ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

不憫なこと

2021-09-19 | わたしの思い

Fox8

 

 

 

木曜日、長女からテキストが入り、孫の小学校がロックダウンになった、とのこと。これはCovid-19のせいではなく、近隣の住宅地で発砲事件があり、一人が撃たれたとの情報が警察からあり、即座に学校は門戸を施錠し、児童は教師と共に各クラスで天井の明かりを消し、沈黙のうちに待機した。警察は機敏に動き、即時に三人の容疑者を確保した。

結局15分後にはロックダウンは解除された。その後学校は登録されている親や保護者に迎えにくるように連絡を入れ、児童を連れて帰宅した。その頃、私はオフィス勤務中で、夫は仕事で人と会っていた。娘夫婦はちょうどふたりとも歯科医の健診予約に。結局もうひとりの祖母が迎えにいってくれた。

娘が孫に怖かった?と尋ねると、孫は初めてのことで、最初は、ちょっと面白いと思ったのだが、だんだん怖くなってきた、と正直に答えた。それを聞いて、夫も私も、子供たちもそんな状況にはひとつも陥ったことがないのに、ふた月でやっと7歳の孫が経験するなど、なんと不憫なことだろう。もちろん子供たちはみな無事だったのは本当に幸いだった。静かな住宅地で何故こんなことが起こるのかは、アメリカだから、としか答えようがない。

アメリカに安全なところはひとつもない。加州は、至る所で銃犯罪は起こる。そしてもっと辛いのは、なんの罪もない子供たちが新生児であろうがなかろうが、簡単に撃たれてしまうことだ。銃を構え、撃ちまくりながら、運転していくドライブバイシューティングは、下手な鉄砲なんとかである。ギャング間の闘争、男女間の愛憎のもつれ、などから直情怪行である。

少し前に私の勤めるキャンパスでも、銃撃事件が危うく起こるところだったが、キャンパス警察が事前に治めてくれたので、どれだけ皆安心したことだろう。その後に開かれた警察による銃撃に備えるセミナー・トレイニングでは、結局自分の命は自分で守るしかないということだった。キャンパス警察は現場に行くのに、5分以上かかる、と言う。それはいざという時はキャンパス警察をあてにしないように、と言うことだ。スタッフの中には、射撃場へ通い、所持免許を取って購入したちいさな護身用のピストルをハンドバッグに入れている人が少なくない。撃たれる前に撃て、ということだろう。

日本では、拳銃所持は一般人は夢にも思わないことだろうが、人命を奪うために、鉛筆でさえ、凶器となりうる。銃規制も大切だが、同時にもっと本当に必要なのは、心療的な怒りのコントロールのトレイニングや、あるいは精神医学方面のトレイニング、そして願わくば家庭で、幼いうちからこどもに、人の命は大切だということを、丹念に根気強く教えねばならないのかもしれない。

長女が生まれた時に母と話していて、育児のコツは?と聞く私に母は「とにかく愛して愛して愛することよ。それはね、猫可愛がりということではなくて、言葉がおぼつかない時期から、自身も他の人も大切だと教えていくことよ。」と言った。

 

健やかに安全に長い人生をと願いたい。

 

 

 

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人生にかけがえのないもの

2021-09-17 | 考え方

rishikajain.com

「何がもっと大切なの、」と大きなパンダが訊ねた、「旅、それともどこへ行くか?」

「連れ合い。」と小さなドラゴンは言った。

 

 

いつも友人や家族の集まりに出席していた男性が、何の予告もなしに突然参加しなかった。
数週間後、ある非常に寒い夜、その友人・家族グループのリーダー的存在の人が彼を訪ねることに決めた。
そのリーダーは家に一人で、明るい火が燃えている暖炉の前に座っている男性を見た。
男性はリーダーを歓迎した。すると素晴らしく穏やかな沈黙がそこにあった。
二人の男は暖炉の中でパチパチと音を立てる丸太の周りで踊る炎を見ていただけだった。
数分後、リーダーは一言も言わずに、火を形成したいくつかの丸太を見遣り、その中の最も明るく輝いている一つを、トングで横に取り除いた。それから彼は再び暖炉の前に座った。
男性は目の前で起こったことに注意を払い、魅了されていた。やがて、一つ離れたところに置かれた丸太は、一瞬の煌めいた輝きを放つと、火が消えていき、すっかりその孤独な丸太の炎はおさまってしまった。
短時間で、少し前までは明るい光と熱であったものが、黒くて枯れた木片に過ぎなくなった。
挨拶を交わしてから、ほとんど言葉が交わされていなかった二人である。
そこを去ろうと準備をする前に、トングを持ったリーダーは火が消えた役に立たない木片を拾い上げ、燃え盛る火の真ん中に再び置いた。すぐに、その木片の周りの燃えている薪の光と熱によって消えていた木片が再燃した。
リーダーが去ろうと、戸に向かったとき、男性は言った:「あなたの訪問とあなたの美しいレッスンに感謝します。私はまたすぐにグループに戻ります。」

