リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

292. 17回目のドイツ旅行(20) 寂しくなったヴュルツブルク

2023年02月03日 | 旅行

▶今日からヴュルツブルクに3泊します。



ホテル・レギーナからの眺望 右奥がヴュルツブルク中央駅、白いビルは郵便局、郵便局前の広場はバスターミナルです。


▶ヴュルツブルク中央駅前の様変わりに驚きました。

 ヴュルツブルク中央駅でも大分長いこと工事が続いていましたが、今回下り立ってみて駅周辺の大きな様変わりに驚きました。ちょうど上に載せた駅前の写真からはみ出してしまった右側にユダヤの人々を悼む記念碑が4枚と、モニュメントが出来上がろうとするところだったのです。戦後77年経って未だにこうして戦争への加害の立場に立った反省の姿勢を見せ続けるドイツという国には本当に頭が下がります。
 記念碑には、このウンターフランケンで1941年から44年の間に2064名のユダヤ人が集められ、そのうちの63名だけが生還できたこと、彼らをどのように集め、どこの駅からどこの収容所へ送り出したのか、財産をどのように奪ったのか、逃げようとしたものは射殺されたりガス室に送られたりしたことなどが書かれています。更に1933年には既に身体障害者や病人が虐殺されていたことにも触れ、「私たちはあなた方のことを忘れません」と決意を述べています。そのモニュメントの写真を以下に6枚掲載しておきます。

 

      

 

 
4枚のユダヤ記念碑とモニュメントの一部



◆2022年9月21日(水曜日)4226歩
 この日はエルケさんがくれた食材で美味しいサンドイッチを作り、朝食を取りました。残った分はお昼のお弁当です。寒い中をアパートまで来てアイゼナハ駅まで送ってきてくれたエルケさんとハグしてお別れ。たくさん話せて良かったとつくづく思いました。
 そのときに「これ、持って行って」と渡されたのが例の「修道女の塗り薬」です。心から感謝していただきました。足の動きはアイゼナハに着いたときに較べるとずっとよくなってきましたが、いつまた痛むかわかりませんから心強い守り神です。

 満員列車でヴュルツブルクに向かいました。途中フルダで乗り換えがありましたが、1時間半ほど立ちっぱなし。でも守り神をエルケさんからもらったので気持ちも軽くなっていました。

 ここヴュルツブルクでも一番の目的はお世話になりっぱなしだったペーターのお墓参りでした。私たちが中央駅に着くと必ず迎えに来てくれていて、宿まで車で送ってくれたペーター。彼の姿のない駅に降り立つのは何とも寂しいものでした。

 ペーター・シュミットさんとは1999年に初めてマインフランケン博物館で会いました。ペーターさんはリーメンシュナイダー作品の広間で監視員をしていたのですが、熱心にリーメンシュナイダー作品を見ている2人の日本人に興味を抱いた彼は私に声をかけてきたのでした。そのときに三津夫が写してくれた写真を以前にもこのブログに載せたことがあると思いますが、ここにもう一度載せておきます。


リーメンシュナイダーの作品前で ペーター・シュミットさんと初めてあった日に。

 翌年再びフランケン博物館を訪ねて彼と会い、やっと彼の名前を聞いて、帰国後に一緒に写した写真を郵便で送ってから文通が始まりました。
 そのうちお家にも招かれるようになってヴュルツブルクに行けばいつもペーターがいました。2019年にも私は彼と3回会いました。8月に病院で会ったときは足の手術を終え、痛みがとれたよと輝く笑顔だったペーター。退院してリハビリをしていると聞いていたのにあっけなく脳出血で亡くなってしまったと聞いたときは寂しくてたまりませんでした。ペーターとは20年間のお付き合いでした。
お連れ合いのイングリッドとも何回もお宅で会ってご馳走になりました。そうした2人の親切へのお礼に、私たちはヴュルツブルクを去る前の日にはいつもマイン川沿いのレストランでお寿司を一緒に食べました。今回も彼女にお墓参りに行ってからご馳走しようと思っていたのですが、イングリッドはメールのやりとりをしない人なので、私は息子のペーターとメールで連絡を取っていました。息子さんの伝言で、ヴュルツブルクに着いたらまず電話して欲しいとのことでした。


▶見直したホテル・レギーナ

 駅の正面に見えるホテル・レギーナにはドイツ旅行の最初の頃よく泊まったのですが、一時期朝食も簡素になり、近くのレストランからタバコの煙が上がってきたりしたので、他のホテルをいろいろと泊まって試して回りました。結局ここならと言えるような、立地も料金も内容もよいホテルは見つけられず、それならこの年だとやはり立地が最重要要件だねとなって、今年はホテル・レギーナに戻ってきたのです。車が動かせるのであれば以前泊まったアパートメントは大変住みやすかったのですが、バスに乗っての往復しかできないので、今回はやめておきました。
  
 ホテル・レギーナに着くと、オーナーさんが来てさっさと大きなトランクを玄関の中まで運んでくれました。にこやかで親切なのでホッとしました。まだもっと若い頃のオーナーさんはここまで親切な印象ではありませんでしたので見直しました。一旦トランクを預けてお昼のお弁当を食べに駅前の緑地に行きました。先程書いたユダヤの記念碑の裏側です。ここでチェックインできるまでをゆっくり過ごしました。

 ようやく与えられた4階の部屋に入ったところ、今までで一番広く、トランクも十分に広げられるではありませんか。窓を開けると遠く丘の上まで見渡せます。その景色の一枚が三津夫が写したトップの写真です。
 荷物を納めた後、ペーターのお連れ合い、イングリッドに
電話を入れました。すると金曜日の午後3時に墓地の入口で落ち合うことになりました。ヴュルツブルク滞在の最後の日です。
 あとは町に出てゆっくり3日分の食材とビールを買い込みました。これで朝食は整えられます。今日は体力に余裕があればフランケン博物館-ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館(以下フランケン博物館と省略して書きます)に行っても良いと思っていたのですが、まだ足腰の痛みが残っているので今日は無理をしないことにしたのでした。


 さて、明日は聖マグダレーナ祭壇のあるミュンナーシュタットに行ってからバンベルクまで足を伸ばします。『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』でマグダレーナ祭壇の写真掲載を快く許可くださった牧師さんにもお目にかかれそうですが、まだ最終のお返事が届いていないのが若干気になります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする