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インヨー郡側のシエラ・ネヴァダ山脈
マツムラ・ギイチ氏の遺骨との関係性を調べるためにDNAサンプルを提供した彼の孫娘、マツムラ・ロリに、インヨー郡保安官事務所のネイト・デアは、彼女の祖父の遺骨が発見されたと信じていると彼女に連絡した。結局のところ、マツムラ氏は75年近く前(発見時の2019年時点で)に一度発見され、埋葬されていたのだ。
「それはちょっとした再発見でした」と彼女はAP通信に語った。 「何が起こったのかを知っていたので、彼がどこにいるのかを知っていました。祖父がそこにいることを知っていたんです。」
少女の頃、祖母が遠くの山の小さな石を重ねた即席の墓に紙切れの墓標を貼ったそんな写真を見せてくれた。その重ねられた石の下に祖父が眠ると、聞かされていた。
Photo: sierrawave.net Charles James
マツムラ・ギイチ氏の1945年に作られたマウント・ウィリアムソンでのオリジナルの墓所
「久しぶりに、祖母はその写真を持ってきて、 『そう、この写真があの山から持って来られたあなたの祖父の全てなのよ。』と言うでしょう。そして、私の叔母は、『いいえ、ロリにその写真を見せないでちょうだい』となるでしょう」とマツムラ・ロリは言った。 「その写真は私を怖がらせました。何故なら『ああ、神様、その下に私の祖父が埋まっているんですもの。』」
彼女の叔母のカズエさんは、ロリの祖父が「マンザナーの幽霊」として知られていると彼女に話した。
「今日までも、マツムラ・ロリの祖父は亡くなってはいませんよ」と、2年前に83歳で亡くなったカズエさんは生前マンザナー国定史跡事務所にそう語った。 「私は彼の遺体を見なかったので、彼はどこかに行ってしまっただけなんです。」
Photo: sierrawave.net Charles James
マツムラ・ギイチ氏(後列中央)はマンザナール日系人収容所内16ブロックの食堂で料理人をしていた。そのマツムラ氏は1945年山へ出かけ帰らぬ人となった。
マツムラ氏が山で亡くなった当時10歳だった娘のカズエさんによると、その頃マツムラ氏の妻イトさんは心配のあまり髪の毛が白い雪色に変わってしまったと言う。
「彼女をとても気の毒に思いました」とカズエさんは国立公園局のインタビューに語った。 「彼女は何も食べられなかったんですよ…それまでは黒い髪をしていたのに、突然真っ白くなってしまって。」
マツムラ氏のばらばらになってしまった遺骨は、彼が行方不明になってひと月ほど経ってから近くのインデペンデンスの町に住むハイカーによって見つけられた。
公園管理局によると、あの釣りハイキングのメンバーはその後、マツムラ氏の妻イトさんが用意したシートの下に遺骸を埋葬するべく山腹の斜面に墓を作るために山に登っていった。彼の遺骸の上に花崗岩を置き、墓碑銘の代わりに紙のメモをその岩に貼り、目印とした。その紙には、日本語で、彼の名前と年齢を示し、「安らかに眠れ」と書いた。
埋葬者は、収容所での追悼式のために、故人の頭髪少しと指の爪を切ったものを持ち帰った。これは、体が戻れないときの仏教の伝統であるとした。
家族の過去の古い傷口を開けるのではなく、この簡易墓所の74年後(2019年当時)の発見は、収容所での人々の話とそこで過ごした時間についてもっと学び、甥と姪にそれを伝えて、家族の歴史を共有したいという興味を呼び起こした、と故人の孫のロは言った。
最近たまたま当時の捜索隊の写真を見るまで、ロリは自身の父親のマサルが彼の父親そしてロリの祖父であるマツムラ氏を探す役割を果たしていたことさえ知らなかった。
彼女の父親マサル氏は寡黙で、ことさらその経験について決して話さなかったし、彼女自身もっと父親に多くを尋ねなかったことを悔やんでいる。祖国に忠実であり続けることを恐れて、11万人以上の日系人(アメリカ市民が3分の2)が投獄されたとき、米国史上最も暗い章の1つである苦難と屈辱に耐えた多くの人々のように、マツムラ・マサル氏は、苦渋に満ちた収容所生活と時代について滅多に話さなかった、と娘のロリは、語ったが、生まれた国からの偏見と差別と無条理な仕打は、その後の人生をそう楽しくはさせなかった。
マツムラ家族がその祖国出身(子供たちは米国市民であったにもかかわらず)故に、ルーズベルト大統領の大好きな大統領令の一つで、強制的に荒地のマンザナールに送られ、収容所に収監されたとき、息子のマサルは高校を卒業する寸前だった。父の死後、マサルは母親と3人の弟妹とでサンタモニカに戻ったときには、一家の長として家族を支えていかねばならなかった。彼は父親と同じように庭師としての仕事をしなければならなかった。
妹のカズエさんは、マンザナール強制収容所での口語歴史伝によると、43歳で未亡人となった母親は2、3の仕事を掛け持ちして働きに働いていた、と語った。
未亡人となったマツムラ・イト氏は2005年102歳で逝去した。彼女は夫の一房の頭髪と彼の名前を書いたものと共に埋葬された。
孫のロリ・マツムラがキャンプについて知っていることのほとんどは、サンタモニカで育った小さな家の向かいに住んでいた彼女の祖母イトさんと叔母カズエから聞いてきたことである。
家族の過ぎ来し方に好奇心が刺激された今、ロリさんは収容所での彼らの経験や彼女の祖父の死が家族に与えた影響についてはもう誰にも尋ねることができない。彼女の父親マサル氏は去年の夏(2019年)、その世代の最後手であるかのように94歳の生涯を閉じた。
「もう少し深く掘り下げて、父からもっと多くの話を聞き出せてたらどんなによかったか」と彼女は言う。 「父はそれについて本当にあまり話しませんでした。もっともっと聞きたかったのですが。」
Sierra Wave Media/Charles James
サンタモニカの新しい墓所でご夫婦揃って眠るマツムラ・ギイチさん、イトさん。この墓地にはご子息二人も埋葬されている。安らかにお眠りください。
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マンザーナールと同じインヨー郡オーエン・ヴァレーにあるシエラ・ネヴァダ山脈ホワイトマウンテンには、古代ブリッスルコーンパイン森林があり、そこには、樹齢4千年を超える地球上で最古の生物の1つの樹木がある。小さく遅く成長する高地の松は、ひび割れたような錆色・茶色の樹皮と5つの束になった短い針葉と棘が先に被ったコーン型の皮を持つ厚い枝がある。高地の強い風、積雪などに耐えてそれでも何千年と生きるこの松を目にするたびに人生こうありたいと思う。そして11万以上の収容所に収監された日系人の生き模様もさもありなんと思い起こさせる。