なぜ私たちの生活の中で友人や家族のような心おけないグループが重要なのだろう?
答えは非常に簡単である。
撤退する人は残りの人々から火と熱を奪うからである。
グループのメンバー一人一人が炎の一部であることを思い出させる価値がある。
また、お互いの炎を燃やし続ける責任はあなたや私、彼や彼女全員にあることを忘れまい。
そして、火が本当に強く、効果的で、持続するように、人は結束や団結を促進しなければならない。火を燃やし続けるために。

友人、知人、仕事仲間、隣人などなどでは、多くのメッセージが飛び交い、時には喧嘩や誤解も生まれ、それに悩まされるかもしれないが、本当に重要なのは、絆を築くことである。人々が出会い、学び、考え方を交換し、そして私たちが一人ではないことを知るためにここに今いるのだということを忘れまい。

 

woodlanddirect.com

 

 

 

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911の記憶

2021-09-15 | アメリカ事情 人間性

FamilySearch.org

 

 

現在夫の仕事で深く関わりのあるS弁護士は良き友人であるだけでなく、同じ教会に所属し、その子供たちと私たちの子供たちも親交があり、特に末娘はS弁護士の長男と仲がよく、中学・高校を通してランチ仲間でもあった。そのS弁護士は、温厚で親しみやすく、信頼に値する良い人物である。彼のそうした性格や人格はそっくりそのまま口腔・顔面外科医の父親譲りで、今でも父親は現役で私たちの住む街で開業している。ここで書く911の記憶は、このS氏の父親にまつわるものである。

このS氏の父親は、名をノエルと言い、ここでは、便宜上NS氏と呼ぶことにする。そのNS氏は、20年前キリスト教会のニューヨーク市北伝道部を三年間伝道部長として宣教師を管理監督及び指導をしていた。

ニューヨーク市には北と南に分かれて二つの伝道部があり、南ではカナダ人の伝道部長であった。TransCanada Energyトランス・カナダ・エナジー(カナダ横断エネルギー社)の社長としての任務でその彼は数年間、毎年世界貿易センターのツインタワーに何度も足を運んでいた。その彼は、1機どころか2機のフルタンクで燃料を積んだ旅客機がツインタワーに飛び込むのを目撃し、最悪の事態に怖れ慄いた。

NS氏は、その専門職上、トラウマの経験が豊富である。そのため、彼が管理していたニューヨーク市北伝道本部を911のアタックが展開されてすぐに通信の司令部として設置し、南伝道部長と共に働いたのだった。

二人の伝道部長や400名はいた宣教師たちは攻撃現場あるいはその周辺での緊急活動を支援するためにそこへ派遣されることを切望していた。 「あの時は、助けに駆けつけたいと誰もが思い、私もそのように思っていました。ところが、祈っても祈っても、いくら懇願しても、主は一人の宣教師も、グラウンドゼロに送ることを許されなかったのです。」

何故祈っても助けを送り込むことに対して思うような答えがなかったのかは、後に判明した。ツインタワーが崩壊した現場で働く多くの第一対応者たち(警察、消防、緊急医療班)やその他の支援者が、汚染された灰塵を大量に吸い込んだために、肺疾患などの長期的で致命的でさえある影響を受けるのを見て、医師のNS氏は何故だったのかを理解したのだった。ふたつのタワーが崩壊して亡くなった方々よりも、もっと多くの第一対応者やボランティアが肺疾患や呼吸器系の病に倒れ、亡くなったのである。

またNS氏は、たまたま18人の任務終了の宣教師を、彼らの大学の新学期に間に合うように、任務終了を一週間早めてその前の週に、帰還させたばかりだった。

そしてちょうど9月11日は通常ならば伝道部地域内での任地を替えるために宣教師を移動(転勤)させる日だった。だが、あの朝は他のどの朝とも同じように、宣教師たちはみな午前10時まではアパートで聖典勉強や準備をして、待機していたのが非常に幸いだった。それ故宣教師一人一人の無事は即座に確認された。

