リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

294. 17回目のドイツ旅行(22) 懐かしいフランケン博物館へ

2023年02月05日 | 旅行

▶22回目のフランケン博物館訪問


フランケン博物館(美術館・博物館⑯)


▶今日は午前中に懐かしいフランケン博物館(美術館・博物館⑯)を訪ねました。

 今日のイングリッドとの約束は午後3時です。それまでの間に懐かしいフランケン博物館で変わりはないか確認しに行くことにしていました。最初の頃はマイン川を越えた先でトラムを降り、その先の案内札から小道に入り、ずっと坂を上がってマリエンベルクまで歩いて行っていました。城塞の麓についても、更にトンネルをくぐり、ようやくフランケン博物館までたどり着くので、結構疲れたものです。でも今日は私の足腰の状態では歩きで上がるのは辛いので、バスがないか調べるところから始まりました。

 

◆2022年9月23日(金曜日)11403歩
 朝食を取ってから、まずはホテルの前のトラムステーションで一日券を買いました。2人で1日乗り放題で6.4ユーロでした。午後は墓地まで行くし、十分元が取れる便利でありがたい切符です。
 次に、ヴュルツブルク中央駅まで行ってバスの路線図を調べてみたところ、観光時期の4月から10月までは、マリエンベルクのトンネルの先まで行ってくれるミニバスが Festung (マリエンベルク要塞のこと)まで走っていることを知りました。
そのバスは 世界遺産のレジデンツの側にあるResidenzplatz から出発し、Juliuspromenade を経由してマイン川を越え、終点の停留所である Schönborntor に停まるのです。私たちはユリウス・プロメ(ム?)ナーデでしばらくバスを待ち、シェーンボルントアに10時25分頃着きました。バスはその後数分でまたレジデンツプラッツまで戻っていくのです。主な観光名所を結んでいるバスなのですね。シェーンボルントアからほんの少し最後の坂道を上がるだけでフランケン博物館のある一角にたどり着きます。



ユリウスプロメナーデのバス時刻表


マリエンベルク要塞下のバス停


フランケン博物館のすぐ下まで行ってくれる9番のバス 


▶今日で22回目となるフランケン博物館

 コロナ禍でドイツ旅行ができなかったときにペーターが送ってくれた新聞記事で、フランケン博物館は「リーメンシュナイダーからミッキーマウスまで」という内容に変わっていく予定だと書かれていたので、もう変わりつつあるかもしれないと不安でしたが、幸いリーメンシュナイダーの作品が並ぶ広間は変わりありませんでした。増えている作品もおそらくなかったと思いますが、ここからなくなっている作品も多分なかったと思います。1999年にここへ来て、ペーターと初めて拙いドイツ語を交わしたことを思い出しました。

 ただ、この部屋を出てからはずいぶん大きな変化がありました。私が好きな砂岩の大きな彫刻群「ゲッセマネの眠れる使徒ペテロ、ヤコブ、ヨハネ」が見当たりませんでした。その前に大きな衝立のようなものが置かれていたので、今後移す予定なのか、もう移されたのかわかりませんでした。またぐるっと回って最後の1階に戻ると、そこには昔使っていた大きな葡萄酒を絞る機械のようなものが何台かあって歴史を感じたものでしたが取り払われていたようです。一時的に他に移されたのかもしれません。
 残念だったのは、売店の品物にずいぶん簡易な小物が増えていたことでした。そして順路をとても厳しく指定し、最初にトイレに行きたかった私たちは逆ルートになるため注意されてしまいました。2階でトイレを済ませた後は本来戻らなければいけなかったのですが、三津夫は「自分で好きな順序で回る権利があるんだ」と言ってそのままリーメンシュナイダーの部屋に行ったのです。そこからずっと逆コースを辿ったのでどの部屋でも厳しい顔で見られ、2回も注意されて、私は謝りながら身がすくむ思いでした。以前はこんなことはなかったので、何だか職員の表情にも全体にゆったりした良さが失われてきている感じがして、寂しさを感じました。


