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皆様は、ティンティン(日本語ではタンタン)とスノーウィ(英語・実際はMilouミロウ)をご存知だろうか。そう、ベルギーのコミックでGeorges Prosper Remiジョルジュ・プロスペル・レミの作品である。彼は姓名のイニシャルGRを逆に使ってRGとし、フランス語読みでHergéエルジェとして、それをペンネームにした。日本でも過去「タンタンの冒険旅行」など数冊が出版されているし、アニメ放映もされたと聞く。2007年のスピルバーグ監督によってデジタル3Dアニメーション映画を封切ったことでも知られているかもしれない。
エルジェの画風は比較的シンプルだが、色が綺麗で、私は特に白いワイヤー・フォックス・テリアのスノーウィが大好きだ。数年前に、次男はスェーデンからアメリカへ来る時、コペンハーゲン空港の土産店で、このスノーウィの小さなキーホルダーを見つけ、私に買って来てくれた。息子よ、よく覚えていてくれた、と大喜びした私はかなり単純である。1929年の創作からすでに100年近いが、このコミックはいまだに人気があり、夫はアリゾナで学校図書館のティンティン物の本で育った、と言うほどである。スピルバーグが映画化したのは、案外彼も夫のように、幼い日々エルジェのコミックで育ったからなのかもしれない。
作者のエルジェの1936年の作品「青い蓮」で、勇敢な少年記者ティンティンがスノーウィと共に中国に旅行し、そこで彼らは日本のスパイネットワークを解体し、アヘン密輸リングを破裂させると言う、日本人としては、微妙な時代背景の物語の是非はともかくとして、注目すべきは、その表紙の絵である。表紙画は、黒い背景に囲まれた大きな花瓶に隠れて、頭上に迫る巨大な浮かぶ赤いドラゴンをのぞき込むティンティンとスノーウィーが、インク、ガッシュ(顔料を使用する不透明絵具)、水彩で精巧なデザインが描かれている。
壮大なドラゴンに直面しているティンティンは、不安な表情をして、今にも襲いかかる可能性のある危険を示唆している。実際の表紙は、このオリジナル絵にある意味不明な漢字らしき文字は使われてはいない。それは当時オリジナル作品を本の表紙として使用するには、あまりにも高価過ぎで大量生産向きではないとされ、結局エルジェの妥協案で漢字らしき文字を削り、色を交換し、ドラゴンの陰影を変え、簡素化した絵が使用された。
Photo: Artcurial
エルジェの青い蓮(1936)のオリジナルのカバーデザインは、顔料をアラビアガムの水溶液で練ったガッシュ(不透明な水彩絵具)と水彩絵具の絵画で、何年もの間引き出しの中に折りたたまれていて、その折り線は今でも見えている。
オリジナル作品は、編集者の7歳の息子であるジャンポール・キャスターマンに贈られた。作品は折りたたまれて引き出しに入れられ、1981年まで残っていたと言う。そしてこれまで民間市場に出回ったことがないため、非常にまれな作品となった。その後キャスターマンの子供たちは、今年1月14日に「青い蓮」のオリジナル表紙絵をオークションに出した。当初200万ユーロから300万ユーロの売り上げが見込まれていたが、熱狂的な入札が開始されるや否や、その値は200万ユーロを超えた挙句に3,175,400ユーロ(約384万米ドル)で落とされた。この絵が、世界で最も高価なコミックアートとなったのは言うまでもないが、エルジェのティンティンの冒険シリーズのもう一つの絵も、265万ユーロでアメリカのコレクターに販売され、2014年に最も高価なコミックアートの記録を打ち立てている。
「青い蓮」は、ブリュッセルに住んでいた中国の彫刻家兼芸術学生の崇仁(チョンジェン=チャンチョンレン)と友好のあったエルジェが彼に聞いた話を基にしている。崇仁は中国での日本の軍事行動を批判していたが、エルジェはそれをそのまま受け止めて「青い蓮」を制作したのだ。作品中で、中国人に関するヨーロッパの誤解を風刺し、中国での日本の軍事行動を批判しているわけである。しかしながら、エルジェの中国に対する「理解」は、友人としての崇仁からの聞き伝えに憤慨しただけで、実際には彼の意識は、数十年後に問題視された。
1983年にエルジェが亡くなってから数十年間、彼の漫画のフランチャイズは、アジア・アフリカに対する植民地主義者の態度を描写したことで批判に晒された。よく引用される例の1つは、アフリカの人々を幼稚で怠惰な似顔絵として描いた1931年コミックのベルギー領コンゴのティンティンのエピソードにある。ご存知のように、ベルギー領コンゴでのゴムのプランテイションでの原住民の取り扱いは、酷く、規定量の働きや生産をなさなかった者は時に手首から手を切り落とすような処置もあった。
