ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ある看護師のつぶやき その3

2021-09-09 | 考え方

 

mitsloan.mit.edu

Fake(嘘)と Fact(真実)は似ても似つかぬもの。

 

 

 

「疲れ果てたICU看護師からクリスチャンの方々へ:『私は祈りに反対していません。ただ愚かにならぬようにしましょうではありませんか。』」

と言うタイトルで2021年8月30日に投稿されたあるSNSの記事が目に留まった。

 

「私はこれを投稿するつもりはありませんでしたが、何人かのどなたかが、私の持つ意見をどれだけ尊重しているかを私に伝えてくれたのです。自分の心を話さなければならないことに気づきました。たとえそれが人々を怒らせたとしても。以下がその私の意見で、私の気持ちです。

人はよく健康診断に医者に行きます。体調も気分もいいと思っていても、血圧の薬が必要だと医師から勧められた場合、その処方箋を受け取ります。そのかかりつけの医師は高血圧が知らぬうちに人を心臓発作の危険にさらすと言います。それで、人はその医師のアドバイスに従い、処方箋をもらい薬局で薬を買います。

あなたはその錠剤の成分を検索しますか? 『その錠剤に何が入っているのかわからないではないですか!』と医師に言いますか?

いいえ。人は主治医を信頼しています。医師は医学を修めたプロなのですから。だから高血圧は心臓発作や脳卒中を引き起こす可能性があるという研究に裏打ちされた医師のアドバイスと知識に従って、血圧の薬を服用します。

胸の痛みがあるときは、人は救急室に行きます。医療従事者の医師、看護師などに命を救ってもらうために彼らがする必要があることは何でもさせます。そして医師、看護師の他に、そうです、命を救うための薬の作成者をも信頼します。

あなたがクリスチャンだとしましょう。胸が痛いときは救急外来に行きませんか? あるいは、降圧剤摂取を開始するにあたり医師のアドバイスを受けませんか? あなたは、『神は私を心臓発作や脳卒中から守ってくれます。私はこの誤っている(に違いない)戯言に引っかかってはいません。』と言いますか?

いいえ、あなたはかかりつけの医師を信頼しています。病院を信頼しています。薬を信頼しています。あなたは教会堂で膝まづいて治癒を求める代わりに緊急虫垂切除術を受ける時でさえ、誰もあなたの主への信仰を疑うことはありません。

2020年に何が変わりましたか?

ソーシャルメディア。虚偽の情報。巨大で恐ろしいパンデミックによって引き起こされた完璧な嵐。人々が恐れ、自分自身と家族を守ることをコントロールできなくなったと感じ、感情的および経済的にプレッシャーにさらされているとき、彼らはバランスやコントロールを取り戻すのに役立つものは何でも受け入れるようになります。他の誰かを責め、実際に私たちを怖がらせるものから他の何かに注意をそらすことができれば、私たちはそれに飛びつきます。たとえば、Covid-19は悪くなく、左派(あるいは右派)政治家が悪い、と言うことや、そうです、Covid-19は本物ですが、本当のところそれは移民問題に発生しているのです、だとか。マスクは拡散を防がず(手術室のスタッフは細菌拡散を防ぐために長年マスクを使用しているのですが)、それは人権を奪うための単なる方法です、などと言うのです。

すべての人間の生命の神聖さに焦点を合わせるのではなく、私たちは自分の意見に合った統計に焦点を合わせます。

たとえば、Covid−19は「0.1%」の確率で致命的です(Youtubersがいつもそうしているように、それを真似て今私が作ったばかりの数字です)。それでは、実際の統計を見てみましょう。落雷に見舞われる可能性は0.0002%です。それでは雷雨の中で泳ぎますか?それとも、雷の鳴り響く間アイアンクラブを高く振り上げてゴルフコースに立ちますか? それは何故ダメなのでしょうか?! 雷に打たれる可能性は本当に低いのに!