▶イングリッドとの再会

 午後3時に墓地に着くには2時23分のバスに乗らなければなりません。フランケン博物館を出てから駅でサンドイッチを買い、部屋でゆっくり食べました。
 一休みしてから駅前の花屋さんに行ってバラとかすみ草の花束を作ってもらいました。バスに乗って順調に Friedhof に着いたらどうも見慣れた足取りのイングリッドが前を歩いていたのです。後ろからそっと行って彼女の腕を取ったらびっくりしていました。イングリッドは足が痛むためにゆっくりと歩くので、腕を組んだまま墓地の中に入りました。入口からも結構歩きました。私が持って来た花束は土に挿す花瓶がないと供えられないと、ちょっと困った顔のイングリッド。でも近くのお墓の側で投げ出されていた花挿しがあったので借りて水を汲んで持って行くとホッとしていました。花が枯れたら返すからと言われて、元あった場所を伝えておきました。



ペーターのお墓にご挨拶 下は三津夫とイングリッド


 その後、夜はお寿司を一緒に食べましょうと誘いましたが、イングリッドはしきりに今からドーム・カフェに行ってお茶を飲むと言います。ここはイングリッドが払うからと。そこでまずはキリアン大聖堂の隣にあるドーム・カフェに行きました。最初にケーキを選び、その後テーブルで待っていると、そのケーキを持って注文を取りに来てくれます。私たちも珈琲を頼みました。
 そこでいろいろ話しましたが、イングリッドは早口なので私はいつも十分聞き取れないところがあります。わかったことは、イングリッドにはシルバーパスがあるので、お天気のよい日はお墓参りに来るのだそうです。また週に一度は同じアパートの仲の良いお友だちとドームカフェに来てお喋りするのが楽しみなのだそうです。
 お茶とケーキをいただきながら、5冊目の写真集に載せたペーターの写真を見せたり、去年送って戻ってきてしまったクリスマスカードを渡したり、ペーターに書いてきたカードを渡したり。ペーターの最後の夜のことは今も何度も思い出すと言っていました。夜中にバスルームに行ってからなかなか戻ってこなくて…と、悲しそうでした。今まではどこに行くにもペーターが送り迎えしていたのですが、その支えがなくなって大変な思いをしていることでしょう。でもずっと仲良くしていたお友だちの存在があって本当に助けられているようです。
 最後にもう一度お寿司を食べに行きましょうと誘ったのですが、私はもっとここでゆっくりしたいし、このあと町を散歩したいからと言うので、諦めてお別れしました。もっと強く強引にお誘いしたら受けてくれたのかしら…それともペーターとの思い出が蘇って辛いのかなぁ…と心残りです。


▶私たちは明日ここを発ちます。

 イングリッドとの夕食は実現できなかったので、残った数時間でヴュルツブルクの町のおさらいをするようにキリアン大聖堂、ノイミュンスター、マリア礼拝堂(順に教会・修道院⑳ ㉑ ㉒)と巡りました。マリア礼拝堂には何回来たという記録を付けるのも無理なほど、留学中にもその後の一人旅でも、何度も入っては「騎士コンラート・フォン・シャウムベルク碑銘彫刻」を眺めてきました。
 独身だったコンラートは1499年に旅に出る前に財産関係の書類と遺言状を市に委託し、「碑銘彫刻をマリア礼拝堂に設置して欲しい」と依頼して出かけたそうです。きっとリーメンシュナイダーは彼と面識もあったでしょうし、彼の出かける姿を思い描きながら彫ったのでしょう。その深い表情は哲学者のようで、見ているとなぜか心が鎮まる彫刻です。


「騎士コンラート・フォン・シャウムベルク碑銘彫刻」(緑) マリア礼拝堂 1502年


 明日はローテンブルクに寄ってから90歳になったフリーデルに会いに行きます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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