飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

学級をスタートするときに必ず守らせるルール

2024年04月05日 06時27分14秒 | 学級経営
新年度がスタートした。
全国の学校で、そして、学級開きが行われ子どもたちとの1年間の生活がスタートする。
始業式のあと、教室にもどり、担任は自己紹介のあと1年間の方向性や守るべきルールを話す。
例えば、いろんなことにチャレンジしよう、間違えを恐れず発表しよう、全員で成長していこう、いじめはいけない、大変でも自分が成長できる道を選ぼう、人の不幸の上に自分の幸せを築くようなことは許されない、友達を大切にしよう、なかよく賢くなろう等。
初日は時間がないのでこの程度で終わってしまうかもしれない。
しかし、二日目には必ず真剣に話すことがある。
ただ一つだけ。
では、ただ一つだけ子どもたちに話すとしたら何を選ぶだろうか。

自分なら「心と体を傷つけない」ということを絶対的なルールとする。
教室というところは、安心で安全な場所でなければならない。
これは最重要ルールである。
これは社会と同じだ。
安心と安全がない社会で生きていけるだろうか。
これが担保されているから、人は生活ができているのである。
この2つがない教室で、いくら挑戦しよう、成長しようといったところでそれは絵空事でしかない。

このことを話す意味は何か。
これは子どもたちとの合意形成ができるということ。
前期の他律段階では、教師は子供を叱ることが多い。
それはやがてそれが規律になるまでの過渡期では必要なことだ。
しかも、ここできちんと話しておけば、子どもたちにその実態があったときには厳しく叱ることができる。
また、ルールは教師が決めるべきものと子どもたちに話し合わせて決めるものがある。
しかし、この「心と体を傷つけない」というルールは話し合う余地はない。
日本国憲法にも人権侵害はいけないと書かれている。

人は迷ったり、悩んだりするがその要因は決まっている。
覚悟ができていないということだ。
子どもたちを指導するということは覚悟を決めるということ。
「心と体を傷つけない」という線を担任がひいたら、この一線を越えて来る子には毅然と叱る、その役目が教師なのである。
秩序と規律を守るのは、教師の仕事であるという覚悟を決める。
それは、ある意味つらく、悲しいことでもある。
しかし、それが教師という仕事の厳しさでもある。

最後に、厳しいことを行ったあとは希望をもって話を終えることを忘れてはならない。
「君たちならできると信じているよ」
という期待を込めたことばを伝えて終えることを忘れないように。


saitani

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