ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

第二波、第三波にも負けない

2020-11-17 | わたしの好きなもの

同じ種類で仲がいいのは当たり前、を示す犬たち

 

 

 

人種を超えて親友になったり、親切にしたりするのは、人間だけではなく、動物の世界にもあり得ることで、現代SNSのおかげでそうした動物たちの様子が頻繁に目につくようになった。今まで話に聞くだけだったのに、最近はそれを写真や動画で実際に知ることができる。第二波、第三波と言われるCovid-19のしつこいアタックに、Covid疲れなる言葉も生まれ、皆それを実感するだろう今、こうした動物たちの優しさを目にすると微笑みも浮かび、心が和む。今日ご紹介するのはそのほんの数例。疲れた心を少しでもお安めあれ。

 

自己推薦で、この警官の同僚になった。

 

ミニチュアホース(ミニ馬)の子供は信頼を寄せる人の足元でも安心できる

 

全面的にこの人に信頼と愛情を寄せている。

 

この日このシェパードは、自宅の庭を脱出し、飼い主の隣人がこの写真を送ってくれた。隣人のプールで涼む賢い犬。

 

スコットランドからのハイランド牛は、この親友と一緒にくつろぐのが一番好き。

 

長靴を履いた猫がいたくらいだから、ブレーメンの音楽隊のようにロバの上の猫も正しいチョイス。

 

頼り頼られる関係の最たるもの

 

日光浴を楽しむ2人のうち、羽を日干ししているカササギの子供は、隣の4本足に命を助けられて以来、何をするにもこの親友のそばを離れない。

 

棚の上のワンちゃんはともかく、フェレットと仔猫は親友。仔猫はフェレットを親とさえ思っている。

 

こういう構図でも、この2人は大の仲良し。

 

「私の小さなともだちにアロー(英語ではアロエのエは発音しないのでハローにかけている)といってください」とアロエが。その隣はアロエの「小さなともだち」。

植物も頑張っている。

 

 

 

 

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こんな時だから

2020-03-13 | わたしの好きなもの

Livin3

強くあれ、物事はよくなるから。今は暴風雨だが、雨は永遠に降り続けはしない。

 

 

 

 

あるモールの入り口には黒板が設置してあり、頻繁にきちんと書かれた肯定的で感動的でさえある引用文が書かれていて、それを読む人に平和と喜びの気持ちをもたらしてくれる。 

 

世界は、今、特に混沌として、目に見えない恐ろしい細菌に脅かされ、重いものを心に抱えて、人々はほとんど何も考えずに人生を急ごうとしている。

 

だから、なんと素晴らしいことかと私は思うのだ、誰かが自分の一日からちょっとした時間をかけて本当に素敵な地に根をはった考えを書き示してくれて、それを通りがかりに読む私の心を高めてくれるなんて。

 

世界には、まだ生きる意義と希望を見つけられ、他の人とそれを共有するのに十分な注意を払っている人々がいる。

 

暗闇がないと星は輝けない

 

 

そして、長男一家からの今朝のテキスト・メッセージ:

When you can't find the sunshine,

Be the sunshine.

太陽の光が見つからないとき、

あなたが陽光となって。

 

ありがとう、息子一家。

これは私のオフィスにあるホワイトボードの落書き:除菌剤やトイレットペイパー売り切れ・在庫なしの毎日に対して。

Lysolライソルは除菌スプレイで、その一缶を$150で売りますので、詳細はエドガー(同僚)まで。

ミシン目とミシン目の間の一枚分のTP(Toilette Paper=トイレットペイパー)$2でお売りします。

こんな時だからこそ、笑わなければ。

 

そしてこの歌を。Dream a Little Dream of Me, 1968年のMama Cass Elliotで。

Source: LyricFind
Songwriters: Fabian Andre / Gus Kahn / Wilbur Schwandt
Dream a Little Dream of Me lyrics © Warner Chappell Music, Inc, T.R.O. Inc.

