ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

シエラ・ネヴァダに寄せる −2−

2022-05-13 | アメリカ事情

マウント・ウィットニー山頂付近に咲くスカイパイロットの美しい花

 

 

 

academic.csuohio.edu

 

民主党のフランクリン・デレノア・ルーズベルト大統領は歴代で最多の3721本の大統領令を発しているが、そのうちの大統領令2066号は、通称「防衛上のための(日系人)強制移動の権限」と言われ、第二次世界大戦中の1942年2月19日に署名、発令した。そして米国西部を主に十ヶ所の日系人収容所を建設した。カリフォルニア州ではシエラ・ネヴァダ山脈に沿った西側盆地の北はシスキュー郡トゥーリーレイクに、南はインヨー郡マンザナールに建てた。

 

britannica.com/s

カリフォルニア州インヨー郡マンザナールの荒地にあったマンザナール日系収容所

 

二人のハイカーたちが、最高峰のマウント・ウィットニーに次ぐ高さのウィリアムソン山頂上に向かう途中で遺骨に偶然出くわしたのは、2019年10月7日のことだった。彼らはハイキングコースをはずれ、湖の流域にある花崗岩の岩の寄せ集めのような岩場を通る険しいルートを歩いていた。ひとりが眼下を見やると、骨らしきものを見た。

その日の早い段階で、ハイカーたちはシェパードパスの下に骨の山を発見した。そこでは、2年前に移動する鹿の群れが急な氷の斜面で滑り落ちて死んでしまった場所だと当初は思えた。それで骨はその多くの鹿の残骸であると考えたが、詳しく調べてみると、そこには人間の頭蓋骨があった。

大きな岩を動かしてみると、そこには腰あたりにベルトがあり、足あたりには革の靴が履かれた無傷の骸骨を見つけた。腕が胸を横切っているようにも見えた。

 

Photo by: CHP Inland Division Air Operations ABC10 サンディエゴ局の写真から。

二人のハイカーたちが遺骨を発見したマウント・ウィリアムソン頂上下の水辺近く。捜索・回収に使われたCHP(カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール)ヘリコプター。

 

一人のハイカーはFacebookフォーラムにこの発見について投稿し、靴はロッククライマーが履いているタイプらしいのと、頭蓋骨が骨折しているように見えることから、不正確に判断し、犯罪ではと示唆したのだった。

通報を受け取り、調査とヘリコプターによって遺骨回収をしたインヨー郡保安官は後にAP記者に答えて、これは犯罪ではないが、ただの謎の死因だとだけ述べた。実は彼はその時これが「マンザナールの幽霊」ではないかと予感していたのだった。

あまり知られてなかったが、2012年にコーリー・シオザキ氏によるドキュメンタリー映画「マンザナールフィッシングクラブ」が公開され、それが注目を集めたのを保安官は覚えていたのだった。それはマンザナールに収監されていた日系人男性たちが夜収容所を抜け出して山の湖へ釣りに行ったという話もあった。その「脱走」は時には数週間からひと月にも及んだということだ。

戦争の最終年には、収容所警備塔にはもはや武装した兵士が配置されておらず、人々は自由に収容所を離れることができた。マツムラ家は、他の多くの人と同じように、帰る家も仕事もなかったので、退去には遅れをとっていた。

釣り好きの男性グループがウィリアムソン・ボウルの湖へ釣りとハイキングとを計画したとき、マツムラ氏は自分も同行したいと言った。グループリーダーは、当時マツムラ氏が年を取り(46歳で!)、体調が良くないと知っていたので加わっては欲しくなかったが、結局は彼の同行を許した、とドキュメンタリー制作者のシオザキ氏は語った。 よって1945年7月29日、6人から10人の日系人男性グループは、シエラ・ネバダ山脈に向かった。

厳しいトレッキングをしていたが、ある時点で、マツムラ氏は水彩画を描きたいので、後から合流するからと言ってその地点で皆と別れたようだった。別れた直後、7月なのに突発的に高山特有の気まぐれな異常な吹雪が吹き荒れ始め、マツムラ氏以外は皆洞窟に避難した。マツムラ氏はどうやらこの吹雪によって低体温症を起こして落命したようである。

天気が回復するや否や、収容所からの有志が高山に戻り捜索したが、闇雲に見当をつけて険しいところを歩いたが、徒労に終わった。彼の遺体はその後1か月は発見されず、1945年8月2日(日本では3日)に米国が最初の原子爆弾を投下した直後の数日間は、その悲劇が収容所の人々の上にも影を落とし、やがて日本の降伏となり、マツムラ氏遺体捜索はすぐには再開されなかった。西部の10の収容所で亡くなった1,800人以上の日系人拘留者の1人であったマツムラ氏は特に珍しい死10件のうちのひとつであった。

ひと月少しになってから、マツムラ・ギイチ氏の息子マサル氏が、父親の遺骨を見つけて、没した場所の高山のその地で、マツムラ氏の埋葬を収容所のメンバーと家族とで催した。海抜12,000フィートの人里遠く離れた岩だらけの高山にしつらえられた彼の簡易墓地はその正確な位置と共に人々の記憶から薄れていった。即時に彼の遺体が見つからなかったことから、「マンザナールの幽霊」と家族は呼んだ。遺骨発見が、長い間マツムラ氏の息子マサル氏によってなされたことは、実は、孫娘のロリさえ知らなかった。

 

Japanese American Relocation Collection

      収監されていても日系人は収容所内に耕地を願い出て、耕作をする勤勉さがある。故国に於いても、移住先の冷たいあしらいの国で不当な扱いを受けていても。こうした写真を見るとどうしても目頭が熱くなる。

 

シエラ・ネヴァダに寄せるー3ーへ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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