ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

生きているうちに

2021-04-10 | 重要なこと

calledtoshare.com

 

 

 

父親と子、特に自我に目覚めてからの息子との間に芽生える確執は、よくある話である。それは息子のさらなる成長と共に、お互いを理解する努力で消えていくこともあれば、どちら側も確執の存在を意識しても、何も言い出せないまま(歩み寄れないまま)放置して、折り合いを付けないまま、予期せぬ時に今生の別れの日を迎え、残された側は理解への糸口を逃したことへの後悔と呵責の念に駆られ苦悶するという流れもある。

幸いに私の父と一人息子だった弟の間には、フロイトの解釈にあるような確執はなく、弟は息を引き取るまで父を尊敬し、愛して止まなかった。親子喧嘩というのも、両者間にはなかったし、むしろ弟は父のようにその生き方を踏襲しかったらしいのは、遺品整理の時にしみじみと感じられた。そして弟は彼なりの生き方をしたものの、その後ろ姿や遺品はまるで父だったのに気がついた。お互いに言い残したいことはもう何もなかったように思えもした。すでに先に行っていた母と父に再会しただろう弟は、愛猫のトラちゃん(と弟は呼んでいた)との再会も喜んだことだろう。その様子がはっきりと目に浮かび、悲しみのうちにも微笑んでしまった。そして気がつけば、私の夫と3人の息子たちも、私の父と弟のように生きてきている。

現実には、教会の中でさえ、父親と息子、兄と弟の間での確執を悩む母親がいる。そんな母親はたくさんいる。そして友人のようなケースもあった。友人の両親が離婚した時、彼の父親は、ビューイック・スカイホークの車内に9歳の誕生日寸前だった彼の息子(友人)を座らせ、ルーパスの闘病中の母親と別れることを告げた。理由は、ある若く痩せた女性と結婚したいからだといった。

その日さり行く父親は息子に、「これからはお前が一家の主だ、しっかりやれ」と常用薬の副作用でふくよかになっていた病身の妻を小さな息子に託したのだった。

友人は50歳近くになってから、あれからパームスプリングスに住む父親が癌でいよいよ危なくなったと、知らせを受けた、と言った。「何故行く必要があるのかわからない。葬儀には行くだろうけれど。」そしてそれからそう時間が経たずに葬儀の連絡が入った。

彼は沈鬱な面持ちで南下し、葬儀の翌日にはもう戻ってきて、開口一番言った。「父は病気の母をたった9歳寸前の子供に託して、逃げて行ったんだよ。癌で苦しんで逝ったって、僕は何も感じなかったし、感じまいとさえしていたよ。でももうこれで終わり。ホッとしたというのが本音だよ。」そんな形で彼は父親との確執にピリオドを打った。

下の歌は題してThe Living Yearsという1988年にリリースされたMichael and the Mechanicsマイケルとメカニックスのバラードで、世界中でヒットした。これは、今は亡い父親との意見の相違から始まった対立を残したままの息子が後悔しているという内容の歌詞である。 実際に作者のマイク・ラザフォード自身の亡き父親との対立を後悔して書かれたものだということである。その内容故に、葬儀に使われる曲でもある。お互いに生きているうちに、誤解を解き、対立を和らげていきたいのは、父と息子の間だけではなく、兄弟や姉妹、家族間、夫婦、友人や隣人についても同じだ。「生きている年月の間に」しこりをほぐしていきたいものである。

6分33秒の歌で、和訳の後に英語歌詞あり。

 

 

世代が変わるたびに
前の世代は責め咎められるもの
若者たちの不満が 心のドアをたたき始める

愛して止まない父親にとって僕は 囚人そのもの
彼の期待と不安の人質だ
生きているうちに
その気持ちを伝えられていたら

くしゃくしゃの紙片を
まとまらない考えで満たし
大袈でわざとらしい会話ばかり
それだけしかなかったと思う

何もはっきりしないと言うなら
それが的確な判断
そんな状態では 同意を得られない
通じない言葉で話す僕たちは
弁解だらけの会話にいそしむ

大声ではっきり言い
そして耳を傾けてよく聴くんだ
目と目を見つめて意見の相違を告げるのは
死んでからでは遅い

過去と現在の間で 軋轢が始まれば
未来は悲痛な思いで犠牲になる

だから時々それが運命だと見える運に屈しないで
別の日にはそれが新しい視点を持っているかもしれない
そしてあきらめず、負けないでいれば
あなたは大丈夫だ

大声ではっきり言い
そして耳を傾けてよく聴くんだ
目と目を見つめて意見の相違を告げるのは
死んでからでは遅い

いつの日か
新たな前途を切り開くかもしれない
あきらめず 負けずにいれば
大丈夫だ

父が死んだ朝
僕はその場にいなかった
言うべきことを
何ひとつ 父に言えなかった

その年の暮れ
僕は父の魂を捕らえたと思う
その年の終わり頃になって
僕は父のエコーを確かに聞いた
我が子の生まれたばかりの涙に
生きているうちに彼に話せていたら

だから大声ではっきり言い
そして耳を傾けてよく聴くんだ

Every generation
Blames the one before
And all of their frustrations
Come beating on your door

