リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

307. 17回目のドイツ旅行(35) ウィーナー・ノイシュタットは空振りでした。

2023年02月18日 | 旅行

▶今日から自炊生活が始まりました。


ウィーン、シュテファン大聖堂(教会・修道院㊺) 


▶今日はウィーンの2日目。

 今日の目的はオーストリアで見たい作品
  2)ウィーナー・ノイシュタットでゲルハールトの「皇妃エレオノーレの墓碑」を見ること
  3)
シュテファン大聖堂でゲルハールトの「皇帝フリードリッヒⅢ世墓碑の上板」を見ること
でした。

 どちらの墓碑もニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンが関わった墓碑ですが、そのいきさつは『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』(88~89頁)に書きました。
 ゲルハールトは皇帝フリードリッヒⅢ世に何度も手紙で催促されて、抱えていた仕事にようやく区切りをつけて、1467年9月3日にストラスブールからウィーナー・ノイシュタットに向かったようです。皇帝はゲルハールトに皇妃エレオノーレを何とか一目会わせたかったのでしょうけれど(私の勝手な推察ですが)、当時の旅で何日かかったかわからないとしても皇妃は彼の出発予定日の9月3日に亡くなっているため、無理だったと思われます。
 皇妃の墓碑は1470年頃に仕上げてウィーナー・ノイシュタットのノイクロスターに納められました。皇帝の墓碑も1467年頃から制作し始めたようですが、1473年に上板を完成させたところでゲルハールトは亡くなってしまいました。残りは工房の弟子や職人たちが仕上げたようです。これだけ大きな墓碑(写真・下)だと最初からシュテファン大聖堂内で作ったものでしょうか。その辺のことはカタログにも書かれていない(読み取れていないだけかもしれませんが)のでわかりません。もしかしたらウィーナー・ノイシュタットで両方とも制作されて、出来上がった皇帝の墓碑がウィーンまで運ばれたものか、タイムマシンがあったら乗って見に行きたいものです。
 その両方の墓碑を見たくてこの日にまずはウィーナー・ノイシュタットに出かけたのでした。

◆2022年10月6日(木曜日)14590歩
 朝6時頃に目覚めてゆっくり朝食の準備に取りかかりました。
 まずはレタスの外側の葉っぱをベーコンで炒めるつもりでした。フライパンをコンロの上に置いただけで「ピピッ」と音がするのでびっくり。電源を入れたら反応するというコンロがほとんどだと思っていましたから壊れているのかと慌てました。その後あれこれ試して、電源を入れる→どちらのコンロを使うか選ぶ→「+」「ー」の記号で火力を調整するという流れがわかりました。トースターも使ってパンを焼き、珈琲メーカーは使い方がわからないので手差しの珈琲パックで入れました。お湯は湯沸かしポットを持ち歩いているので問題無し。手間がかかりましたが、何とか朝食が整いました。やはり火が入った食べ物は美味しく感じます。お昼のサンドイッチも作りました。
 

 ウィーン中央駅からウィーナー・ノイシュタットまで列車で30分。ここは小さな町で、駅のそばはありふれた町並みでした。少し迷いながら旧市街に行くとノイクロスターがありました。中にはゲルハールトが制作した墓碑があるはずですがわかりません。入口で1冊だけ置いてあった雑誌で確かめて位置を確認したのですが、どうしてもそこには見当たりません。中央左手に大きな木のドアがあり、どうやらその奥にあるようなのですが、鍵がかかっているのです。来る前に連絡を取っておけばよかったと後悔しました。外を一周回ってみたのですが関係者らしき姿もなく、事務所も見当たらないので諦めて帰ってきました。





ウィーナー・ノイシュタット、ノイクロスター(教会・修道院㊹) 
 目についた聖母子像(詳細はわかりません。 写真:緑)


▶次はウィーンの旧市街へ。

 結局ノイクロスターは空振りに終わりましたので一度ホテルに戻り、持って行って持ち帰ったサンドイッチを食べました。時間が経っても美味しかったのは嬉しいことです。
 旧市街までは歩くと結構あるので、ユーレイルパスで無料で乗れる S バーンに乗りました。3つめの Wien Mitteで下車、少し歩くとシュテファン大聖堂(教会・修道院㊺)の塔が見えてきます。大聖堂の横には観光客を待つ馬車が何台かとまっていて、馬がおとなしく整列していました。


 大聖堂に入るとフリードリッヒⅢ世の墓碑は公開されていましたが、柵で囲われていて近くで写真を撮るためにはガイド付きのツアーに入らなければなりませんでした。せっかく来たのだからとそのツアー料金を2人で12ユーロ払ってイヤホンで日本語のガイドを聴きながら回りました。いくつもの作品を巡るので、じっくり聞いて撮影していると結構時間がかかります。でも残念ながらこの皇帝の墓碑も、ゲルハールトが彫った「上板」を見ることは叶いませんでした。柱にその写真(下)は掲載されていましたけれど。ただ、ゲルハールトの周辺作家と言われる彫刻家の自刻像(と言っていたと思います)がありました。

 このあと大聖堂のすぐ側にある大聖堂博物館(美術館・博物館㉓)に入ってみましたが、あまり目を惹かれるものはなく残念でした。


ウィーン、シュテファン大聖堂 「皇帝フリードリッヒⅢ世墓碑」 
 ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンと工房 1467~1473, 16世紀初め



「皇帝フリードリッヒⅢ世墓碑」の上板(写真) ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン
 

シュテファン大聖堂内の説教壇 ゲルハールト周辺作家 (3枚とも 写真:三津夫)


▶両替所にチェコ・コルナを置いていない!?

 今日の目的の半分を達成して中央駅に戻ってきました。駅のホテル側にも大きなスーパーがあるのを見つけ、お米も売られていたので買って帰りました。夜はご飯を炊いてみます。

 でもその前に、明日はチェコにあるアダモフという町に出かけるため、何としてもチェコ・コルナに両替をしておきたかったので、昨日聞いた Wester Union という両替所に行きました。銀行なのかと思っていたらとても小さな両替所で女性が2人で受付をしています。私が日本円をチェコ・コルナとユーロに両替したいというと、「一万円札を見たのは初めて」なので本物かどうか確かめると言ってずいぶん時間を取られました。ここはウィーンですが、下町の両替所だからでしょうか。透かしてみたり、同僚に聞いたりしても誰も知らないようで、電話でどこかに確認したりしてようやく「ユーロに替えるのはできるけど、チェコのお金は扱っていない」と言われたのでした。隣国の通貨なのに扱っていないのかと驚いたのですが、日本で替えてくれば良かったと思いながらユーロだけ交換してもらいました。
 
今回は47日間の2人旅(2人旅では最長)でしたので、今までの旅と較べてどの位費用がかかるのかという目処が立ちにくかったのです。次回からゆとりを持って両替しておこうと思いました。ネットバンキングなどしている人ならユーロの調達も簡単なのかもしれませんが、私はおっちょこちょいなのでスマホを落としたりしたら大変だと、スマホでお金を扱うことは避けています。今後も辞めておいた方が賢明だと思うので仕方がありません。

 

▶オーストリアで初めてのご飯を炊きました。

 アイゼナハで一度ご飯を炊きましたが、オーストリアで初めてのご飯を炊いてみました。お鍋を置いてから火の具合をコントロールするのに難しく、炊き上がるまで時間がかかったので三津夫はお冠。おかずは何を作ったのだか日記に書いていないため思い出せませんが、何とか食べられたのでしょう。終わり良ければすべて良し。

 さあ、明日はいよいよチェコまで出かけます。この旅で一番の冒険の日となる予感。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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