いつ来ても、いいところだと思う。
と言いつつ、帰国後は初・・かあ・・・
縁があって
ギャラリーコンサート "respice finem"(ラテン語で、未知のものを見よ)
出演:福島諭(コンピュータ) 、濱地潤一(アルトサックス)
目を瞑っている方もいましたが、
全くemotionalとかspiritualではなく、純粋にconceptualなんだあ・・・
という感じ。
福島さんはたびたびお名前は拝見していましたが
とにかく、アプローチとしては、真逆だなあ・・
例えば「曲」というものがあったとして
ある音から次の音までに未出の無限の音がある。そうです、その通りです。
で、たぶん、その未出の無限の音・可能性を出現させる作業、だったんかな、と思うけど
それって論理矛盾、じゃない???
出現したら、未出の無限はなくなっちゃわない??
(音楽とか、演劇とか、時間軸があるものは・・空間も、かなああ??埋まっちゃう?し・・)
ある「曲」でいい。次の音との間に無限の未出の可能性があって、尚、次の音が
その無限の可能性から奇跡のように限定的に(自由に恣意的にじゃなくて)現れる。
そうありたいなあ。
ただ漫然と音が連なる・・っていうのは、次の音がもう最初っから
なんでか知らないけど(たぶん、楽譜に書いてあるから?)100%決まってる、ような、の、です、私から見たら。
でもね、同じ「曲」でも、
その都度次の音が、無限の可能性から、今ここで選び取られる(ことで、選び取られた音と、選び取られなかった未出の可能性の全て?(は無理か、無限?だし。でも可能かな、未出なんだから)が感知できる(かもしれない)・・・・・楽譜があったとしても、というか、あるからこそ。
そういう演奏、舞台がいいなあ。