ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

クリスマスを見つける

2019-11-16 | アメリカ事情

(courtesy Everett Collection)

It's a Wonderful Lifeから。


 

 

 

 

「おかあさん、今年のクリスマスに家に行けそうにないので電話したんですよ。」


ショックが私の心を麻痺させた!これで、家族となって35年で初めて子供たちの来ないクリスマスとなるとは。娘が妊娠し、12月29日に出産予定なので、彼女の夫と一緒に家で静かな一日を過ごす予定になっていた。そして今、息子は、あちら側の海岸地方から電話をかけてきて、航空会社での最近の彼の昇進が、忙しいホリデーシーズン中の自由時間を許可しないだろうと言ってきた。


我が家では、クリスマスは重要だった。クリスマスのために生きてきたようなものだ。私は一年中ギフトを買ってきたし、ベーキングは、感謝祭の後に、パイ、クッキー、パンなどを焼き始め、クッキーや果物をチョコレートに浸す手作業で終わったものだった。クリスマスイブに、ビュッフェ・スタイルでの食事をし、贈り物のひとつだけをそれぞれ開けることでお祝いを始めたものだった。クリスマスの朝、残りのプレゼントを開けて家族みなで朝食を食べた。その日遅くに、七面鳥の食事をして再び祝い、ボードゲームに興じて誰それがズルをしただの、たくさん笑い合ったものだ。


その週の終わりに、私の夫、ボブ、と私は、木、装飾、クッキー、パイ、七面鳥、ビュッフェ、そして贈り物の選択肢について陰鬱気に話し合った。私たちは、最初の子供が生まれてから初めて今年、休日の準備という業務(クリスマスツリーやら飾り付けやら)を諦めて外食をした。


ボブは突然老いたように見えた。時折ため息をついて、それから宙を見すえた。数週間が経つにつれて、私はいつもの休日の精神に欠けていることに気づいた。落ち込んで、親愛なる誰かを失ったように感じた。結局のところ、クリスマスは家族がいなければクリスマスではないと言われているのだ。雑誌は家族の集まりの言葉で私たちを窒息させる。テレビ番組は、愛する人々と共に過ごす休日の喜びを描いている。しかし、今年は誰もいない。誰も。私たちはクリスマスを失ったのだ!


12月初めのある日、娘が電話をしてきた。 「だからママ、何をしているの? 冷凍庫いっぱいに御馳走がもう入っているの?」


悲し気に、私は彼女に私たちの計画を話した。


「私たちが生まれる前、お母さんとお父さんはクリスマスに何をしたの?」と彼女は尋ねた。


その時だった、私が昔のことを思い浮かべたのは。結婚したばかりで、お金はなく、それぞれの家族から2000マイル離れて住んでいたのだった。突如私はわくわくした! 何故子供なしだから、楽しい一日を過ごせないというのか? それに子供たちに電話で話せるではないか。キャンディとクッキーを作り、家庭の味として子供たちに郵送できるのだ。このホリデーシーズンは、私たちよりも子供たちにとってもっと寂しいかもしれないと私は思った。クローゼットのクッキー用の空き缶を探し回っている時、私の利己的な考えは消え失せた。


ボブはクリスマスの飾り電球を引っ張りだし、それを家の輪郭に沿って取付けながら、口笛を吹いていた。すぐにシナモンとナツメグの香りが家の空気を満たした。そして庭から松の枝を取り、それでクレシュ(Nativityとも言うが、キリスト生誕時の馬小屋の様子を模したもの)を囲んだ。


Crèche あるいは Nativity 


クリスマスイブがやってきて、ボブと私は自宅の食卓をビュッフェスタイルにして、そこから食事をした。それぞれギフトを1つづつ開け、暖炉の火の前に座って、ビング・クロスビーのクリスマスアルバムを聴いた。


真夜中のミサで、若い司祭は赤いポインセチアと松の枝に飾られて輝いている祭壇の前に立ち、述べた彼の言葉が心に触れた。

「御使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。』」(ルカ書第二章十節)


クリスマスの朝、私たちはプレゼントを開けて七面鳥を準備した。夕暮れ時には、ふたり手をつないで芝生の上を歩き、星が輝き始めるのを見て、平和が私たちを取り囲むのを感じた。色とりどりのクリスマス電球が周辺を明るくし、モミの木にそよぐ風がかすかに音をたてていた。近所の暖炉からの煙が、家族団らんの安堵を感じさせるように空気を包んだ。


結局、私たちはクリスマスを失なわなかった。それはいつもそこにあり、その静かな聖夜に私たちを待っている。


Chocolate for a Woman's Courageー77 Stories That Honor Your Strength and WisdomKay Allenbaugh、Simon &Schuster, New York, 2003にあるロイス・エリジー・プールさんの話。

 

 

********


お時間がおありなら、ジミー・スチュワート主演の短編Mr. Kruger's Christmas(25分52秒)をご覧あれ。






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4 コメント

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本当のクリスマス (遅生)
2019-11-16 06:30:46
はじめてコメントします。
これが本当のクリスマスなんですね。
心もからだも暖かくなってくるのが感じられます。
日本の場合は、どこまでも借りもの。寒いままです。今年は、少しでも本物に近づけるようにしたいと思います。
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私のクリスマス (笑ばあちゃん)
2019-11-18 23:41:07
我が家でクリスマスを楽しんだのは遠い昔のこと、
でもね、
ここ数年は娘や息子たちに、私たち夫婦のお友達のためにパンを焼いています。
クリスマスのパン、シュトレンはドイツの風習のようですが、
何かの機会をとらえ、家族やお友達と繋がっていることが私にとっての幸せ。
今年も新しいお友達が増えたことが幸せです。

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コメントをありがとうございました。 (ままちゃん)
2019-11-19 00:48:33
遅生様、

クリスマスはどなたかに親切になさるだけでも、十分クリスマスです。きんぴかな飾りや大げさなパーティや御馳走やプレゼントは決して必要なことではありません。教会に行っても行かなくとも、人を思いやる心を忘れずに実行すれば、それで十分にクリスマスだと私は思います。
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コメントをありがとうございました。 (ままちゃん)
2019-11-19 00:56:37
笑ばあちゃん様、

すでにそれぞれのご家庭をお持ちになったお子様方に、そしてご友人にパンをお焼きになるお気持ちは、十分にクリスマス精神を表しています。他の人を思いやる気持ちというのは、尊く、そこにはいつでもクリスマスがあります。シュトレインやパンをいただく身には、笑ばあちゃん様のお心がしっかり感じられることでしょう。
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