ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

些事

2019-11-18 | 考え方

 photocredit: www.dzbreaking.com

 

 

 

 

数年前、ある男性がラジオでインタビューされていました。彼は、カリフォルニアからニューヨークまで徒歩で米国横断を始めました。彼は道半分のポイントに達していました。


多くの記者は徒歩横断の経過について彼に尋ねました。たくさんの質問の最後は、こんなものでした。「これまでで一番難儀だったのは何だったのでしょうか?」


この徒歩旅行者は長く考えていました。骨の折れる登山をした山々、熱風の砂漠地帯、照り付ける太陽、そして風が心のうちに浮かんできました。


その上で、彼は静かに言いました、「私の最大のたいへんだったことは砂が私の靴の中に入り続けることだったと思います」。彼の靴の中の砂。直面した大きな危機ではなかったのです。彼の命をほとんど奪うような危険だったことでもありません。しかし、砂だと言うのです。足の裏の水ぶくれにかぶさってくる砂。彼の皮膚をしょっちゅう砂はざらざらと刺激し、すべてのステップが彼を苦しめました。靴の中に入り込んだ砂。


人生はそれに似ています。 押しつぶそうとするのは常に人生の大きな危機ではありません。 最も深い悲しみや大きな失望だとは限らないのです。 大抵の場合、それは小さなもの、つまりそれ自体は取るに足らないのに、それが与える絶え間ない刺激や苛立ちです。 私たちは人生の大きなことに立ち向かえるのです。


しかし、些事なことがしばしば私たちを挫折させるのです。よく言われるように、それは次々と続くものです。 ささいなことには、私たちの内なる力の蓄えをすり減らすことがあるからです。 それは私たちの個人的な生活でも同じです。 神経を張り巡らせるのは、一滴の水だけではありません。 人々を怒らせるのは、継続的な滴下だからです。


—ハーレイ・M・ローゼンバーガー


ハーレイ・M・ローゼンバーガーは、アメリカ合衆国の宗教家。


トレイルを4マイル歩くだけでも、道の小さな砂利が靴に侵入してきて、足の心地がよくなくなる。立ち止まって靴を脱ぎ、砂利を振るい落して、また歩き始める。そうか、人生はそうなんだ、そういうものなんだ。砂利が気になるならば、少し立ち止まって払ってみることなんだ。どうせ又入り込んでくるとは分かっていても、砂利を払う努力は怠るまい。と、青く澄んだ空に浮く刷毛で履いてような白い雲を見上げて、よし、と人生のトレイルを行く。






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2 コメント

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おはようございます。 (miyan)
2019-11-19 23:24:29
今日は記事を読んでつくづく身に染みてくるものがあります。
そうだ....ちょっと立ち止まって
そして綺麗な空を見上げて
心新たにと思いました。
悩みが多い我が家ですが....
ゆっくり歩こうと思いました。

いつもありがとうございます。
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コメントをありがとうございました。 (ままちゃん)
2019-11-20 04:15:43
そういう砂利は、悲しみ、怒り、痛み、失望だったりしますが、それらを靴の中から払うと、いままで気もつかなかった展望が開けたり、新しい希望が湧いてきたりするものだと思います。無視するのではなく、あくまでも払って靴を履きなおし、また歩き始めればいいのだと思うのです。払う、とはつまり人知を尽くしてその改善や処方や対処を考えて実行してみることでしょうか。曖昧としていますが。怒りを翌日まで持ち越さない、というようなことも重要でしょう。

わんちゃんの姿に心が休まります。可愛い!

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