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何故FDR(フランクリン・デレノ・ルーズベルト大統領)の顔がアメリカのダイム(10セント硬貨)にあるのかご存知だろうか。由来はポリオ(小児麻痺)と多くの人々に愛されたあるコメディアンに遡る。
1921 年、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は 39 歳でポリオに感染した。この病気にかかって以来、彼は二度と自力で歩くことができなかった。
FDR Presidential Library & Museum: photograph by Margaret Suckly
車いすに乗ったルーズベルトの珍しい写真(1941):
ニューヨーク州ハイドパークのトップ コテージのポーチにて、フランクリン・デラノ・ ルーズベルト大統領と彼の愛犬スコティッシュテリアのファラ、そしてコテージ管理人の孫娘のルーシー・ビー。
この大統領がポリオ撲滅のための財団を設立したとき、コメディアンのエディ・カンター (1892-1964) は資金・寄付を集めるためのアイデアを思いついた。
カンターは多才なパフォーマーで、名声が高まり始めたのは 1917 年のニューヨーク市の劇場でのレヴュー(歌、ダンスや時事劇を混ぜた軽喜劇)がきっかけだった。
フランクリン・ルーズベルトが、ポリオとの戦いを続けるために国立小児麻痺財団を設立することを発表した後、カンターは合衆国民に、ホワイトハウスに10セント硬貨を郵送するよう求めた。
カンターが 1938 年 1 月に寄付を呼びかけた際に、「ほぼ誰もが ダイム一枚か数枚を郵送できるのでは?」と語った。 「しかし、1ドルにするには10枚のダイムだけでできるし、100万人が10セントだけを送るとしても、合計は10万ドルになります。」
カンターはこれを「マーチ・オブ・ダイムズ」(ダイムズの行進、小銭の行進)と呼び、これは、劇場版ニュースフィルムのタイム社が1935年から1951年まで映画館で上映されたアメリカのニュース映画シリーズ、ザ・マーチ・オブ・タイムからの駄洒落に基づいており、そのためタイムス社はこの財団のスポンサーとなった。
ホワイトハウスには直ちに総計2,680,000枚ものダイム硬貨が圧倒的に集まった。文字通り、主に子供たちから送られた大量のダイムが集まったのだ。
ルーズベルト大統領は感謝の意をラジオ放送で表明した。
「ここ数日間、文字通りトラックに積み込まれた郵便物の袋がホワイトハウスに届いています。昨日は4万から5万通の手紙がホワイトハウスの郵便室に届きました。今日はさらに多くの手紙が届きました。私たちは郵便袋を数えることでしか実際の内容郵便物の数を見積もることができないので、正確に何通なのか言えませんが、 すべての封筒には、ダイムやクゥオーター(25セント硬貨)、さらにはドル紙幣さえ入っています。文字通り、何千という人々がこうして小銭をたくさん郵送してくださり、ホワイトハウスのスタッフと私がこの先2、3ヶ月間、ご寄付に感謝する以外何も手につかないのではと考えるくらいです。ですから、この機会に私たちが行っている素晴らしい仕事を支援し、協力してくださるすべての方々に感謝致します。」
集まった金額は、ジョナス・ソークとアルバート・サビンがポリオワクチンを開発する研究に直接使われた。
1945 年にフランクリン D. ルーズベルト大統領が亡くなった後、ヴァージニア州下院議員のラルフ・ H. ドートンによって、マーキュリー・ダイムと呼ばれる10セント硬貨をルーズベルトのイメージを冠したものに置き換えることを求める法案が提出された。
ダイム(10セント硬貨)は、ルーズベルトの64回目の誕生日であった1946年1月30日に一般に公開された。