ツインタワーを攻撃した2機のうち最初の旅客機は東部標準時の午前8時46分に発生した。これは、宣教師がその日住居を出て伝道のために出かけるかなり前のことだった。 「私たち(伝道部長とその夫人、そして伝道部に働く人々)は、管轄の全ての宣教師がそれぞれのアパートに待機し、直ちに各々の両親に電話をかけるようにしました」と北伝道部長だったNS氏は言った。

テロリストの攻撃後、FAA(Federal Aviation Administration=アメリカ連邦航空局)はすべてのフライトを接地させた。 21人の新任宣教師は、9月17日に最終的に北伝道部に到着するまで、デンバー伝道部によって一時的にそこにとどまり、伝道することができた。

アメリカ上空を一切の旅客機が飛ばなかった日は、私は生涯忘れない。旅客機のかわりに、州空軍や海軍の偵察機や戦闘機が空から守っていた。そしてアメリカの各空港へやってくる旅客機に近づいて、引き返すよう要請した。あの日からしばらくの間、アメリカのどの空港へも着地できなかった航空機多数を、カナダ政府、カナダ軍、及びカナダ国民の非常なご厚意によって支援くださったことは、決して忘れまい。

アメリカ合衆国が文字通りその門戸を一切閉めた時、立ち往生した旅行者は、ノバスコシア州シアウォーターのグースベイ、ガンダーとスティーブンビル、ニューファンドランドとラブラドール、ハリファックス地域自治体空港、ノバスコシア州アルダーショットなど、いくつかのカナダ軍基地や駐屯地で受け入れられた。 また、大西洋地域のカナダ軍ユニットは、何千ものベッドと配給パックを提供した。 9機のカナダ軍輸送機が、約8,800のベビーベッド、8,300の毛布、55人のサポート要員を商業航空便が迂回した場所に輸送した。 カナダ軍航空機はまた、カナダ関税歳入庁の職員をこれらの場所に輸送し、立ち往生した旅行者が税関を通過してカナダに入国できるようにした。

カナダとカナダ軍は、こうした支援・援助をOperation SUPPORT(支援・援助作戦)と名付けたが、こうした隣国の友情と厚情は、テロリスト攻撃に各所あったばかりで深く傷ついた合衆国にとってどれほどありがたかったことだろう。

常套手段としてここで無神論者や不可知論者は、「何故人を愛する神は、こうした残虐行為をお止めにならなかったのだろうか」と問うものだ。これについては日を改めて記したい。

20年前合衆国は、本当に深く傷つき嘆き悲しんだ。その痛みはいまだあるが、それでも振り返れば、混沌と恐怖と悲しみの中にも、奇跡のようなことがあったことが思い起こされ、また人々の優しささえたくさん見られたことがあった。2019年4月8日に記したブログ”あなたの神はどこに”に書いたようなその時にはわからなかったことは20年後の今はっきりと見えさえする。例え想像もできないほどの悲劇に陥ろうとも、そこにはいつも希望の明かりがあることを覚えていたい。

 

WardPress.com

 

 

 

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父の眼差し

2021-09-13 | アメリカ事情

spinditty.com

 

 

 

ある十代の少年は父親と二人暮らしで、2人は非常に特別に仲の良い関係にあった。息子は大方選手ベンチに座っていたが、父親はいつでもスタンドにいて応援して、一試合とて見逃すことはなかった。

この少年は、高校に進んだ時クラスで一番小柄だった。しかし、彼の父親は息子を励まし続けながらも、息子自身が望まないのであればフットボールをする必要がないことも非常に明確にしていた。しかし、少年はフットボールを愛し、がんばってみようとしていた。
少年は全ての練習で最善を尽くすことを決意し、そうすれば上級生でプレーできるのではと思っていた。

高校を通して、少年は練習も試合も一回も見逃すことはなかったが、4年間ずっとベンチウォーマーだった。彼の律儀な父親はいつもスタンドにいて、絶えず息子に励ましの言葉を持っていた。少年が大学に進んだとき、彼は控え選手としてチームに挑戦しようと決心した。誰もが彼が決してパスをしている相手からボールを奪えはしないと確信していたものだった。

コーチは、彼が常に全身全霊であらゆる練習に力を注ぎ込むと同時に、他メンバーが必要とする果敢さがむしゃらさを提供したので、彼を試合メンバーのリストに残すことを認めた。彼が控え選手としてチームを生き延びたというニュースは彼を高揚させ、最寄りの電話に急いで行き、父親に電話をかけた。父親は息子の興奮をすぐさま共有し、全試合のシーズンチケットを大学から購入した。

