そもそも「なぜ」やるのか。
子どもの「なぜ」に対して答えを持っていなければならない。
それは正解な答えではないかもしれないし、明日にはまた変わるものかもしれない。
でも、それを考えて自分なりに持っているのとそうでないは大きな違いがある。
ブレのない教育実践のために自分なりに考えていきたい。
まずは「なぜ学校に行くのか」である。
師匠は「背伸びするため」M先生は「意味を変えるため」とおっしゃっていた。
それを踏まえつつ私は『自分を変えるため(違う自分になるため)』としたい。
今日の自分が昨日とほんの少しでも違う自分になるため。
1時間の授業後、授業前の自分とは違っているように。
どう変わるのか。
教育基本法 第一条
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
とある。民主主義社会を形成しよりようしていこうとする国民の育成を目指すものである。
上記の教育の目的を踏まえつつ、目指すのは、共同体感覚を身につけることである、と考える。
学級、学年、学校、また地域や家庭、その共同体の一員として共同体とそのメンバーの関心に関心をもち、所属感、貢献感、共感、信頼感をもてるよう、その能力を身につけられるようにしたい。
そのためにも自他を「勇気づける」ことができるように変わることも大切だと思う。
私の学校に来るのは『自分を変えるため(違う自分になるため)』はまだまだ薄っぺらである。
共同体感覚や民主主義、社会性など、根本となるような言葉や理論について学びを積み重ね、『自分を変えるため(違う自分になるため)』をもっともっと分厚くしていきたいと思う。
子どもの「なぜ」に対して答えを持っていなければならない。
それは正解な答えではないかもしれないし、明日にはまた変わるものかもしれない。
でも、それを考えて自分なりに持っているのとそうでないは大きな違いがある。
ブレのない教育実践のために自分なりに考えていきたい。
まずは「なぜ学校に行くのか」である。
師匠は「背伸びするため」M先生は「意味を変えるため」とおっしゃっていた。
それを踏まえつつ私は『自分を変えるため(違う自分になるため)』としたい。
今日の自分が昨日とほんの少しでも違う自分になるため。
1時間の授業後、授業前の自分とは違っているように。
どう変わるのか。
教育基本法 第一条
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
とある。民主主義社会を形成しよりようしていこうとする国民の育成を目指すものである。
上記の教育の目的を踏まえつつ、目指すのは、共同体感覚を身につけることである、と考える。
学級、学年、学校、また地域や家庭、その共同体の一員として共同体とそのメンバーの関心に関心をもち、所属感、貢献感、共感、信頼感をもてるよう、その能力を身につけられるようにしたい。
そのためにも自他を「勇気づける」ことができるように変わることも大切だと思う。
私の学校に来るのは『自分を変えるため(違う自分になるため)』はまだまだ薄っぺらである。
共同体感覚や民主主義、社会性など、根本となるような言葉や理論について学びを積み重ね、『自分を変えるため(違う自分になるため)』をもっともっと分厚くしていきたいと思う。