I know that I'm a prisoner
To all my Father held so dear
I know that I'm a hostage
To all his hopes and fears
I just wish I could have told him in the living years

Oh, crumpled bits of paper
Filled with imperfect thought
Stilted conversations
I'm afraid that's all we've got

You say you just don't see it
He says it's perfect sense
You just can't get agreement
In this present tense
We all talk a different language
Talking in defense

Say it loud (say it loud), say it clear (oh say it clear)
You can listen as well as you hear
It's too late (it's too late) when we die (oh when we die)
To admit we don't see eye to eye

So we open up a quarrel
Between the present and the past
We only sacrifice the future
It's the bitterness that lasts

So don't yield to the fortunes
You sometimes see as fate
It may have a new perspective
On a different day
And if you don't give up, and don't give in
You may just be okay

So say it loud, say it clear (oh say it clear)
You can listen as well as you hear
Because it's too late, it's too late (it's too late) when we die (oh when we die)
To admit we don't see eye to eye

I wasn't there that morning
When my Father passed away
I didn't get to tell him
All the things I had to say

I think I caught his spirit
Later that same year
I'm sure I heard his echo
In my baby's new born tears
I just wish I could have told him in the living years

Say it loud, say it clear (oh say it clear)
You can listen as well as you hear
It's too late (it's too late) when we die (it's too late when we die)
To admit we don't see eye to eye

So say it, say it, say it loud (say it loud)
Say it clear (come on say it clear)

 

Songwriters: B.A. Robertson / Mike Rutherford (gb)

The Living Years lyrics © BMG Rights Management, Concord Music Publishing LLC

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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黄道光(こうどうこう)!!

2021-04-08 | 自然と四季

ESOY. Beletsky, CC license

黄道光(こうどうこう)別名ピラミッドライト

 

 

この4月13日まで、年に2回春分と秋分の時期しか見られない現象が頭上で起こっているのをご存知だろうか。

日没から約1時間後に西の地平線に目を向けると、空気が澄んでいれば、「黄道光」という年に二回起こる現象を目に出来る

天球上の黄道に沿って太陽を中心に帯状に見える淡い光の帯のことである。それがピラミッド状に見えることがある。

NASAによると、夕暮れ直後の北半球で、かすかな輝きの中に見られるのは、「太陽の周りを回る小さな塵の粒子の雲によって地球に向かって反射される太陽光」である。

米国宇宙機関によると、火星(最も塵の多い惑星と科学者が知っている)が黄道光の源であるという確かな証拠があるが、この塵が「火星の重力のグリップから逃れることができる」方法を正確に説明することはまだできていない。

カナダ王立天文学会の場合、アカディア大学の物理学名誉教授であるロイ・ビショップ博士は、天体の光景を次のように美しく説明している。「これは黄道帯(またはより良いのは黄道)を中心とする軸です。最も明るい部分では、中央の天の川の輝度を超えています。」

誰がそれを見たくないだろうか?天気が穏やかになっているので、夜空を見上げるのにとても良い時期である。自粛・籠り生活に飽く毎日だが、家の外へ出て夜空を見上げてこの特定の光柱が跳ね上がっているのを見つけたら、嬉しくなるかもしれず、パチリとカメラに納めてみるのも一考。

 

 

 

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本当の

2021-04-06 | 信ずること

blackwelljournaltribune.net

 

 

 

復活祭(イースター)は、色付けされた卵を探すゲームではなく、チョコレートのウサギでもなく、大騒ぎをする「お祭り」ではなく、復活「祭り」でもなく、また子供たちだけの「行事」でもない。実はクリスマスよりももっと大切な意味がある。

 

***

 

昨年の初春から、COVID-19検疫と社会的距離を保つという義務により、私たちのほとんどは家に閉じこもり、愛する人から隔離されてきた。去年、皆、これまでとは大きく異なるイースターのお祝いをすることとなった。