 

 

Stars shining bright above you
Night breezes seem to whisper "I love you"
Birds singing in the sycamore tree
Dream a little dream of me
Say "Night-ie night" and kiss me
Just hold me tight and tell me you'll miss me
While I'm alone and blue as can be
Dream a little dream of me
Stars fading but I linger on, dear
Still craving your kiss
I'm longing to linger till dawn, dear
Just saying this
Sweet dreams till sunbeams find you
Sweet dreams that leave all worries behind you
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me

夜空らの星があなたにさざめき
夜風が「愛している」とささやき
スズカケの木で鳥はさえずる
ちょっとでも私の夢を見て
「おやすみなさい」と言ってキスして
私を抱きしめて、愛しいと言って
一人ぼっちで限りなく憂鬱な私
ちょっとでも私の夢を見て、あなた
星の輝きは消えていき、それでも私はここにまだ居るの
キスをまだ望む私は夜明けまで起きているの、あなた
ただこれだけを言うの
朝日があなたを見つけるまで素敵な夢を見て頂戴
患い事をすべて忘れさせる素敵な夢を
でもあなたの夢の中の誰であれ、
ちょっとでも私の夢を見て

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嵐の晩に駆け抜ける

2020-02-22 | わたしの好きなもの

A Child's Garden of Verses by Robert L. Stevenson

子供の詩の園』は、英国スコットランド出身の作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンが1885年に出版した子供向け詩集。

 

 

 

せんだってのER訪問以来、ごく少量のいわゆるBeta Blocker (βアドレナリン受容体遮断薬、血圧を安定させて動悸を抑える)をしばらくの間処方されて服用しているが、その粒を半分にして摂取しても、宇宙遊泳感はあり、週末は特になにもせずゆっくりしている。週末は家事の総大会で、週一回の掃除・洗濯、買い物の土曜日だが、夫が、掃除も買い物も食事作りもすべてやるので、私はせいぜい洗濯専門。洗濯と言っても川で洗濯物を叩きながらするわけではなく、全自動洗濯機のお次は乾燥機に入れて、終われば畳む、それだけである。職場には週日詰める元気はあるが、夫は私がまだ土曜日の朝寝ているうちに、床の拭き掃除まで完了し、朝ご飯を用意している。夫が買い物に出かけている間、私は本棚から一冊のちいさな詩集を取り出し、懐かしさで一頁一頁めくって読んだ。

 

それは高校生の時、英語教師が、紹介してくれた、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの A Child's Garden of Verses 『子供の詩の園』である。どの詩編も素晴らしく、子供の心情を細かく掬って書かれていて、高校生でも原書と言えども難なく読め通せた。すべての詩に心は寄せられたが、その中で特に好きなのは、Windy Night(嵐の夜、風の強く吹く晩)であろうか。

 

幼い頃母は風の音が大嫌いで、特に夜風が強い時は、窓を開けて、「かぜ、あっちへ行って!」となんども叫んだそうだ。するとある日隣家の婦人がやってきて、祖母に「うちのカズエがなにかご迷惑おかけ致しましたでしょうか?」と聞いた。心当たりのない祖母は、「いいえ、決してそのようなことは。」と言いかけて、ふと娘(私の母)が、窓を開けては風に、あっちへ行けと言うのを思い出し、思わず笑ってしまったと言うのだ。風がカズエに聞こえてしまったのだろう。誤解は解け、婦人は笑顔でお帰りになったそうだ。この詩を読むと、そんな幼かった日の母を思う。そしてそんな母の血を引く娘も、風の強い晩も昼も好きではないが、さすがに窓を開けて叫びはしない。

 

Windy Nights                 風の強く吹く晩  

By Robert Louis Stevenson                                                                        
 
Whenever the moon and stars are set,                 月や星が姿を隠してしまい
  Whenever the wind is high,                     風が激しく吹く晩はいつでも
All night long in the dark and wet,                   暗く湿った中を
  A man goes riding by.                        一人の男が馬に乗り
Late in the night when the fires are out,              一晩中駆け抜けてゆく
Why does he gallop and gallop about?                 暖炉の火も消え夜も更けているのに
                                  どうして彼は駆けに駆けていくのだろう?
Whenever the trees are crying aloud,   
  And ships are tossed at sea,                     木々が泣き叫び
By, on the highway, low and loud,                    船が荒波にもまれるときはいつでも
  By at the gallop goes he.                     低く、大きな音で街道をあの男は駆け抜けていく
By at the gallop he goes, and then                   そして引き返してきてまた駆けぬけていく。
By he comes back at the gallop again. 

