮かんできたというんやな」 ・・・同じ話が始まった。

白山の田舎に残された三人の子供たちがたまに鉄道を乗り継いで紀伊長島まで行く。親父とお袋に会うためだ。当時、工業に入った年齢は今の中学1年・・・13歳かそこらで畑仕事をし、工業に通い、そして・・・たぶん姉と妹を率先して鉄道に乗る。名松線から松阪へ、そして多気から紀勢線・・・やっとたどり着いたひなびた港街。バスの時刻表を眺め、仕方なく妹の手を握り姉と歩き出す。赤羽川にかかる橋を渡り、海岸沿いに歩いたのだろう。季節はいつだったのだろうか、夏の暑い盛りか、風にふるえる冬だったのか・・・親父はいつしか眠ったようだ。

 

親父が通ったトンネルは今の長島トンネルであるはずがなく、以前のもっと頼りないトンネルだったか、あるいは海野トンネルのほうなのか・・・ともあれ、今度長島に行くときには少し違う気分で運転するはずだ。

午前中を実家で過ごすことで俺の時間はさらにタイトになった。仕事はすべて夜中に収斂していく。体調が今いちなのもそのあたりにも原因がありはず・・・しかし、悪いことばかりではない。

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2014-10-23 11:17:57

2014年10月23日 11時17分57秒 | Weblog
英単語の大海原やな。ひたすらに字校正が続く。 
高2に言うとくよ、俺の間違いを指摘してくれたら飯奢るよ。
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そろそろセコンドアウトか

2014年10月23日 03時09分47秒 | 塾の風景

明日は燃えるゴミの日だ・・・教室をまわり、最近陸人んところから貰った大きな大きなゴミ袋にゴミを入れていく。今日はそれほど多くない、袋は二つですみそうだ。外の雨は止んだようだ、ありがたい。

明日から鳥取にと目論んでいたが・・・やはり無理だった。この状況ではなかなか動きづらい、英単語のプリントで押し切ると決めた。大げさではなく、高2にとり今が来年の趨勢を決定する。今も英単語のプリントを打ち込んだ間隙をついてこれを打ち込んでいる。

 

高2の英単語に対するプレスがどうやら高1にも影響を及ぼしたかのか・・・樹(津高1年)が英語の発音を聞きにきた。TOEICで700点以上を叩いている姉ちゃんに聞くのはプライドが許さないのかもしれない。

少しずつ風景は変わる・・・それがいい方向であるならばありがたい。たぶん、俺の仕事は揺さぶること、生徒たちの心の奥底に火種を撒いてまわることだ。しかし意図しなかった方向から風向きが変わるとなると逆に俺の心が揺さぶられるわけで・・・風向きがいい方向なら幸いだ。

何年も前の話だ・・・アキちゃん(13期生)とともに早稲田を目指した。アキちゃんは久居高校だった。「オマエが早稲田に受かれば花咲じいさんやな。オマエが撒いた種は必ず生きる」 そう言った俺のセリフはアキちゃんが合格した翌年にも後輩が早稲田に合格することで成就する。そして早稲田からの指定校推薦が久居高校に舞い降りる・・・たった一人でも状況は変えられるのだ。

 

中3がやたら騒がしくなる。仕方なく社会の試験・・・こんなこともあるかと思い、育伸社10月の試験をコピーしておいた。3年前の試験だ。俺は中1を真ん中の部屋で教えている。奥さんに頼む。すると甚チャン(6期生相当・県職員)が音頭を取って始めてくれた・・・ありがたい。

一斉の試験となると静寂・・・昔は試験でも話し声が聞こえた。それなりに進歩だ。玄太(24期生・三重大学医学部2年)の授業が終わったようだ。これから新しい英単語のプリントの解説・・・主に発音、あるいは語源。この静けさがもってくれればいいが・・・。

30分ほどの授業が終わって戻ると・・・騒がしい。前で甚チャンが相似の説明をしてくれている。どうやら享楽追求型の騒ぎ方ではなく、俺がさっき作った手書きの問題に対する質問に甚チャンが対応、その問題の解き方のやり取りらしい・・・これまた例年になくやかましいわけだが。

 

ひたすらに英単語のプリントを打った。それでもやっと3枚だ。全速力ゆえにミスも多いはず。明日、午前中に実家で字校正になる。

明日は鈴木のセンセとアキラの親父がシュウちゃんとこに襲撃をかける。シュウちゃんとこにはいつだって俺もいたのにね・・・ちょっとつらい。いつの間にか、こんなに不自由になったんだろう。

・・・考えても仕方がない、あと1枚だ。

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