それはあなたが愚かではないからです。落雷を避けるために必要なことをします。

あなたはかかりつけ医へ毎年の健康診断に行き、そしてあなたも身体の不調があるか否かを熱心にチェックすることさえします。

あなたはご自分のお子さんにポリオの予防接種を受けさせます。

あなたは本当に素晴らしい運転をなさいますが、シートベルトを着用しています。

あなたがクリスチャンであるなら、あなたはあなたを救うために神を信じていますが、あなたは対向車の前に出て行かないことを理解しています。神をそのように試してみるのは愚かだからでしょう。神様が笑顔で目を覚まし、『うわー、ビル、あなたがそうしたことをしたなんて本当に信じられません。私が地球上で私の目的のためにあなたに与えた船(助け)に感謝しなかったのですか?』

そして、私は今、神が私たちの何人かに『あなたはあなたの隣人の助けに感謝しませんか?』と尋ねているのだろうかと思わずにはいられません。

これまでのCovid−19渦での経験からわかるように、腰を落ち着ける間もなく、医療従事者は救命救急室で必死の救命作業を続けているのに、人々の上に述べたような部分がなかなか改善されていないのを目にする毎に壊滅的な気持ちに陥ります。Covid−19感染症からの癒しを求める祈りのリクエストは、ニュースフィードにどんどん出てくるのに、全てが無駄になっているのです。癒しや祈りに反対しているわけではありません。けれどもいくら祈りや癒しを声を上げても、それに伴うべき人々の言動があまりにもないのです。それが私はたまらなく嫌いなのです!私は、より良い予防接種率が、現在猛威を奮っているデルタ株を問題にさえしなかっただろうと本当に信じています。ほら、私はたった今そう言いました!

これまでのところ、私たちは科学を信頼していますが、科学だけで人々はその身を包むことはできません。私は何よりも神を愛し、天父が薬を作り、命を救う知識を持つ人間を創造したと信じています。私たちが長生きするとき、私たちは神の愛と真理をより多くの人々に到達させられます。医学を信じることは、あなたが信仰を欠いていると言っているのではありません。それは実際、神が人類に与えた知恵と知識への信念です。だから私は看護師なのです。生と死は神の手にあります、しかし時々神は人の生を続けるために私のような者を使用するのです。神からのギフトの一つとして。

だから、私はあなたが私のアドバイスを受けとることを祈ります。 私は一貫して御霊の中で祈り、神の真理に耳を傾けています。 私が神の御意志を求めるのではないのです。神の御心に耳を傾けない日は1日たりともありません。 私は迷わずワクチンを接種しました。 実際、私はそれを手にしたとき、幸せな涙を流しました。 主よ、私たちがこのウイルスと戦うのを助ける知識を科学者に与えてくれて感謝しています!と。

私の書いた気持ちを人々がどうお使いになり、どうなさるのかはわかりません。 また他に多くのことを言うかどうかも私はわかりません。 疲れすぎているのです。 嘘が真実よりもはるかに信じやすい今に、です。

心から、

疲れ果てている緊急救急室看護師より。」

 

Faithit.com

「あなたは愚か者ではありません」

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嵐に

2021-09-07 | 家族

ハリケーン「アイダ」に吹き飛ばされた(ように遠出した)二人。

 

 

フロリダ州に住んでいた頃に、大きなハリケーンアーマがフロリダ周辺を今にも襲いかかるかと言う時、三男一家は、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館群を訪問することに決めた。

住居は丈夫なコンクリートの集合住宅の二階だったので、家に籠もって激しく吹き荒ぶだろう雨風を窓から恐る恐る眺めるよりも、恐竜や絵画などを眺めたいと思ったからだった。ワシントンD.C.は晴天で一家は各モニュメントも訪ね、思いがけないヴァケイションを過ごせた。

