飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

この時期に確認すべきこと

2024年04月20日 05時11分59秒 | 学級経営
教師と子供の関係は対等ではない。
人間的、人権的にはもちろん平等であるが、教室の中では教えられる子どもと教える教師の関係は普遍である。
この時期に教室の中でざわつきがあったり、指示の徹底ができていなかったすることはないだろうか。
不適切な言動はないだろうか。
もちろん、人間だから一時的にはあるだろうが、すぐに正常に戻ることができれば正常である。

1 きちんと子供を叱れているか。
サッカーの試合に例えればわかる。
自分もバスケットボールの審判を長年務めてきたのでわかるが、ゲームをコントロールするのは審判である。
審判の笛一つでゲームの雰囲気は一変する。
頼りない笛の吹き方をすれば、選手のラフプレーは増える。
逆に毅然たる態度で一貫性、メリハリのある笛を吹けば、選手はルールに則って、フェアプレーで試合を進める。
サッカーでの危険なプレーに対してはイエローカードやレッドカードが出される。
そして、イエローカードが出れば、次には退場になるので自粛してプレーすることになる。
それと同じように、教室の中で不適切な言動がありながら叱らないというのは、怪我につながるようなプレーをしたり、著しくルールに反する行動をしてもイエローが出ないという状態と同じである。
周りの選手は、「ああ、あれくらいやっても咎められないのだ。」という考えをもつ。
そしたら、みんな同じプレーをするようになる。
教室の子どもたちも全く同じ。
自信を持って、「○○はやめなさい。」「○○はいけません。」と叱ることが大事である。
決して、「それでいいのかな。」「それってどうかと思う。」のような疑問形では叱らないこと。
これは自信のないふえと一緒で、集団における教師の権威をさらに失墜することになる。
もちろん、叱ると褒めるのバランスは忘れずに。

2 すぐに謝っていないか。
自信がないので、枕詞のように「すみません。」「ごめんなさい。」を連発する先生。
これは、学級における上下関係を逆転することにつながる。
もちろん、自分がミスしたり、子どもとした約束を守れなかったりしたときには謝らなければならない。
しかし、できない約束をしないことが大前提だが。
卑屈な態度や自信のなさからくる謝罪は、避けるべきだ。

3 わがままをスルーしていないか。
子供達は色な要求をするが、それがわがままなのか、みんなのための提案なのかを明確に区別して判断することが大事。
その価値判断は、そこに私心なく、公の気持ちがあるか。
自分が楽をしたいのではく、みんなが成長できるようなことになっているか。
このあたりをきちんと考えて判断し、指導をする。
教師は、自分が望む子ども像を具体的にもつ必要がある。
これがないと問題行動をスルーしてしまう。
要するに基準が明確でないからだ。
教室環境の理想、子ども像の理想、授業の理想、学級経営の理想、こういったことを具体性を持って自分の中に作っておく必要がある。

saitani

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