この根気強い若いアスリートは、大学での4年間、練習を逃すことはなかったが、試合でプレイすることはなかった。やがて彼の大学最終学年シニアフットボールシーズンの終わりがやってきた。大きな最後の試合練習直前に練習場に足を踏み入れるとそこにいたコーチは電報を彼に渡した。彼はその電報を読み、死ぬほど沈黙した。

彼はこみ上げる思いを懸命に呑み込んで、「父が今朝亡くなりました。今日練習を逃しても大丈夫ですか?」とコーチにつぶやいた。コーチは腕を彼の肩にそっと当てて、「君は残りの週は休むことだよ。土曜日に試合に戻らなくてもいいんだよ。」と言いました。

土曜日が来て、試合はうまく運ばれていなかった。第3四半期で、チームが10ポイント先取されたとき、静かに若い男性が空のロッカールームに滑り込み、フットボール用具を身に付けた。彼がサイドラインに出ると、コーチとチームのプレイヤーは忠実なチームメイトがもう試合に戻ってきたのを見て驚いた。

「コーチ、試合に出させてください。今日はプレイしなければなりません」と若い男は言った。コーチは彼の言うことを聞こえないふりをした。この緊迫しているプレイオフゲームでコーチは最悪のプレイヤーを望んではいなかった。しかし、若い男は固執し、ついにそんな彼を気の毒に思い、コーチは諦めて言った。「わかった。」「君にプレイしてもらうよ。」

コーチ、プレイヤー、そしてスタンドの全員が自分の目を信じられなかった。これまでプレイしたことがなかったこの小さな未知の若い男は、すべてを正しくやっていた。相手チームは彼を止めることができなかった。彼は走り、通り過ぎ、ブロックし、花形選手のように組み伏せた。彼のチームは勝利を収め始めた。スコアはすぐに引き分けになった。最後の数秒で、この若い男性はパスをインターセプトし、勝利のタッチダウンのためにずっと走った。

ファンは狂ったように歓喜し、チームメートはこの若い男性を肩に担ぎ上げた。聞いたことのないような応援の渦!

最後に、スタンドが空になり、チームがシャワーを浴びてロッカールームを出た後、コーチは若い男性が一人で隅に静かに座っていることに気づいた。コーチは彼のそばに来て、「信じられない。君は素晴らしかった!何がどうなったのか教えてくれないか?どうやってやったんだい?」と言った。

若い男性は涙を浮かべてコーチを見て、「父が亡くなったことはご存知でしょう? でも、父が盲目だったことはご存知なかったでしょう?」と言った。彼は嗚咽を必死に堪えながら、「父は僕のすべての試合に来ましたが、今日僕がプレーするのを初めて見てくれていたと信じてます。父に僕ができることを示したかったのです!」と無理やり笑顔を見せた。

 

*******

 

この話は著者不詳であるが、1993年のアメリカ映画Rudy(邦題:ルディ/涙のウィニング・ラン)のルディ・ルティガーを思い起こさせられる。この映画のルディ・ルティガーは実在のフットボール選手で、実際に起こった話を描いている。ルディは、元々インディアナ州名門のノートルダム大学へ入学することもなかなか敵わなかったが、彼のひたむきな努力と熱心さでとうとう入学した。そして、小柄な体格でもフットボールへの多大な夢と希望とひとかたならぬ努力で選手になり、やがて成功する。そんな彼がこの話を読んでいて彷彿としてきた。Rudyは息子たちやその友人たちに大好評で、家でヴィデオを観るときは、必ずこの映画だった。少年たちの心に深く染み通るRudyの実話は、頬を濡らしながら集中して見ていることで、なんと青少年の育成に役立つものだろう、と感心したくらいである。

57年前全日本女子バレーチームを金メダルに導いた大松博文監督にも通じるものがあった。大松博文氏は、江戸時代の米沢藩主上杉鷹山公(1751〜1822)の遺訓の中にあった、「なせば成る なさねばならぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」を用いて東洋の魔女と呼ばれるチームを育成し、成功させた。

 

 

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9.11の聖書

2021-09-11 | 重要なこと

faithit.com

ツインタワーの瓦礫で発見された鋼と融合した9.11聖書

 

 

 

この小さな記事をオンラインのニュースレターで読んだのは、昨年2020年9月11日のことだった。その不思議な、しかし実際に起こったことに感動を抱かされた。またAtrocity(残虐行為)としか形容できない出来事をそれでも揺るぎなく破壊に耐えて発見された事実に非常に驚かされた。

