今朝は、「よいこらしょ」と自分に掛け声をかけなければならない物憂さを抱えて起床した。今日もどうせ昨日と同じで、明日だって今日と同じに決まっている、とばかりの物憂さ。ウイルス禍にある人々の「あるある症状」だと思うが、ああ、でもそれはあとで考えれば、なんと良きことだったかと、と思うかもしれない、過去は大抵今よりいいに決まっているのかのように。
そんな風に起きて、一日を始めると、電話が鳴って、知人から訃報。知人の93歳の父親が老人ホスピスでちょっと前に亡くなったと言う。そうだ、今日は昨日と同じでなんかではない。昨日、足腰が痛む、と訴えていた老人が今日逝ってしまったではないか。明日は今日とまた一つ違うのだ。
コンピューターを開いて途端に目に入ったのは、今日の教訓(のような)センテンスである。よく机の周りに「克己」だのという言葉を貼る中学二年生のように、私は賢人の短かな教訓めいた銘言を聖典を読むかのように、読む。それが思わぬ励ましになったりすることもある。
さて、何を読んだのか、と言うと“Go as far as you can see and you will see further.” —Zig Ziglar 「あなたが見られる限りまで行き、さらにもっと見るといい。」 -ジグ・ジグラー
わかるような、わからないような言葉。禅問答の趣さえある。確かにやれるところまでやり、その上またやれば1日を無駄に過ごすことがない。このジグ・ジグラー(と日本語に直すも、本当は、ズイグ・ズイグラーの表記が英語に近い)と言う人は誰なのか。日本では無名であろうか。
Zig Ziglarズイグ・ズイグラーは、有名な作家、自助啓蒙的スピーカー(自力でやる気を起こさせるスピーカー)、そして元はウエアエヴァと言う調理器会社のセールスマンでもあった。彼は1926年12人中の10番目の子供として、アラバマ州に生まれ、2012年その86歳の生涯をテキサス州で閉じた。彼がたったの5歳の時、父親が脳卒中で亡くなり、その二日後には妹が亡くなり、世界恐慌が起こって間もない頃で、彼の母親がどれほど苦労したかは誰にでも想像はつく。ズイグは、成長して、2年ほど大学に在籍したが、退学し、ウエアエヴァ調理機器会社に職を得た。そこで彼は昇進し、やがて自助啓蒙をするスピーチを書くようになった。
ウェアエヴァ会社は、いかにセールスをする人々に良い印象・イメージを持たせるかを社員教育の一環として、各地でセミナーを開き、そうした際にはズイグのスピーチが好感を持たれ、やがて彼はセールス養成・教育のスピーチ専門として活躍し始めた。その後彼自身の会社を設立、また出版された著書も30を数えた。しかしながら、彼の最初の著書 See You at the Top は、1975年に初出版されるまで、実に39回も出版社から拒否された。今年は初発行から45年になるが、未だ発行され続けている。(日本でもアマゾンで入手できるが、和訳はされていない。)
ズイグ・ズイグラーは、こうして自助・啓蒙スピーカーの第一人者となったが、ビジネス界のみならず、それ以外の分野でも、誰にでも通用する考え方である。柔らかい南部訛りのままに、基本、自分の持てるものを自分のみならず他者と分かち合って、互いに伸びていこうと言うものである。優越感を育むことなく、劣等感からの嫌味や否定を持たず、に、と言うのが彼の趣旨である。人間として生きていくうえでの指針を持たせてくれるのだ。
ズイグ・ズイグラーは、銀の匙を咥えて生まれたわけでもなく、むしろ未熟児で生まれ、6歳になるかならないで父親を亡くしているし、大学もきちんと終えたわけではなく、その成功は、才能によることもあるだろうが、それ以上に自力で、道を切り開いてきた成果だ。このような人の一言や、そのスピーチは、本当に心にまっすぐにやってくる。そして心に残る。
ポッドキャストでも彼の本などについてを話す番組があり、私のライブラリーに入れている。YouTubeでも、彼自身の声での話も聴ける。もし興味がおありならば、お薦めする。
それでは、今日は昨日と違う日、見られる限りまで行って、さらに見ることにしよう。
「人は言う、モチベイションは長続きしないと。さて、入浴もそうですー
だから毎日するよう薦められているのです。」
ジグ・ジグラーさん 紹介してくださってありがとうごあいます
早速検索しました。
経験から生み出した言葉は
的を得ていますね
双子ちゃん、本当に整ったお顔立ちで拝見するたびに、可愛らしく思います。そして育つのが早いですね、孫というのは。明日は大学生か?などとよく5歳の孫息子をからかったりします。
関係ないのですが、マダム洋子さま、と書いて、思い出しました。Madam C. J. WalkerマダムC.J.ウオーカーという婦人のことです。Netflixで、そのドラマをやっていますし、Wikiでお調べになられます。彼女のそのドラマを観たのですが、立派な方だと思いました。両親は奴隷でしたが、彼女が生まれるのは南北戦争が終わり奴隷解放の2年後でした。大変に苦労をしましたが、黒人向けの黒人の髪質に合った美容用品を作り、起業をしてかなりの凄腕ビジネスパーソンになったのです。ドラマをご覧になったら、わかると思うのですが、人間どんな場合にも諦めないことが肝心なのだ、と思いました。勇気付けられます。
素敵です
ありがとう
ママちゃんから、世界が近づいてくる
嬉しいです
ありがとう