諺に、It takes a village to raise a childと言うのがある。一人の子供を育てるのに、村が作れるほどの人々の手がかかっている、という意味である。それは親が最初から人々の助けによりかかるのではない。一人の人間の成長過程に、いかに様々な人々が関わっているか、ということである。産科医師や助産婦に助けられて子は生まれ、あるいは病・産院に間に合わなくてタクシーの運転手さんが助けてくれたかもしれない。
小児科医や、日本なら保健師さんが、育児への助言や健康管理をし、保育園や幼稚園に通えば、保母さんや先生が、そして小学校以後は教師、コーチなどが、育児の一環として手をかす。塾へ行けば講師や先生がいる。先輩、というのも大切である。給食のおばさんや用務員さんや保健室の先生も然り。近所のお祖父さんが将棋の手ほどきをしてくれることもあるだろう。そうやって考えていくと、驚くほど多くの人々のお手をお借りしているとわかる。
こうしたことに加えて、私の子供達は日曜日は日曜学校、高校生になっては早朝セミナリー(聖典勉強)、ボーイスカウトには三人の息子が参加し、イーグルスカウトまで行ったが、その間数多くのメリットバッジカウンセラー(私も3,4のメリットバッジカウンセラーをしている=楽しい)とスカウトリーダーのお手を煩わせたことだ。娘たちも同様の活動で多くの人々にお世話になった。息子たちが宣教師だった時、その地の人々には、教会員であるかないかに関わらず、たいへんお世話になった。そういう人々がどれだけ子供達の成長過程で時間を費やし、貢献してくださったか、感謝の念は際限ない。選ぶ進路に影響も与えてくださったリーダーも少なからず。
最初の子供と、二番目の子供が生まれた時は、実母や義理の母が手伝ってくれたが、その後はすべて夫と二人で仕切った。それでも教会の人々や隣人が食事の差し入れをしてくれたり、洗濯・掃除まで申し出てくれた。全てではないが、そのいくつかは、そのまま快くお受けした。助けられた。
一人の子供が誕生する時からずっと、どれほど”村”に助けられてきたことか。感謝に絶えない。成功したトマト栽培の収穫に似て、数限りない。”人”という漢字の如く、人はお互いに支えあっている。一人ではないというのをこの漢字は示している。
ひとりぼっちじゃない小さい人