お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
やっと打ち終えた・・・2枚続けてのターゲット1900の1301~1500の3枚目と4枚目。・・・ということで、少しだけご褒美。
食べずに寝たらいいんやけどな・・・誘惑に抗いきれなかった。
昨日は朝からお袋の預金通帳の解約に必要な書類を市役所に請求・・・俺と親父の印鑑やら免許やら印鑑証明ね。そして頂いた二人の印鑑登録と戸籍謄本。お袋の通帳といっても、ほとんどは娘たちの小遣いに消えたはず。しかし、些少とはいえどお袋の通帳。本籍地の名古屋市まで必要な書類の請求にいろんな書類も送った。舞台裏は大変だったのだ。そんなプロセスを経て入れた俺の戸籍謄本だが、・・・さぞかし逡巡しての俺の出生届を出したのかと思いきや、出産ののち3日して提出・・・おかしいよな。
俺の名前は康二だ。長男・・・ちなみに一人っ子だが康二・・・つまり、一ではなく二だ。これがずっと不思議だった。・・・不安だった、そして怖かったのだ。
俺が小学校5年の最後まで育ったのは一志町の波瀬だ。なぜ、長男なのに「二」なのか・・・もしかしたら兄がいたんだろうか、そんな疑念がとめどもなく膨らみ、ついに川合高岡までバスに乗り、役所まで俺の戸籍謄本を見にいった。
当然、今回と同じように戸籍謄本を閲覧するにはそれなりの書類がいる。しかし、あの頃は牧歌的な時代だ。俺を知っている役所の人がいたようで、俺の話を聞くと何も持ってなかったのにもかかわらず戸籍謄本を見せてくれた。
見せられた戸籍謄本・・・それには兄はいなかった・・・じゃあ、なぜ俺は「一」ではなく「二」なのだ・・・。
そんな俺の疑問は、めったに訪れなかった親父の実家・・・川口の青木謙順のお寺の近くの旧家を訪れたときにふいに知ることになる。親族の叔母さんから、ひょんな時に言われたのだ。
「アンタの親父さんも、真面目に見えてちょっと変わってる。アンタが生まれた時にアンタの名前を長男やのに康二・・・あれって、知ってる・・・家の表札に、お父さんの『健一』、そしてアンタの『康二』、それが並べば『健康一二(いちに)』やって・・・それを言われたときに、笑っていいのかどうか悩んだわ」
確かに実家の表札は俺が結婚して別居するまで俺と親父の表札が掲げてあった。横に読めば「健康一二」・・・いいかげんなものだ。
ちなみに俺が娘たちの名前を塾の名前から「れい」と「めい」と付けた時に、「塾の名前を付けて、娘たちはどう思うかな」と俺に言った。
今にして思う・・・アンタに言われたくはない。
もう寝ます。明日の授業は国公立の試運転として岡山大学の問題を1問。できれば早く来て、格闘してくれたらありがたい。
明日からの高校生の英語の授業だがあまり気分が乗らない。あれだけ真剣に話したが反応した生徒が少ない。理を尽くしても心には届かない。
ともあれ今夜の高校生の部屋ね。
江崎(三重大学医学部5年)と山崎(24期生・三重大学医学部2年)、ほぼマンツーマン体制である。そして本棚の手前・・・
これまた玄太(24期生・三重大学医学部2年)が高2を教えている。医学部の3人が一つの空間で教えている。受験生として、これ以上の環境はないと思われる。ほんの数年前まで医学部の講師は週に2日だけ、みなが質問を用意して待っていた。その当時の高校生の成績・・・理系教科では今より遥かにいいのだ。環境が良すぎると生徒は堕落するのかもしれない。
中学生のほうも惨憺たるもの・・・とある中2がプリントの読み方が分からないのを試験の最中の中3に聞く。聞く中2も中2だが、聞かれた中3もそれに応えて教えている。中2の頬をはたく。講師のあい(23期生・三重大学教育学部3年)か俺に聞けばすむ話。聞かれた生徒も津高の崖っぷち、その自覚がない。揃いも揃ってバカだ・・・嫌んなる。
今しがた去年の全県模試を終えた有紀が帰った・・・5教科合計189点。
人也は165点・・・由生(津高1年)を凌いだ。しかし、あくまで途中経過・・・まだ小田原中継所を出て箱根の山に差しかかったあたりだ。先は長い。喜んでいるひまはない。ただ、いろいろなことがあり髪の毛を切る羽目にはなったが少なくとも夏から努力は報われつつあることは事実。
中1に順次、真ん中の部屋で授業。同じ内容を4回繰り返す。状態変化と蒸留あたりだ。今回は9教科、さらにほとんどの中学では1年間で平均点が一番落ちる試験だ。早くコンパクトにまとめなければならない。理科を終えた中1から数学・・・こっちも予習の比例と反比例。