それまで、豪華なドレス、手の込んだ食事、そして訪問する家族や毎年2回教会へ赴く日の1つである「クリースター」(クリスマスとイースターだけに礼拝堂に赴く出席者)に対応して、ぎゅうぎゅう詰めの教会の礼拝堂、と毎度おなじみの伝統が続いていた。去年のイースターから、それは静かで親密であり、イエスを主であり救い主と呼ぶ人々にとってはるかに深い意味を持つ、一切の人工的な飾りを削ぎ落とした日になると期待した。

ラスベガスの若い母親エリン・ホームズが書いた伝播力のあるFacebookの投稿で、彼女はイースターの核心が本当は何であるかを教えてくれる。彼女の簡潔だが力強い言葉は大衆の心に響き、その記事は、2日間で46,000回以上共有された。

ホームズさんのメッセージの核心は、このイースター、私たち皆が必要としていたものだった。以下はその記事:

「私たちは初めて今までと異なるイースターを過ごす最初の世代にならんとしています。次の事柄がイースターなのではありません:

新しいドレス
派手な帽子【ブログ主注記:私の幼少時にはイースター・ボンネットというものがあった−日本で現に7歳頃には叔母から美しいボンネット=帽子を貰った】
きっちりコーディネートした衣服
大きく見せる髪型
花柄のドレス
色付けあるいは装飾された卵
装飾的な十字架
(司祭や牧師によって)よく書かれた説教
誇大なほどの音楽プログラム【He Is Risen=主はよみがえりぬ、だけでも多いに復活を祝福できる】
自分撮り
友達
チョコレート
新しいおもちゃ
キャンディー入りのバスケット
うさぎ
家族写真
感動的なドラマ
満員の教会
ゲストを飽きさせない工夫
特別子供向けプログラム
家族の大仰な午餐

私たちはイースター…または復活の日曜日…についてを学ぼうとしています。

空の墓
死を超えた人生
成就した約束
答えられた祈り
死に対する勝利
地獄の勝利
明日への希望


このリストのどれも一つも物を必要としません。

今年、イースターは静かで、イエスとの親密な交わりになります…そしてそれでいいのです。

私たちのイースターの見方が変わるかもしれません。
それが私たちの礼拝の仕方を変えてくれますように。
それが私たちの生活を永遠に変えることができますように。」

 

 

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一点の絵画から

2021-04-04 | 信ずること

Photo credit: meisterdrucke.uk

A Hopeless Dawn by Frank Bramley 1888

 

 

 

フランク・ブラムリーという画家の1888年に描いた上記の、題してA Hopeless Dawn「絶望の夜明け」という絵画は、コンスタブル、レインズビル、レンブラントなどの数々の巨匠の絵画を蔵する英国ロンドンのテイト美術館の片隅に、ひっそりと展示されている。

この一点の絵画、瞳がその光景を捉えるのと同時に、心を強く惹きつける。若い漁師の夫が嵐の海に出て夜になっても帰らず、妻は夫の老いた母親と二人でまんじりともしない夜を過ごし、二人の目はずっと窓越しの海原にやられ、そしてとうとう夜が明けるが、それは絶望の夜明けであったのが手に取るようにわかる。若い妻が年老いた義母の膝に顔を埋めて泣いている。この絵には不安、失望(絶望)、悲しみがはっきりと浮かんでいる。窓辺の燃え尽きた蝋燭が一晩中の募る不安と絶望をよく表し、観賞する者の心を抉るような悲しみを与える。そしてこの絵を見て、すぐに頭に浮かぶ言葉がある。

旧約聖書ヨブ記にある言葉:人がもし死ねば、また生きるでしょうか。(ヨブ記第14章14節)この質問は何千年もの間おそらくこの地上に生まれた全ての人が問うだろう質問である。

そして次に脳裏に浮かぶ言葉は:わたし(イエス・キリスト)は平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(新約聖書のヨハネによる福音書第14章27節)

過越(すぎこし)の祭の前に、キリストは御自らこの世を去り、天の父の元へ時が来たと知り、また弟子たちの一人が裏切ることを知っていたのでそう仰ったのだった。キリストは続けて仰った。『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』...もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。」(ヨハネによる福音書第14章28節)

イエス・キリストが神の属性を持っておられることで、苦しみと死をその身に受け、復活を遂げることにより、霊と肉体の死に打ち勝たれ、だからこそ無限にして永遠の贖罪を全人類のために行うことが可能だった。彼が救い主と呼ばれる由縁がここにあり、救い主は全てのことを正しくされる。死すべきこの世の不公平や死でさえも永久のものではない。何故ならば彼は生命を再び回復し、主の絶対的な正義と憐れみがあるので,屈辱,障害,裏切り,虐待が最終的に償われるのである

