『なぞめいた女』
新潮文庫、番号36、『ボッコちゃん』収録。
記憶という物には、客観的な証拠能力がない。
今回のショートショートを端的に述べるとこうなる。
その人の人生の記憶というのは、どこまで行っても自己申告でしか表せない。
「私は記憶喪失です」と表明されたら、周りはそれを受け入れるしかない。
たとえ、それが嘘でも、少なくとも医学的に見破る方法はない。
もっとも、ごく親しい身内や仲間が探りを入れれば、違う展開も充分起こるだろう。
ところで、身元不明の記憶喪失者というのは、確かにありふれた物では決してない。
かと言って、そこまでとんでもなく珍しい物でもない。
ネットで検索する分には、幾らか記事がヒットする。
テレビ番組などで、特集が組まれる事もある。
もし記憶喪失になった人が実際に発見された場合、対処するマニュアルはある程度存在する。取りあえず警察や自治体の管轄となる。
生活基盤は生活保護で賄う事が出来る。
戸籍を再取得する事も不可能ではないという。
しかし、だからと言って、安易に記憶喪失者を名乗るのはリスクが高すぎる。
本作の警察は誠にのんびりしていたから良かったものの、もし上記のようなマニュアルに従って迅速に処理されていたら、彼女も「なぞめいた女」でいるどころではなかっただろう。
各所からお叱りを受けるオチの方が、あり得そうだ。ご用心、ご用心。
それでは。また次回。