その記事の内容は、以下で、これはケルシー・ストレイター記者によってfaithit.comに投稿された。

 

faithit.com

ジョエル・マイヤーオーウィッツ氏が手に取るのはグラウンドゼロで鋼が融合し、ハート型になって見つかった聖書。

 

 

9/11の攻撃で鋼に溶けた聖書の一節がアメリカに心をつかませるメッセージを送る
2020年9月11日付け:ケルシー・ストレイター寄稿

 

神の言葉は力強く、全能で、永遠であると聞いたことがある。テモテへの第二の手紙第3章16-17節で、使徒パウロは聖書は「神の息吹」であると主張している。つまり、神は聖書に書かれているすべてのことにお関わりになられたということである。しかし、9.11で世界貿易センターに起こったような恐ろしい悲劇が襲ったとき、多くの人はその真実を堅持するのが難しいと感じる。クリスチャンであるとしても、愛する神がそのような邪悪で大規模な混乱をどのように許すのか、しばしば疑問に思う。

この壊れた、あるいは不完全な世界から美しさを引き出す神の方法についての理解が不足しているかもしれない私たちが、9.11の荒廃の中で神が否定できない希望のメッセージを送ってくださったとき、それは多くの人々に非常に畏敬の念を起こさせた。信じられるほどの悲劇の起こるこの世で、聖書が生きた言葉であることを私たちにたびたび思い起こさせる。

ツインタワーへの9.11攻撃の後、1人の消防士がグラウンドゼロの瓦礫をふるいにかけていた。 2002年3月、彼は他の作業班員と一緒にサウスタワーの瓦礫と残骸を選別していた。そのとき、彼は考えられない発見をした。聖書が鋼の塊に融合していたのを発見した。後に9.11聖書と呼ばれる聖書は鋼に融合されていても、ページが残っており、しかも開かれているページは特に興味深いものだった。

この9.11聖書を見つけた消防士はショックを受け、すぐにこの宝物をジョエル・マイヤーウィッツに持って行った。ジョエル・マイヤーオーウィッツは、グラウンドゼロで9か月間働くように割り当てられた写真家だった。彼もちょうどその時サウスタワーの崩壊跡にいて、瓦礫の中を、9.11攻撃の只中での人々と彼らの経験の物語を伝えるかもしれない記録保存するに値する人工遺物を探していた。

ニューヨークタイムズ紙の報道によると、「この細かく砕かれ、瓦礫で覆われていた聖書は、私がグラウンドゼロの記録保持という役目を担っていることを知っていたある消防士の愛情深い手から届けられたのです」と写真家マイヤーオーウィッツは語った。

「余波:世界貿易センター遺物保管」の著者であるマイヤーオーウィッツは、鋼が融合し「ハート型」になって遺された聖書の表面に露出した聖句の一節に目を向けたとき、まったく言葉を失った。

聖書のすべての書、章、節の中で、このページはマタイによる福音書が開かれており、山上の垂訓を明らかにしているのだ。具体的には、「報復」というタイトルのセクションはマタイ書第5節38-39章である。

『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

「開かれている聖書のページを見て驚き、聖書のメッセージがいつまでも存続していることに気づいたのです」とジョエルは言った。 「そして、あらゆる時代においても、私たちはその教えを必要に応じて新鮮に解釈できるのだということに。」

9/11の燃え盛った火災と破壊とその瓦礫の中で、この壊れやすそうな繊細な薄葉紙が強力に破壊と火に耐え、我々全てに永続的なメッセージを送ることができ、再び我々を完全に魅了している。

我々の肉体的な性質は、悪には悪を持って報いるように促すが、神は我々に、復讐を神に預け託し、人は許しと愛を押し進めるようにとお求めになられる。

ツインタワーへの9.11攻撃に関して、あるいは私たちが直面する可能性のあるすべての人生の悲劇に関して、この聖句は、我々皆が覚えておくべき驚くべき神の息吹のようなメッセージである。この聖句の乗っているページが鋼に融合されて安全にしかもハート型に保存されているように、この9.11聖書の言葉が願わくば、我々の心に焼き付けられるように。 イエスのように愛情を込めて物事や人々に対応できるように我々もそうあるように。困難に直面したときの行動をこのメッセージを思い出して考えられるように。

ツインタワーの瓦礫に見られる鋼と融合した9.11聖書についてもっと知りたい場合は、YouTubeでこの短い動画をご覧ください。 

 

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