 

そしてマウンテインウェストの州の大学へ行ったとき、彼の”Bed In Summer"の詩の意味を体感したものだ。それは、冬は暗くてまだ夜なのに蝋燭の明かりの元で寝間着を着替え、夏にはまだ「昼間」なのに眠らなければならず、陽のまだ高い窓の外のさえずる小鳥や道を行く人々の足音さえ聞こえる「昼間」なのに、眠らなければならないなんて、というような内容の詩である。北米西部では夏は午後10時近くにやっと日が沈み、反面冬の朝7時はまだまっくらな闇の中である。真冬の朝7時のクラスへ遅れまいとシャワーをして洗髪したばかりなのに、きちんとドライヤーをあてず、トーストを片手に急いで家を出たりした若かった私。そんな時、この詩が口をついたものだ。

In winter I get up at night
And dress by yellow candle-light.
In summer quite the other way,
I have to go to bed by day.

I have to go to bed and see
The birds still hopping on the tree,
Or hear the grown-up people’s feet
Still going past me in the street.

And does it not seem hard to you,
When all the sky is clear and blue,
And I should like so much to play,
To have to go to bed by day?

 

子供たちが幼かった頃、幼稚園からして、すでに詩の暗唱は課題にあり、どの子供も楽しんで暗唱していた。それならば、と、この詩集を教えると、スルスルと音がするように覚えていった。暗唱することで韻を踏むことを習っていった。そういえば、三年前の12月長女の長男、つまり孫#1は、当時三歳で、スーパームーンを見たいと言い出し、私はこの子を毛布にくるんで抱いて夜空を見上げた。その時、突然さらりとFive Little Pumpkins(五つのパンプキン)という詩をこの子供は暗唱したのだ。一言も間違わずに。

 

その夜私は娘に二冊あったスティーヴンソンの詩集の一冊をあげた。「きっと孫#1も読むのを喜ぶと思うわ。」と。その孫#1も今はTK(4歳児から始める幼稚園;合衆国では通常5歳から)へ通い、学校を楽しんでいる。帰宅すれば、5か月になる弟(孫#8)とよく遊んでいる。

 

 

ドイツの孫#3も三歳になり、八か月の弟(孫#6)にいろいろな歌を英語やスエーデン語で教えている。その合間にママを手伝ってパンやクッキーを作っている。この二人が暗唱するだろう詩は何語だろうか。

 

 

 

そして同じ三歳の孫娘(孫#4)も、今月からモンテソリーのプリスクールへ。学校の名前と担任の先生などの描かれた黒板を持たされて登校初日の孫は本当に嬉しそうで、一人っ子の彼女はとにかくプリスクールで、あるいは日曜学校の託児で、一緒に遊べる子供たちに会えるのを楽しみにしている。とても未熟児として誕生したとは思えない健康を恵まれ、すくすくと育っているのは実にありがたいことである。そのうちにきっと両親を前に、覚えた詩を暗唱すること間違いなし。五つのパンプキンどころか、七つのスイセンでも詠むのではないだろうか。

 

 

そして七か月になる孫#7は、ママが子供の歌を歌うと、熱心にその口元を見つめ、一緒に歌いたがる。この写真は土曜日にラ・ホヤ海岸へ「ママ友」仲よし数人の親子で遊びに行ったとき。パパ譲りでサンフランシスコ・ジャイアンツファン候補である。いつかSF ジャイアンツのファイト・ソングでも歌うのだろう。

 

 

 

【後記】

今回は孫#2と孫#5兄妹は、風邪療養中である。その兄は、洗濯する時、必ず着ていたシャツやズボンのポケットをあらためないと、バッタや蜘蛛や小さなカエルが生息している模様なので、この子は将来ファーブルになるのかもしれない。その妹は、ディズニーのお姫様コスチュームで泥遊びをするツワモノで、おそらくこのお姫様も野球ならばKCローヤルズのファイト・ソングを高らかに歌うことだろう。そして自分がWindy Nightの馬で駆け抜ける人になるだろう。

