夫の両親の書斎にあった美しい手描きの、おそらくローヤル・ババリアン(Royal Bavarian)の絵皿。白い大きな薔薇の花だったと記憶するが、とても古く、おそらく夫の両親が婚約・結婚した頃の物だったに違いない。未亡人だった義理の母が亡くなった時、義理の姉は、大方の物をPoke & Peek(古道具屋、ガラクタ屋、の類の店)へたくさん持って行ってしまい、あのお皿は勿論その中に入れられていたのだろう。 たいして価値のある物ではないし、断捨離上手な義理の姉は躊躇しない。
これによく似た絵皿だった。 これは、eBayから。
私が心惹かれたのは、この絵皿の後ろに、”I love you to the moon and back." (あなたを心底愛しています)と手書きされていたことだった。 最初に見た時、ここに夫の両親のお互いへの愛情を感じて、思わず微笑んだ。 夫の両親は、夫と私同様、大学で知り合った。その時父親は大学院を卒業し、数理を同じ大学で教えていて、その学生の一人が、夫の母親だったのである。
1941年12月7日その大学町の映画館でデート中、突如緊急ニュースが入り、真珠湾が日本軍によって攻撃されたのを知ったそうで、二人はそれぞれの下宿へ戻り、結婚をすぐさますることになった。即時に合衆国海軍に召集された彼は、オフィサーとして訓練を受けるため、ニューハンプシャー州ポーツマスに送られる寸前の1942年1月17日結婚した。
二人は、ウィスコンシン州のベースに少しの間住み、やがて彼は単身アラスカのアリューシャン列島を守る海軍基地に赴任した。実際に戦闘を日本軍と交えるのではない任務で、教育担当将校として配属された。 この時彼の部隊にいた若い水兵の一人が、後に偶然アリゾナのビジネス会議で夫に出会い、あなたはXXXの息子さんですか、と尋ねたことがある。話を聞くと、彼は従軍中、夫の父親に薫陶を受け、教育の大切さを説かれ、励まされ、戦争が終わってすぐに、大学へ進むことにしたとのこと、「あなたのお父さんには本当に感謝しています」、と言ったそうである。
離れ離れになる前に、ほんの少しの間サンフランシスコで落ち合えた二人は、楽しい時間を過ごしたのだと、いつだったか義理の母が笑顔で話してくれたことがあった。あの頃は、戦争中なのに、サンフランシスコの街角には、花の屋台がたくさんあって、夫は妻に白いクチナシの花束を買って、帽子や襟もとにさしてくれたそうだ。「だから、私はくちなしがその時から大好きなのよ。」と幸せそうに語った。なるほど、義理の母の好きだった香水は、White Shoulderで、それはクチナシの香りである。義理の両親は45年間仲睦まじく、暮らした。
そんな二人を思いしのべたのが、その絵皿だった。でも絵皿は、本当はもう必要がないのかもしれない。何故なら、二人はもうすでに月へ行って戻って来るのにも耐える愛を育み、今は再会を喜び、子供達や孫達を見守っているだろうから。 12月7日の真珠湾攻撃の記念日を前に、そんなことを考えた。
いつも拝見しています。
そして素敵なお話をありがとうございます
今日のお話は、心がほっとして自然に微笑みが浮んできました、そんな、お話を、まるで小説の様に拝読しました
これからも楽しみにしてます
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