私の働く大学へ、脅迫電話が掛かってきた。幸い,非常に愚かな犯人は、キャンパス警察によって逮捕されて事態は終結。学校だから隔離されていて然るべきだろうに、ここは公立大学で、学生、教授陣、スタッフ以外の人々も図書館などの施設を利用する。日本のように、キャンパスは塀で囲まれてもいない。通りがかりが怖ろしい悪意を抱いて、ふいに入り込んでも不思議はない。そして精神異常者によって、警察沙汰になったことは、しばしばあった。
コロンバイン高校や、ヴァージニア工科大学の悲劇が、ここで、いつ起きてもおかしくないのが、現状である。アメリカのどこにでも起こりうる。幼い子供を犠牲にしたサンディフック小学校のような惨事さえ、まれではない。学校や職場での銃乱射事件は、遠く遡る1927年頃から顕著になってきた。最近はテロリストのターゲットとして、人々が集る場所はどこでも狙われている。
大学はキャンパス警察の安全に関するトレイニングを奨励し、私もクラスを取った。オフィスでは手にすっぽり入る携帯アラームや、すぐにキャンパス警察につながるボタンを配った。クラスで、短いフィルムや統計に、まず圧倒された。たった19秒で一人のガンマンが校舎になだれこんでから、10人は射殺できると言う。その最初の19秒で一体私に何ができるのだろうか。オフィスのドアを施錠し、バリケードを築き、消灯し、ドアや窓から離れた場所に静かにこもり、携帯電話で警察に連絡する。それをたった19秒でできるのか?
廊下を歩いていて有事にまきこまれたら、とにかく走って逃げる。まっすぐに走らず、ジグザグに走る。肝心なのは、生きる努力を怠らない、と警察は言った。殆ど無理に近い身を守る提案をたくさんした後で、キャンパス警察は言った。携帯警報機やアラームは実際効果はあまりないし、19秒で警察が出動するのは、無理ですよ。
このクラスの後で、女性職員の何人かは、正式に銃所持許可証を得て、きちんとした射撃訓練を受け、小型の拳銃を始終所持することにした。合衆国憲法第二条の行使である。自分で自分の身を守る、究極のサヴァイヴァル。やられる前にやってしまう。ガンマンを先に倒せば、多くの人の命が救われる、と。そんな国に、そんな時代に生きている。
与謝野晶子は、弟が旅順口包囲軍として出征した時、歌を詠んだ。 君死にたまふことなかれ。
親は貴方を殺人者にするために、育てたのではない、という反戦歌である。この弟は無事日露戦争から帰還したが、この歌の切羽詰った感情は誰の胸をも打つ。人は誰も殺人者になるために生まれてきたのではないが、よこしまなことをたくらみ、実行する人がいるのは、紛れもない事実で現実である。
決して武器はとらないと高潔に生きることは、立派な平和主義であるが、合法的に武器を取れば、己の命と他人の命をも救うこともある。この二者選択、貴方はどうしますか。
後記:
十七日に起こったスペインのテロ事件に、又かと憤りを覚えたが、こう言う事態に、知人や友人や親戚が巻き込まれることがある。世界はそれだけ小さくなっている。ベルギーでのテロ事件では、危うく三男の義弟が、巻き込まれそうになった。そして移転したフランスでも空港爆破事件が起こった。911では、あのツインタワーの一つにファイナンシャルプラナーとして、働いていて、巻き込まれたのは、かかりつけの医師の妹であった。彼女はいまだに行方不明のままである。その医師は、すぐさまニューヨークへ行き、何日もかけて、妹を探したが、おそらくタワーと共に、灰になってしまったのだと言う。こうした犠牲者は、私や私の家族の思いと祈りに含まれた。
このような小さい人々の安全は。。。