この週末、寒い。風も強い。
北海道では雪が降っているらしい。
風邪引かないように気を付けなければ。
豚インフルエンザとやらが、メキシコあたりで流行り、死者も出ているらしい。怖い。
『いじめの構造』内藤朝雄 (講談社現代新書 2009)
「いじめ」はなくならないのか。
自分と考え方や波長が合う人と合わない人、生理的に好ましいと感じる人とそうでない人はいるだろう。でも、それがいじめにつながっていくのはおかしい。島国で外国の方との関わりもまだ少なく、「空気を読め」「世間様に顔向けできない」などと語られる日本は、いじめのおきやすい風土なのかもしれない。でも、自分が自分の子孫が生きていく世界がいじめが起きて当たり前の世界だなんて、恐ろしい。
いじめによる自殺の報道がなされるたびにいじめ問題が大きく取り上げられ、学校現場には指導強化の働きかけがなされる。現場の先生方がきめ細かな指導を日々積み重ねているがゼロにはなっていかない。でも、学校の役割は大きい。学校のあり方や制度の見直しをする部分もあるだろうけれど、学校は担っている役割の大きさを自覚し、あきらめてはいけないと思う。いじめの構造を知り、効果的な指導をすることができれば自由な社会実現に少しでも近付くのではないだろうか。
学校というところが「いじめ」の発生しやすい構造になっていることがわかる。学校では「群生秩序」という、「いま・ここ」のノリがその集団の秩序になってしまいやすい。そこでは、そのノリに乗ることができない者は攻撃の対象となってしまうのである。内藤さんは「学級制度の廃止」を提案している。閉じられた空間に閉じられた人間関係ができあがってしまい、凝集性や同調圧力が異常に高まることが問題だとしている。私は中学校以上の学校での学級制度の廃止はいいかもしれないと思った。中学生はものの見方・考え方といったライフスタイルがほぼ確立している。学級という枠を取っ払って、開かれた状態に身を置き、自分で人間関係を築くことはできないどろうか。いろいろな人と折り合いをつけながら生活できる力をつけることにもなるだろう。中学校、高校を卒業すると囚われの人間関係から抜け出すことができてホッとするといったような話も聞く。大学でのいじめというのもあまり聞かない。ただ、これまで脈々と続けられてきた学級制度にもメリットと理由があるのだろうから、そっち側の意見にも耳を傾け、双方を自分の中に入れて考えていかなければならないと思う。
とはいえ、私は小学校では学級制度を支持したい。児童の人間関係づくりの基礎となる力を育成するという側面があるからである。また、様々な人と関わってうまくおりあいをつけていくスキルをそこで身につけていくことも必要だと考える。共同体の一員として、みんな仲良くべったりではなく、お互いの違いを認め合い尊敬できるようにし、人間関係づくりのスキルを身につけた上で、中学校に進学することができればいい。そうすれば、もしそこに学級制度が無くても、そこで身につけたことを実践することができるだろう。
少し難しかったが、自分にとって有用な話題、衝撃的な内容で、とても考えさせられた。
北海道では雪が降っているらしい。
風邪引かないように気を付けなければ。
豚インフルエンザとやらが、メキシコあたりで流行り、死者も出ているらしい。怖い。
『いじめの構造』内藤朝雄 (講談社現代新書 2009)
「いじめ」はなくならないのか。
自分と考え方や波長が合う人と合わない人、生理的に好ましいと感じる人とそうでない人はいるだろう。でも、それがいじめにつながっていくのはおかしい。島国で外国の方との関わりもまだ少なく、「空気を読め」「世間様に顔向けできない」などと語られる日本は、いじめのおきやすい風土なのかもしれない。でも、自分が自分の子孫が生きていく世界がいじめが起きて当たり前の世界だなんて、恐ろしい。
いじめによる自殺の報道がなされるたびにいじめ問題が大きく取り上げられ、学校現場には指導強化の働きかけがなされる。現場の先生方がきめ細かな指導を日々積み重ねているがゼロにはなっていかない。でも、学校の役割は大きい。学校のあり方や制度の見直しをする部分もあるだろうけれど、学校は担っている役割の大きさを自覚し、あきらめてはいけないと思う。いじめの構造を知り、効果的な指導をすることができれば自由な社会実現に少しでも近付くのではないだろうか。
学校というところが「いじめ」の発生しやすい構造になっていることがわかる。学校では「群生秩序」という、「いま・ここ」のノリがその集団の秩序になってしまいやすい。そこでは、そのノリに乗ることができない者は攻撃の対象となってしまうのである。内藤さんは「学級制度の廃止」を提案している。閉じられた空間に閉じられた人間関係ができあがってしまい、凝集性や同調圧力が異常に高まることが問題だとしている。私は中学校以上の学校での学級制度の廃止はいいかもしれないと思った。中学生はものの見方・考え方といったライフスタイルがほぼ確立している。学級という枠を取っ払って、開かれた状態に身を置き、自分で人間関係を築くことはできないどろうか。いろいろな人と折り合いをつけながら生活できる力をつけることにもなるだろう。中学校、高校を卒業すると囚われの人間関係から抜け出すことができてホッとするといったような話も聞く。大学でのいじめというのもあまり聞かない。ただ、これまで脈々と続けられてきた学級制度にもメリットと理由があるのだろうから、そっち側の意見にも耳を傾け、双方を自分の中に入れて考えていかなければならないと思う。
とはいえ、私は小学校では学級制度を支持したい。児童の人間関係づくりの基礎となる力を育成するという側面があるからである。また、様々な人と関わってうまくおりあいをつけていくスキルをそこで身につけていくことも必要だと考える。共同体の一員として、みんな仲良くべったりではなく、お互いの違いを認め合い尊敬できるようにし、人間関係づくりのスキルを身につけた上で、中学校に進学することができればいい。そうすれば、もしそこに学級制度が無くても、そこで身につけたことを実践することができるだろう。
少し難しかったが、自分にとって有用な話題、衝撃的な内容で、とても考えさせられた。