今夜のサポートはあい(23期生・三重大学教育学部3年)だ。珍しくスーツ姿・・・松菱でインターンシップ。
中1がやった理科の範囲は中3の正答率が最も落ちるエリアでもある。ついでにさせてみる。中1の最も少ないミスは6・・・中3も彩花にしてミス6。これが最高、アカンがな。そしてほとんどの中3が壊滅的な出来・・・すかさずに復習である。
洋佑が成績表を持参。きちんと提出するのは洋佑だけなんやね・・・今回は、今回も国語で大ブレーキ。結局は学年順位は15位で終了。今回の中間は洋佑のすきに勉強させてみた。そろそろ指示を出す時期かもしれない。
耕治(10期生)から書き込み・・・「上越SAKE祭」か「謙信SAKE祭」か、どちらにせよ最終入場者数は過去最高、11万人を上回ったとか。北陸最大の祭りになりつつあることは事実だ。そんな祭に日本酒がそれほど好きでない俺が毎年行くわけだが・・・。
帰りは小布施に寄った。俺の提案・・・昔に行ったことがある。これまた就職して1年目の耕治に会いにいったのだ。その時の違和感・・・一面リンゴ畑ばかりのところに突如湧き上がるように観光地降臨・・・てな感じ。
恐ろしいほどの人出だったが、それでも外国人観光客の姿はない・・・まだまだ観光地として定着していないようだ。しかし、『SAKE祭』とも相まって、凄い人出だった。
まあ、小布施は葛飾北斎が晩年に住んでいたとか。俺の興味はそっちの方だったが奥さんは栗・・・生産高ではそれほどではないが、良質の栗だとかで「栗おこわが食べれる」なんぞと叫んでいる。・・・仕方がない。
『栗庵風味堂』・・・ここで食事ができると密偵の森下(8期生・和光大学講師)が報告。しかし、メニューは栗おこわだけ。
栗おこわ・・・一生食べやんやろな。その意味ではいい思い出か。
写真には里恵(7期生・長い名前の病院勤務)がおらんけどな・・・初公開。事後承諾でゴメンやな。明日の国語の授業には俺はどこかで隠れていようか。
これは宮田屋旅館、二日目の朝。朝食後に別行動ですわ。その里恵もちゃんと名張の酔っ払いに土産を買おとる・・・今まで幸少ない人生を送ってきたんやろな。仕方なく俺も買わなアカンがな。
ついでに・・・宮田屋旅館での夕食のスナップ。
そろそろ『上越SAKE祭』のネタも尽きてきたかな。
人也がやって来た。今日は実力試験・・・突如、昨日発表があったと言うがホンマかいな。ともあれ、試験勉強に追われて昨日実施の去年の全県模試ができなかった。誰もいない教室で今から始まる。
残った2教科は英語と国語。最近上がってきた英語でそこそこ行けば去年の由生(津高1年)の160点越えも十分ありうる。
ここ数年来、家で飯を食うことは激変した。それとは逆にお袋の葬式以降、実家で朝食や昼食を食べることが続いている。まあ、奥さんの手料理のレパートリーがこんなに広かったのかと結婚25年を過ぎてから気付いたわけで・・・。今日はモーニングを作ってもらった。
これを食いながらターゲット1900の601~800のバージョン3の字校正が続く。
信利(津高2年)がほぼ毎日試験を受けにくることに加えて昨夜、麻友子(三重特進3年)が諮問試験をしに来た。どこと指定したわけではないが駿台模試とターゲットの601~800までの2枚半・・・中途半端な枚数だった。
まだまだだ・・・信利もだが麻友子もだ。なめらかに出てこない。やりこんでない・・・時間は正直だ。たとえば俺のプリントにはある種の決め事がある。たとえば company だと、順に「会社:「仲間」「同席」と並ぶ。effect なら「影響」「結果」「効果」だ。これは何のプリントをつくるにしても同じだ。すると俺の試験を頻繁に受けるなかで、諮問に対する答えはいつしかこの順番になる。逆にいえば俺のプリントに対するリトマス試験紙でもある。大学に合格した面々で英語の得意な連中はこの順番で覚えている・・・何度もやりこんだからだ。
その意味では麻友子も信利もこの順番が定まっていない。まだやりこなした時間が浅いのだ。
しかし・・・参戦したからには俺もまたベストを尽くす。なるべく効率のいいプリント、同義表現や対義表現、良く似た単語のチョイスなどに工夫を凝らして作る。今日は午前6時には起きて601~800のバージョン3を作った。そして今、バージョン4に入っている。
岡山でのスカイプ授業に使用する大学が決まった・・・内緒だ。基本に忠実、なおかつ英単語の何度もそれほど高くはない。明日にでも問題3部を送る。到着は明後日・・・なにせ郵便ポストのない塾だ。誰かいてくれるとありがたい。