 

 

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夜長に暖炉の傍で

2019-11-14 | わたしの好きなもの

 

 

   

 

アマゾンのキンドルで多くの書籍を読むが、例えばDavid Hackett Fischerデイヴィッド・ハケット・フィッシャーのノン・フィクション、Albion's Seeds(アルビオンの種)は、ペイパーバックでも972頁あり、頻繁に使用するにはやはり電子書籍が便利だ。この本は、アメリカ合衆国へ移住した英国の異なる地域からの移民をその習俗によって四つのグループに分けて詳細に説明しているもので、系図研究をする者(つまり私)にとっては一読の価値が大いにある。特に日本よりも欧米、英連邦国の系図を主にするので、大変に役立つ。けれども、この重い本をブリーフケースにアップル・エアのコンピューターと言えども、一緒に持ち歩くのは、一苦労である。右手(あるいは左手)の長さをどうしようもなく伸ばしたい向きにはいいかもしれないが、重い鞄持ちは私は好まない。よって私はキンドルで読む。

 

だからと言って紙の本を一切読まないわけではない。聖書などの聖典は、紙の頁に思うことなどを小さく記したり、色鉛筆で気に入った聖句を印したり、それを人生で何回も繰り返すことで聖典そのものに私の歴史が刻まれていくのが好きだ。その他の本でも紙で読みたいものはたくさんある。料理本や手芸本は、実用的であると同時に寒い冬の日の午後、暖炉のそばのお気に入りの椅子にくるまってぱらぱらと頁をめくる楽しみを提供してくれる。


その他に秋の夜長にじっくり一頁一頁じっくり見たい本がある。J. Jefferson Farjeon(J. ジェファソン・ファージャン)のMystery in Whiteをココア片手に読むも楽しいが、実は読みたいのは図鑑である。かなり大きく重い本になりがちな図鑑でも、電子書籍を覗くよりも、ずっとわくわくするものだ。

 

私の母は、愛読書の一つが百科事典で、暇があると、虫メガネを片手に丁寧に読んでいて、しょっちゅうクイズ番組に出ては、日頃得た百科事典知識を試していたものだ。類は類を呼ぶのか、父も国語辞典や故事成語事典などをよく読んでいた。その二人の娘の私も百科事典は好きだ。


うちには1960年代発行の古い古いWorld Book百科事典全集が書棚にある。夫の両親が揃えた、今では骨董品で、百科事典の類は新しい物でなければそう役立たないが、それでもほぼ60年も前の百科事典で当時の風俗や考え方や政治や人々の動向、いまではない国の存在などが知れるから、それはそれで楽しい。


事典・辞典・フィールドガイドの類で私がもっと好きなのは、図鑑である。動植物は勿論、鉱物や宇宙や科学に関するものも大好きである。膝の上にずっしりと重い図鑑を置いて初めて、なんだか心のゆとりさえ感じる。

 

最近私が手にするのは、よく合衆国の地方裁判所地下に所蔵されている土地登記本ほど巨大ではないが、通常より大きな図鑑で、三年前のクリスマスに夫から贈られたものだ。題してGEM、宝石、宝玉の図鑑。私は宝石蒐集家ではない(お金が足らない)が、その美しさには目を見張るし、楽しまさせてくれる。三年前に貰っていながら、まだ読み通していないのは、多忙な時に気もそぞろに読むものではないからで、きれいな物を目にしたい時、時間を作って見たい図鑑である。頁数は500足らずでも、一頁には多くの情報が書かれていて、写真も美しい。もともと私は鉱物が好きで、この図鑑はそうした鉱物についても触れている。

 

 

  

 

