大分ご無沙汰しております。
7月末から在宅介護は、11月初旬に故人が亡くなるまで、沢山の方に助けて頂きながら過ごすことができた、貴重な3ヶ月でした。
故人との出逢いは、お客様と営業マンの関係でしたが、時に兄、時に父の様な存在で、幼かった息子と娘は孫のように可愛がって頂き、家族そのもののでした。
2年前から、相当具合が悪かった事を今年の春先に知りましたが、こちらが体調を崩していた事で、心配をかけまいと隠していた事を、近所の方から聞きました。
1番患っていたのは、肺と腎臓で、去年から入退院を繰り返し、肺を患っていた事から、入院時はコロナの関係で、毎回PCR検査を受け、1週間は個室。
面会が出来ない為、唯一の連絡手段が携帯だったので、検査後も、個室での入院生活で、普段は一切贅沢をしない故人の出費が入院費でした。
今年の6月半ばからの、1ヶ月半に及んだ入院で、主治医からもう長くはない見込みで、故人の希望で、施設等には行かずに自宅に帰りたい。
その希望を叶える為に、カンファレンスが開かれました。
最初に出た先生方の意見は、在宅介護は、故人の体力や独居の状況では難しいという判断でしたが、訪問看護、往診、ヘルパーさんで日中は対応をして、夜間に関しては、私が泊まり込む事で、在宅介護をする事になりました。
退院後は、故人はやはり自宅が1番と、食欲も戻り、頑張って元気になると、見違えるような意識変化と、担当医が驚くほどの状態になり、そのまま良い方向に行くのではないかと喜んでいましたが、蝕まれた多臓器は、悲鳴を上げながら踏ん張っていたんだと、最後に気付きました。
薬の副作用で、せん妄が酷くなり、夜中に何度も訪看さんに来て頂き、最後はせん妄が酷く、救急車を呼び、入院となりました。
亡くなる4日前に、面会禁止だったのですが、主治医から面会許可が下り、今回は、7月のような奇跡は臨めないので、極力一緒にいてあげて下さいと、配慮を頂き、最後は長い時間を一緒に過ごす事ができました。
亡くなった日の夜中に、病院から血圧が下がってきたので、早めに来られれば来て下さいと電話を頂き、病院に着いてから10時間後に亡くなりましたが、手を握り、話しかけながら最後を看取る事ができ、故人との約束を果たす事ができました。
49日までは、仕事がある日は、朝ご飯を供えカーテンを開け、帰りに夕ご飯を供え、カーテンを閉め、休みの日は、御免なさいをして、昼近くに寄り、夕方早めに帰る生活でした。
自宅に帰りたかった故人なので、49日に納骨はせずに自宅で年を越して、花粉症だったので、花粉の季節をずらして来年の納骨で、お寺さんの承諾を頂きました。
身内ではない私が、入退院、葬儀、諸手続きをするに当たり、遺言公正証書ですぐに通るもの、確認作業荷時間を要するもの等、レアケースで担当の方共々戸惑いながらも何とかやってきました。
まだまだやるべき事が山積みなので、年が明けたらひとつずつ対処していきます。
今回の経験で、医療従事者の方々、福祉事業者の方々に、沢山助けて頂き、支えて頂けたからこそ可能だった在宅介護でしたので、感謝の想いでいっぱいです。
本当に、ありがとうございました。