今回の、ルイジアナ州に多大な被害をもたらし、熱帯性低気圧となっても東部州に大雨・洪水を起こした猛烈アイダは息子たちの住む州を多少掠めていく気配があった。その週の金曜日から夫はWeather Channel(気象チャンネル)をしょっちゅう観ては、三男一家のことを心配していた。日曜日に心配して携帯電話に連絡をした夫に、「今アトランタから戻るところなんだ。」と三男は言う。5歳の息子が、サンフランシスコ・ジャイアンツ球団の大ファンで、近隣のアトランタで試合があるのを知り、行きたがっていたので、と言う。

二人は早朝5時間半運転してアトランタの球場に到着し、ジョージアにも少なからずハリケーンの影響があるので、人影まばらな切符売り場に並んでいると、ある紳士が近づいてきて、切符を差し上げましょう、と申し出たと言う。

訝かしげな顔をした息子に紳士は、「XXX航空の特別企画で親子でお越しの方々への招待券です。席も前から二番目でして、お好きなお飲み物やお食事もどうぞ。すべて弊社からのプレゼントです。どうぞお楽しみください。」と信じがたい申し出、そして席まで案内もしてくれたそうだ。

きちんとお礼を述べて親子は、ありがたく食事を楽しみ、特等席で試合を親子で楽しんだと言う。肝心のジャイアンツは、ブレイブスに9対0で負けてしまい、残念、でも5歳児はとても喜んで観戦したそうである。

試合後再び5時間半かけて元来た道を運転し, 5歳との父子対話を楽しみながら帰宅した。何よりも一家みな無事でよかった。

そしてこの日曜日、教会は閉鎖され、息子たち多くの会員は隣の州ルイジアナへ救援活動に参加するため赴いた。コロナが猛威を振るおうが、反ワクチン者やノーマスク者が騒ごうが、自然が狂おうが、地球はいまだ周り、人々の人生は移ろうのである。この世は試練の場。花も嵐も踏み越えてせっかく観戦しに行っても、あっさり負けちゃうサンフランシスコ・ジャイアンツとて、これも人生なのである。できる時にできることをして、良い思い出を作りたい。何故なら、この世で作る思い出だけがあちらの世へのお土産になるのだから。

 

ハリケーン・アイダでは、ママとお留守番だった長女と次男。あなたたちのパパはこの次のハリケーンでどこへ飛ばされるのでしょうね?

 

 

 

 

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森へ行こう

2021-09-05 | 自然の中で

カリフォルニア州サンタクルーズのヘンリー・コウェル・レッドウッド公園にて

ちいちゃなちいちゃな孫息子たち。

 

 

今年も昨夏に続き、大火災でカリフォルニア州の森は燃えている。ネヴァダ州との境にあるレイク・タホ南の森林火災は、今日で何日目だろうか。鎮火はなかなか進まない。この火災による煙や塵芥は遥か東部州までへもたなびいていく。どうかこれ以上燃やされないように早く秋の冷たい空気になるように。

我が街から少し南東へ下がると、セコイア国立公園があり、その周辺で山火事が起こった時、公園の有名な「住民」である「ジェネラル・シャーマン」に燃え移らないことを人々は切に願い、消防隊もそうならないように防護したのはまだ記憶に新しい。ジェネラル・シャーマンは南北戦争時の北軍の将軍、ウィリアム・テカムサ・シャーマンにちなんで名付けられたセコイアデンドロンの巨木である。樹齢はおよそ2200余年で、1931年以来世界で一番大きな木と言われている。そんなところでの森林浴はどなたにもお勧めしたい。

 

シャーマン将軍のセコイア

 

さて、この夏、長女家族と次女夫婦は、別のカリフォルニア州のレッドウッドの森林公園やサンタ・クルーズの森林を訪問した。次女夫婦の訪ねた北部カリフォルニアの森林公園は、ビッグフット(サスカッチ)が俳諧し、多数目撃されたり、足跡が採集されたりして有名なところなので、二人が出かける前に、「それじゃ、ビッグフットの目撃写真の一、二枚お土産に撮ってきて頂戴」と頼んだ私。送られてきたのは、全然怖くない、ひどく次女の夫に似ているビッグフットだった。

 

 

Come forth into the light of things,
Let Nature be your teacher.