同時に,人は皆,その人生,選択,行い,思いさえも主に対して責任を負っており、人々を堕落から贖われたので,人の生命は現実に主のものである。そして全ての人には復活と最後の裁きとがある訳である。

キリストの恵みは実在し,悔い改めた罪人に対して赦しと清めの両方をもたらす。キリストへの信仰は実に想像や人が心の中で創り上げたものを超えるものであり、絶対的で普遍的な真理があり,普遍的で変わることのない道徳的な標準がある。

100年ほど前、ロバート・ブラッチフォードは、その著書『神とわたしの隣人』(God and My Neighbor)の中で,神,キリスト,祈り,不死不滅といった,キリスト教徒が信仰する事柄を激しく攻撃した。大胆にもこのように主張もした:「わたしは自分が証明を試みた事柄は全て完全に,はっきりと証明し尽くしてきた。たとえどんなに偉大で能力のあるキリスト教徒であっても,わたしの主張に対抗し,論拠を覆すことはできない。」

彼はいわば,懐疑論という壁で完全防備していたが、ある日そんな彼の妻が亡くなった。打ちひしがれて,妻の亡骸が安置された部屋で彼は,心から愛した彼女の死に顔を見詰めた。その部屋から出て来た彼は,友人にこう語った。「あれは彼女だが,彼女ではない。何もかも変わってしまった。以前にはそこにあった何かが取り去られ,今は前と同じ彼女ではない。その取り去られた何かが魂というものでなかったとしたら,いったい何だろうか。」

主は本当に亡くなられて,再び生きられたのだろうか。そのとおりである。世界的なキリスト教リーダーの一人トーマス・モンソンは言った:「キリスト教の基本原則は,使徒と預言者たちがイエス・キリストに立てた証です。すなわち主が亡くなり,葬られ,3日目に再びよみがえって,天に昇られたことです。わたしたちの宗教に関する他の全ての事柄は,それに付随するものにすぎません。」(トーマス・S・モンソン「主は生けりと知る」『リアホナ』2007年5月号,23)

故に多くのキリスト教徒と同じく、わたしは,新約聖書の中にある救い主の復活に関する多くの証人,すなわち,ペテロと十二人の使徒たち,清いマグダラのメリー(マリヤ)とその他の人々の経験や証を信じるのである。

フランク・ブラムリーという画家の1888年に描いたA Hopeless Dawn「絶望の夜明け」という絵画の海に失われた漁師の妻とその母親の嘆きが実はこの世限りのもので、やがてこの二人がいなくなったと思った愛する人に再びまみえることを、その希望をも、わたしは、その暗い部屋に見るのである。ちょうど復活祭の日曜日の今日、燦々と降り注ぐ陽光に、木々に色とりどりの花々が、また草花が輝くように。

 

もう【主は】ここ【墓】にはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。

さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい

マタイ伝第28章6節

 

 

 

 

 

 

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新しい門出とこの頃

2021-04-01 | 家族

Tivoli Garden, Copenhagen, Denmark

また行ける日も。

 

 

 

夫と私は、無事第2回目のワクチン接種も済ませ、職業柄長男、三男、長女の夫も三月末までに済ませた。4月からは、16歳以上から大人までの接種も始まるカリフォルニア州で、1日には長女も済ませた。夫と私はモデルナ社のワクチンで、残りはファイザー社のワクチンである。心配なのは、ドイツに住む次男一家である。いまだ感染もせずに、次男は昨春からずっと自宅勤務で、4歳孫娘はデイ・ケアへ通い、もうすぐ2歳の孫息子も、そのママも健康に過ごしている。ドイツはアストラゼネカ社のワクチン接種は60歳以上に限定となり、まだ若い次男一家は結局無接種のまま5月第一週にはスエーデンへ移転する。

これは世界最大手の監査法人会社のコペンハーゲン・オフィスに招聘されての転職である。ドイツには3年勤務したが、次男の妻は、スエーデン人で、元々次男はスエーデンで働くことを計画していたので、これでその一歩が始まる。オフィスはコペンハーゲンだが、おそらく住むのはオーレスン・リンク、つまり鉄道と車道の併用橋と併用海底トンネルを越えたスエーデン側にと計画している。鉄道を使用すれば、マルメかルンドとコペンハーゲン間の往復で、月€300以下で通勤できる。これは東京ー横浜間の鉄道定期の額よりも低額ではなかろうか。