昨秋孫を含めた長女一家と、うちから一時間ほどの山間にある小さな鉱物博物館を訪問した。そこには、小さいながらもFluorite (蛍石)のコレクションがあり、ディスプレイの仕方も面白く、4歳の孫でも十分に楽しめた。その蛍石の数々は、カリフォルニア州で産出されたものや、ネヴァダやアリゾナのものもある。蛍石とは簡単に言えば、ブラックライト(わずかに眼で見える長波長の紫外線(波長 315-400 nm、UVA、Ultraviolet A)を使う懐中電灯で照らすと発光する鉱石である。その色は赤、ピンク、オレンジ、ブルー、緑、黄色といろいろあり、暗い所で光るので、孫息子は、とても気にいった。


sidcuplapminsoc.org.uk

紫外線電灯の下で光る蛍石


蛍石以外に、閃長岩(せんちょうがん、syeniteサイアナイト)と似ている成分を持つ深成岩で、ここ2,3年にミシガン州で発見されたヨーパライトという石も、紫外線懐中電灯で照らすと、細かな金色の粒状の光を発する。この石をいくつか入手していた私は、ひとつづつ小さなブラックライト懐中電灯をつけて、孫息子二人、姪の息子などにあげた。鉱物・鉱石は知らないと非常に危険な成分を含むことがよくあるが、ヨーパライトは投げつけない限り安全である。


  

左はブラックライト懐中電灯で照らす前、右は照らしたヨーパライト。下は採取現場での撮影された石。

Credit: Erik Rintamaki



 

野鳥や動物図鑑も楽しく、昨今はほぼ孫と共に見る図鑑である。風の強いある日、庭の藤棚の下にあるテーブルに見慣れぬ小鳥よりは大きな鳥が鎮座していたことがあって、その姿をまずは携帯電話のカメラで撮り、図鑑で調べた。その特徴から、Cooper's Hawk(クーパーハイタカ)という中型の鷹であった。風が強い日は鷹だって、やっていられないわよね、と窓ガラス越しに話かける私をよそに、クーパーさんは、さっと再び空へと飛んで行った。


つまり図鑑は大人の絵本とも言えようか。


クーバーハイタカ:お達者で! 

 

 

 

 

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秋雲に想う

2019-10-27 | わたしの好きなもの

 自宅からすぐ近くにあるいつも歩くトレイルで。ここには大きな空がある。

 

 

 

 

スコットランド人に長い間愛されるスコットランドの国民的詩人Robert Burnsロバート・バーンズは、先回書いたようにスコットランドの非公式国家とも呼ばれる邦題にして「蛍の光」(Auld Lang Syneの歌詞を書いた。彼はその他にも日本人に耳慣れたスコットランド民謡に歌詞を付けた。その中で日本でも親しまれているのが、「故郷の空」のメロディを使った歌だが、敬虔なプレスビタリアン(長老派教会会員)であった父親の息子とは思えないほど、バーンズはこの曲にあからさまな、露骨ともいえる歌詞をつけて俗謡とし、それはとても人前で、家族で、そして子供に歌える歌詞ではない。私としては日本の大和田健樹氏作詞の「故郷の空」をはるかに好む。


夕空はれて 秋風吹き

月影落ちて 鈴虫鳴く

思えば遠し 故郷の空

ああ わが父母 いかにおわす


澄みゆく水に 秋萩垂れ

玉なす露は 芒(すすき)に満つ

思えば似たり 故郷の野辺

ああ わが兄弟 たれと遊ぶ


高く澄んだ秋空を見上げると、夕暮れでも夜でもなくとも、こうした感情は湧いてくる。父母はすでに亡いが、遠く過ぎ去った昔をなつかしく思い出す。毎週トレイルに足を運び4,5マイル歩くとき、あるいは週日に思いがけなく空が大きいキャンパスを歩くとき、特に秋はそうした思いが忍び寄るものだ。そんなキャンパスの秋の日に写した空の写真をご覧あれ。


Cumulus cloud(積雲)のうろこ雲/羊雲はオフィスの窓からの小さい空一面に。 

 

 

   Mammatus Clouds(乳房雲)は、キャンパスを歩いていてふと見上げた空に。異様さ満載。


 Altocumulus lenticularis cloud 巻雲的なレンズ雲はキャンパスにて。

 

 

 

 

 love様へ:思いがけないお知らせで本当に驚きました。さぞお力落としのことかと思います。慰める言葉も見つかりませんが、心よりお悔やみ申し上げます。この秋の空に貴女様とご家族への思いを託します。



 

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