「黒い五月」の活動日誌

ティーカップから引っ越してきました。

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(2)

2016-06-25 20:14:00 | NPB
 (基本的に選手名は敬称略です。)

 前回、悲劇的な結末と表現しましたが、実際、当時なんて、ヘタすっとパ・リーグのスカウトなんて、なかなか相手にしてもらえなかったようですからね。

 前回も触れましたけど、西武も必死だったんですよ。
 当時、もうすでに黄金時代の入口まで来てましたけど、とはいえ、まだ球団を購入→福岡から所沢に移転して、まだ10年経って無かったということで、まだ、西鉄野武士軍団の名残というか、若干黒い霧事件の影がチラついていた時代でもありましたし、何せ84年オフには、全国区のスターだった田淵(幸一)さんが引退してましたから、次のスター候補を欲していたという事情も、1位指名という形になったのだと想像します。

 そして、翌年の96年シーズン、果たして清原は、期待以上の活躍を始めるのです。
 まさか、この年がほぼキャリアハイの成績になるとは、私も想像してませんでしたけど(苦笑)。

 当然、当時、東は巨人、西は阪神、あとは名古屋圏では中日一辺倒だったマスコミも、まあ、多少は取り上げざる得ませんわなあ……。
 
 そうそう、この年のオフ、落合博満三冠王がロッテから1対4のトレードで中日に移籍しちゃった(その時、代わりにロッテに入ってきた選手のうちの一人が、後に因縁の相手となる平沼定晴=現・中日用具係です)んで、ますます、清原の時代になりつつありました(というか、そうなるものだと多くの人が思っていた)。
 落合移籍の経緯については、要は、基本線、有藤監督が落合キライ&ロッテが給料を払いきれなくなりつつあったで、おおむね合っていると思われ。なお、その際、最初に移籍先の候補となったのは讀賣だったみたいですが、交換相手で折り合わなかった模様。
 主に近藤唯之ソースで非常なので怪しいですが、

 ロッテ「原、中畑、江川、西本のうち2人+α」
 讀賣「角か松本か篠塚+α」

 あ、この件に関しては当時、むしろロッテのフロントの方が叩かれてました。
 落合自体の評価も「パ・リーグだし」「セ・リーグでは未知数だし」という状況だったもんですから、その強気過ぎる(と当時は見えた)姿勢に批判が集まったものでした。
 で、中日は中日で、どっちかつーと、「落合が欲しい」というよりは「落合を巨人に獲らせたくない」という消極的な理由が動機だったようですけど。

 思えば、ロッテ球団の讀賣グループ、そして世間一般へ敵意を見せるキッカケになったのが、この一連の出来事だったような気がしてなりません。

 ところが、というかなんというか、
 この後、プロ野球界の神様の力でも働いたのか、パ・リーグには、その清原のライバル候補が入ってきます。(3へ続く)

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(1)

2016-06-25 19:33:00 | NPB
 そうそう、日本生命セ・パ交流戦というと、例年パ・リーグが強くて、今年もパの60勝47敗1分。
 ついでにいうと、今年まで12回行って、11回までがパ・リーグのチームが優勝or最高勝率。リーグ単位の成績でいくと、初期は競り合いの末に僅差がパに軍配が上がる感じだったのが、2010年辺りから、差が開く年が何度かあったりしたのですが、とにかく現行の18試合制のリーグ対抗戦形式になった昨年と今年は、フルボッコ状態。
 端的に云えば、過去、散々日陰の存在だったパ・リーグが意地を見せているのかも知れません。
 こういう顕著な差が出るからには、様々な要因が取りざたされることになるのですが、ここはちょっとここ四半世紀くらいを、パ・リーグサイドの視点で振り返りつつ、探りを入れてみようと思います。
 
 あ、基本、選手とかは敬称略で書きますので、そこのところはご了承くださいな。

 たぶん、ここからスタートするのが良いかなというのが、

 1985年11月20日――
 ホテルグランドパレスで開かれた新人選択会議、いわゆる、ドラフト会議ですね。
 この年は、阪神タイガースが日本一になったのですが、まあ、なんつーか、ちょっとした社会現象というか、そこら中トラトラトラ状態でした。
 
 本題に入ります。
 
 で、この年のドラフト会議の目玉といえば、まあ、今、白い粉関係で話題のあの人(おい)、PL学園高校の清原和博でした。とはいえ、基本的に清原は讀賣入り(さもなくば阪神)を熱望しており、それ以外なら社会人野球(確か日本生命)に進むものと思われてました。
 ところが、讀賣が1位で指名したのは、同じPL学園の桑田真澄だったんですね。
 当初、早稲田大学に進学を表明していたこともあり、いわゆる「一本釣り」の形になり、密約説も流れました。それで、その後、ダーティーなイメージが定着し、数々のマンガ家によって、ネタにされる存在になっていきます。
 その辺は、ここでは関係ないので、はしょりますよ。

 とにもかくにも、6球団(鷹公虎猫牛竜)の抽選の末、西武が交渉権獲得。
 けっこうすったもんだがあったとは思いますが、そこは何せ根本管理部長全盛当時の西武ですから、見事に契約にこぎつけたわけです。

 というわけで、周辺の期待とは裏腹に、80年代高校野球のスーパースター・KKコンビの一角が、暗黒時代真っ只中のパ・リーグの球団に獲られるという、当時としては悲劇的な結末になりました。 

生存報告というか

2016-06-25 19:30:00 | 日常生活
 先日、横浜スタジアムに行ってきました。
 人生初です。


 いやあ、最近は、イニング合間も色々やるから目を離す暇もないというか。
 スコアボードも昨年の交流戦で、柳田に破壊されたところをドット抜け処理しているあたり、芸が細かいというか(笑)。
 ついでに内野のネットも無いから、いやでもボールの動きに集中せざるを得ない。
 とりあえず、試合はファイターズの勝ち。
 少なくとも、観客席のファンに牽制球投げる時の癖を見抜かれるようだと、ベイの先発・砂川は先々少々厳しいか?

 実は、この交流戦期間中、2度ほど球場に足を運んでいるのですが、個々の選手の能力差とかゲームの流れ自体で、パ・リーグのチームとセ・リーグのチームでそれほどの差は感じず、競った内容になっていると思うのですが、ここという場面での力強さという面で、パ・リーグが上回っているのかな、という気がしますね。
 そりゃベイスターズサイドから見れば、レアードみたいな打ち方で、スタンドに持ってかれたら凹むでしょう。
 パ・リーグの球場では、日常の光景なんですが、何か?