コペンハーゲンは、ニューヨーク市を超える物価の高さで定評がある。それと、南スエーデンのスコーネ地方には、三男の妻の実家があるので、何かと安心な点もある。何よりも、たった一人きりの娘家族が近くに越してくることは、彼女の両親始め、4人の兄弟を喜ばせている。

もう少しでこの孫たちにも会えそう。

 

この次男の新しい門出は、思いがけない朗報だったが、この他にもいくつかこの春から初夏に、我が家の子供たちの何人かも新しい道を切り開いていく。

長男は3年間のフロリダ州での眼科医研修期間をこの春終え、次は南カリフォルニア州の大学病院眼科医として、また大学教授として勤務することになった。同時にそこでは専門とする角膜についてフェローシップを受ける。長男の第一志望の大学であったので、知らせを受けた昨年12月は、長男にとっても私たち両親にとっても、一番のクリスマス・プレゼントとなった。

現在は6月の現研修の終了まで、在郷軍人病院や、小児病棟眼科で多くの手術を含む治療をこなしている。すでにいくつかの眼科から仕事のお招きも受け始めているのは、本当に不肖の親としては有難いことと思う。

やっとカリフォルニア州に戻ってくる孫娘4歳。

 

末娘の夫もこの6月法学校を JD(法学博士)を持って卒業する。卒業まで、博士論文執筆と弁護士の父親のもとでインターンもしている。2年前からオレンジ郡コスタメサの弁護士事務所でインターンシップをしながら、法文や法例の分厚い書物に埋もれて勉強にいとまがなかったが、それでも妻子との時間を非常に大切にして、また人を助ける時間も惜しまない。その一例が先週末我が家で起こった。

この孫息子1歳9ヶ月のパパは、お助けマン。

 

我が家の二頭のハスキー犬が珍しく吠えるので、様子を見ると、あっという間に大木となった桑の木と木塀の間に、大きなオポッサム(あるいはポッサム)が挟まっていて、動きが取れない様子。犬が吠えながら近寄るたびに、大きく口を明けて威嚇している。口が開いているかいないかで、非常に形相が変わる動物で、どうしたらそこから抜け出させようかと、アニマル・コントロールに電話をかけても、留守電ばかり。

たまたま春休みで帰郷していた末娘一家。義理息子に相談すると、二言目に言われたのは「今すぐ行くから。」だった。彼は本当に5分もするかしないかで我が家に到着し、手袋をし、箒をもち、桑の木のそばへ近づくと、まず木塀を押して空間を作り、オポッサムが動きやすいようにしてやった。翌朝までには、オポッサムはそこから消えていた。よかった!無事誰も怪我もせず、解決した。

あとで長男に電話をすると、「オポッサムは、低体温な動物なので、狂犬病ウィルスは、活動できず、狂犬病ウィルスのある(オ)ポッサムは極端に珍しいよ。でもその他の雑菌やノミ、シラミ、ダニなどもいるから触らぬ神に祟りなしだね。」と言った。やはりね、威嚇で大きくお口を開けて、たくさん鋭い歯を見せてくれたもの、誰も触りたくはない。

ちょっと見には、「わー、可愛い」とも思えるが、

噛まれたら怖い細かな鋭い歯をしっかり持っているオポッサム。逃げていってくれてありがとう!

 

さて夫も私もいまだしつこくフルタイム職があり、夫の場合、全面自宅勤務で、弁護士や各支店長に会うことで、社会的コネクションを保っている。ワクチン接種も終了したので、4月からは、教会へ戻れる。今までズームでの集会で、もどかしいことが多々あった。マスクや社会的距離を保って健康を維持しながら一年前の状態に戻りたい。

その間7人目にやっと男児を授かった知人や、Covidー19禍においても重大な手術を受けねばならなかった方のご家族への食事を用意する機会があってうれしかったが、これからの一年はゆっくりと気をつけながら、「社会復帰」をしていきたい。そして願わくば来年には、待望の次男一家を私も大好きなスエーデンで訪問したい。そしてまず目先のゴールは、再びトレイルに戻り、歩くことである。

 

この孫息子たちもこうして外で遊べられる。6歳の孫は、対面授業も始まった。幼稚園を5月で終えるが、去年からテストの結果一年生の授業も取っている。ちなみにメガネは勉強のしすぎではなく、目の筋力を鍛えるための眼科的措置である。

 

 

 

 

 

 

 

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