光のあふれる世に出て
自然を師となそう

と、かつて英国の自然賛美で知られる詩人ウイリアム・ワーズワースはその詩の中で書いた。文明開化が産業革命と手を取り合ってやってきた時代のワーズワースは、もうその時点で自然賛美を謳っていたのだ。

文明は確かに人に利便性と快適な生活を約束してくれるが、時にはあまりにそれが過ぎてもっとシンプルで純粋なものを欲するのが人間というものだ。そんな時ワーズワースの如くに、そして寺山修司の如くに、「書を捨て、町へ出よう」ではないが、「書を捨て、森へ行こう」となる。

特にパンデミック渦中にある今現在、新株ばかりふやすウィルスの森林を抜け出したい。ついでに私は書は捨てずに持参して森へ急ぎたいタイプである。そしてただの森ではなく、ビッグフットが出没する(希望的観測)レッドウッド森林へ行きたい。

ただひたすらレッドウッド・セコイアを見上げ、そばに座り、その香りを楽しみ、Darby O'Gill and the Little People(邦題:ダービーおじさんと不思議な小人たちー後に『四つの願い』となった)を大木の祠で待ってみたいものだ。

 

musingfromus.com

デイズニー映画化されたダービー・オギル

 

そんな森で木々から私が学びたいこととは:

  • 嵐を乗り越える強さ
  • 木々の社会の作成と協力の仕方
  • 束縛されない生活:自由
  • 独自性(針葉樹や常緑樹もあれば、広葉樹や落葉樹もある)を見つける
  • 適応と再生で自己回復
  • 背筋を伸ばして地に立つ:尊厳を持つ
  • 冬休み:休息
  • 持てる葉を広げて隠すものがない正直さ
  • 地に根を張り広める:自分の基礎を築く

 

それらを修めて、森から帰宅する時がきたら、もしかしたら、Covid-19は終息が早まり、誰もワクチンに対してああだ、こうだと争わなくなっているかもしれない。

あなたも書を捨てても、持ってでもどちらでも、とにかく森へ行こうではありませんか。

 

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何が大切なのか

2021-09-03 | 私の好きなこと

Norman Rockwell

 

 

 

子を育てることは大変な仕事である。私たちを囲む大抵の社会状況は、子供への注意や親の言うことや道徳などから反らせるために非常に多くの競争力を持って「しないほうが良いこと」や「できるなら知らない悪習」を与えようとし、「白は今や黒で、黒は今や白である」と言うようなことを喧伝して、子供たちをいかに横道へ行かせるか「戦っている」のである。そうした誘惑の結果が逆に成功しているかのように見え、子供たちを惑わすことがますます力を増している。本当に重要なことに集中して親が教え続けるのは難しいかのようにも見えることもある。

人気、運動能力、才能、ストレートA(オールAやつまり100点満点のオンパレード)を成功のベンチマークや、クールなこととして使用する文化では、そうしたこと以外の、思いやり、優しさ、共感、包括性を擁護し、親が教えて行きたいことはしばし困難にさえ感じる世の中である。

そんなある日ふと訪問したFacebookで、ヘザー・M・ジョーンズのことを知った私は、彼女が世界中の親たちを開眼させてくれる方だと確信した。

「今日、私はレストランでウェイトレスが運んでいた山のような汚れた使用済みの皿やカトラリーをうっかり落としてしまった時、それらを拾うのを手伝うために自分の席から即時に飛び上がって躊躇なく助けに行く子供を私は育てていることを知りました。

彼が良い成績をとっても構いません。

彼が人気があるかどうかは気にしません。

彼が才能があるかどうかは関係ありません。

彼がスポーツが得意かどうかは気にしていません。

彼が部屋をきれいに保っているかは重要ではありません。

彼が標準テストでどれほどうまくやっているかも気にしません。

彼が学校のスポーツ試合で主役であったり、最も多くのゴールを決めたり、大会で1位になったりしても、私は気にしません。

これらのことのどれもが私にはあまり重要ではありません。私は:

彼が偶然出会い頭に猫にぶつかったとき、真っ先にその猫に謝罪するかを私は気にします。

彼が小さな弟を出先のお手洗いに連れて行ってくれるかを気にします。

彼が苦労して稼いだお金を他人への心のこもったサプライズに費やしているのかが気になります。

彼がメモを書いて、彼がどれだけ相手を気にかけているかを人々に伝えるのかが気になります。

彼が一人で座っている子供を見て、遊びに誘うかが気になります。

彼が好意を持って他人に席を譲られるのか、あるいは敬意を表して立ち上がるかが気になります。

彼が自分の信念のために立ち上がるかが気になります。

動物や人が怪我をしたり、からかわれたりする不幸を「面白い」とするYouTube動画が嫌いであるかが気になります。

彼がテリー・フォックス*を自分の「お気に入りの」スーパーヒーローだと思っているかが気になります。

彼が他の人に挑戦し続けるように励ましているかを気に掛けています。

彼が深く感じ入り、無条件に人々を愛しているのかが気になります。

彼が助けを必要とする人に手、耳、そして肩を貸してくれることを気にしています。

そして、皿の落ちる音が鳴り響くのを聞き、頬を赤らめてウェイトレスが大慌てで、早く拾おうとしているのを見るや否や、彼の本能が、それを笑うことではなく、いち早く立ち上がり、床から汚れた皿を集め始められるかを気にしています。

そういう子を私は育てたいです。そういう人を世に送りたいです。そして、私が彼を私の子供と呼ぶことを誇りに思っている類の若い男性です。」

 

*テリー・フォックス(Terrance Stanley "Terry"Fox)(1958−1981)は、カナダの義足マラソン・ランナーとして知られる。1977年骨肉腫で右足を切断した後、癌研究資金を募るために、1980年4月12日、カナダ東部のニューファウンドランド州セントジョンズから 「希望のマラソン」を開始した。鉄のような固い意志で、北米大陸を横断し、西海岸のバンクーバー島のポートレンフリューを目指し、毎日フルマラソンと同じ42kmを走り続けた。目標は完走と100万ドルの募金を集めることだった。しかし143日目の9月1日5,373kmを走ったところで、癌の肺への転移のためオンタリオ州。サンダーベイ付近でマラソンを断念し入院。1981年6月28日、テリーは22歳の若さでこの世を去った。

ヒーロー。

 

 

 

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農夫とバケツ

2021-09-01 | 考え方

pinterestから。

 

 

 

このイラストレイションのメッセージは単純です:人がどんな「欠陥」を持っていても、その人はまだまだ自分の周りの人々にプラスの影響を与えることができます。

この短い物語はラッセル・ブランソンによって共有され、アーティストのライアン・スタイナーによって説明されています。

 

二つのバケツを持っている農夫がいました。

 

その人は毎日水場からその二つのバケツで水を汲んで家に持って行きました。

 

バケツの1つにひびが入っていて、継続的に水は漏れていました。

もう一つは、完全で決して一滴も水を漏らしませんでした。

 

時間が経つにつれて、ひびの入ったバケツは
漏れた水が悲しくなりました...

 

このバケツが悲しいことを知ったとき
農夫はバケツに一緒に散歩に行かないかと尋ねました。

 

彼らはいつもと同じ道を歩きました...

しかしこの時、農夫はその周りに生まれた
素晴らしい人生のすべてを指摘しました。

 

農夫はバケツに次のように説明しました
この美しさのすべて...は、バケツのおかげであり、

もしバケツが毎日水を漏らしていなかったら、植物は決して成長しなかっただろうと

 

バケツは気付きました、
自身の欠陥にもかかわらず...

彼は自分の周りを成長するよう助けていたことに。
彼自身がそうしていることに気づかなかったときに。

 

 

 

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