ヨーロッパ植民者は、アフリカ大陸の一部の搾取と植民地化を(白人の義務として)正当化し、彼の絵のように人種差別的な特徴をしばしば採用していたのだ。ここで面白いと思うのは、日本のアジア植民地化を批判しつつも、自国を含む欧米諸国の植民地政策には、便乗していたことである。つまり、白人欧米人の政策は許せるが、アジアの日本が同じ政策を持ってはいけない、と言う二枚舌のようことだ。
こうした矛盾は、当時様々な形で様々な著名人が不思議とも思わずにやり過ごしていたわけである。ジャングルブックのキプリングは、「白人の負担」(The White Man's Burden)と言う詩を米国とフィリピン諸島での紛争において詠んだ。英国のペア石鹸会社は、堂々とそれを石鹸の宣伝に使用し、絵本作家のドクター・スースなどもその範疇に入っていた。ただ注目すべきはアメリカのマーク・トウエインは、そうではなかったことだ。アフリカを暗黒大陸とし、原住民は皆野蛮で無知だから、白人が「面倒をみてやらねばならぬ」と言う根拠のないことを押し進めた欧米に、「野蛮なのは、欧米白人なのではないか」と異論を唱えた一人だった。
そうした背景があっても、アートとして私はエルジェの作品は好きである。昨今BLMを応援したり、差別を排除する努力を多分に要請する社会だが、奴隷制度や植民地主義が大手を振っていた時代も歴史にはあるのだ。だからと言って、その時代の産物を撤廃したり、無視したりすることは、それまた問題だと思う。それが人間の進歩過程の一部であるからだ。歴史から学ぶとは、都合の悪い過去をことごとく捨て去ることではない。
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さて、私事だが、先週火曜日の午後SPCA(動物虐待防止協会)から二頭目のサイベリアン・ハスキーを引き取った。去年12月に一頭を引き取ったが、一頭だけでは寂しかろうと二頭目を探していたのだ。どちらも茶色と白の雌、年齢は1歳少しと見立てられ、両方とも非常に人懐こく、新入りは特に家へ連れて来てから、その青い瞳で私をじっと見つめては、カウチに座る私の膝に前足を置き、微笑むような表情で手を舐め続ける。
下の写真で、「恥の円錐=襟](Cone of Shame)をしているのは、避妊手術を終えてから引き取った新入り。この二頭は、1歳なのに、すでに経産犬である。おそらくパピーファームでパピーを「収穫」するために使用され、使い捨ての如く、それでも保護されることを期待して、SPCAのある道沿いに放たれたと思われる。二頭とも市役所で鑑札を得て、マイクロチップも入れてあり、来月からは、躾をはじめとする訓練をする予定だ。
SPCAは殺処分のない、全て寄付で賄う動物保護施設で、爬虫類、牛馬を含む家畜類、鶏、アヒル、齧歯類などを犬猫と共に保護し、引き取る時には、避妊手術、マイクロチップ、数種の予防接種、ノミ・ダニ駆除、寄生虫管理をし、獣医師がその動物の性格を把握してから、希望者はそれらの費用を支払って引き取れる。
保護犬や保護猫の多くは、雑種であるが、引き取ったこの二頭のように、純粋種も多い。多頭飼育の崩壊や、パピーファームから流れてくる動物も多い。雑種であるか、純粋種であるかは、私にはどうでもいいが、犬種による性格や飼育方針を探るためには、犬種調べのDNAテストが60ドル代から200ドルを超える額であり、サンプル採取は人間のように、口内を綿棒でこすり、それを検査期間に送ると判明する。
私の素人判断と経験から、この二頭は、その比較的小柄な体躯、耳の形状、性格、そして碧眼から、アラスカンではなく、サイベリアン(シベリアン)ハスキーと見る。この犬たちを、初見からもう私は気に入り、初対面では10秒で引き取ることを決意した。ハスキーは、決して扱いの容易い犬ではないが、独特の人懐こさがあり、また手から食べ物を食べる時、決して噛み付くような食べ方をしない。そのくっきりとした表情も、その性格も私は好きである。この二頭は究極は家の中で飼うから、その抜け毛の始末も覚悟している。そのために動物のいる家庭用の最も強い掃除機も入手した。全くもってとんだシニア・プロジェクトである。
左がマヤ、右が新入りBoo(ブー)、双子の姉妹かもしれない。この二頭間でアルファは、新入りと即決した。
参照:
- Smithonian Magazine, January 15, 2021
- Wikipedia