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在宅ホスピス医 内藤いづみ「私にとっての命の意味は

2021-11-29 13:30:00 | 日記

ハルメクWeb様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

内藤さんはある日、「いのちとは何か」と高校生に聞かれたそう。それに対してどのように答えたのでしょうか?さまざまな看取りの体験から、命の意味を考えます。
在宅ホスピス医 内藤いづみインタビュー
目次
    1. 内藤いづみさんが考える命の意味
    2. 「自分に与えられた課題」を見つめなおしてみる
    3. 医師に必要なのは、心をもむ体験
    4. 娘におにぎりを握り続けた40代の女性
    5. 今を大事に生きることが、明日につながる内藤いづみさんが考える命の意味

「内藤先生にとって『いのち』って何でしょうか」。高校生を前にした講演会の最後で、ある生徒から尋ねられました。

これは難しい問いです。ときどき突然、こういう難しいことを聞かれるのですが、なかなか簡単には答えられません。みなさんだったら、この問いになんと答えるでしょう。

私が尊敬する人物の一人に、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスがいます。世界で初めて、死にゆく患者さんたちとの対話をまとめた著書『死ぬ瞬間』で知られる彼女は、“死の専門家”といわれていますが、一方で私は“生の専門家”でもあると思っています。

ロスにも、9歳のアメリカ人の男の子・ダギーから私と同じ問いが寄せられました。脳腫瘍で余命わずかと宣告を受けた彼が、「いのちって何ですか? 死ぬってどういうこと?」とロスに手紙を書きました。

わずか9歳の少年です。自分の病気を知ったとき、悲しみ、怒り、恐怖、混乱、いろんな感情がダギーの中に湧き起こったことでしょう。
「人生に偶然はない。今ここに生きていることは、必然なのです」

ロスはダギーに返事を書きました。ダギーは、この手紙を受け取ってから元気を取り戻し、余命宣告から4年後の13歳まで立派に生き抜いたのだそうです。その返事の内容が1冊の絵本『ダギーへの手紙』(佼成出版社刊)になっています。ロスは人間をたんぽぽの種やちょうちょにたとえて、いのちの世界を表現しています。本の中から、返事の一部をご紹介しましょう。

「神さまは、たんぽぽがどこにとばされるかをきめる風をおこしていること。神さまは、たんぽぽの種をたいせつにおもっているのとおなじように、すべてのいきもの とくに、子どもたちをたいせつにおもっているのです。だから、人生にはぐうぜんというものはないのです」

「この世でやらなければいけないことをぜんぶできたら 私たちはからだをぬぎすてることがゆるされるのです。そのからだはまるでさなぎがちょうちょをとじこめているように 私たちのたましいをとじこめているの。そして、ちょうどいい時期がくると私たちはからだからでて自由になれるのです」
 「自分に与えられた課題」を見つめなおしてみる
人生には偶然はない、とロスは言います。自分が生まれ、今ここにいることは必然であり、今自分が置かれている状況も必然だと。つまり、すべてのことに意味があるというのです。お金持ちの人も、貧しい人も、健康で元気いっぱいの人も、病と闘う人も、みんな今置かれている状況でどう生きているのかを、神様は愛をもって空から見ている。

そして、「正直である」とか「やさしさをもって人と接する」とか、一人ひとりに与えられた課題を全部クリアできたら、この世を“卒業”できて、次のステップに進めるのだと言っています。自分に与えられた課題は何か、それを見つめ直すことで、自分が生きていることの意味が見えてきませんか。

私が医師という道を選んだのも、必然だったのかもしれません。私が医師になると決心したのは、中学3年生のとき。父に決意を伝えると、ひと言こう言われました。

「至難の道を選んだね」

教師で、先進的な男女平等観をもった政治家を目指していた父。だから、地位や経済的安定のためではなく、誠心誠意をこめて患者さんのいのちに寄り添うための医師になることは、簡単ではないとわかっていたのだと思います。「いばらの道だよ、至難の道だよ」と。医師に必要なのは、心をもむ体験
私の患者さんの中に、大学病院でがんの告知を受けたとき、あまりのショックに呆然としていると、担当医がいらついて「死」という文字を丸で囲み、ぐるぐると何重にもなぞったと、泣いて訴えてきた人がいます。この医師が見ているのは、患者さんの臓器でしかない。

大事なのは「他者の悲しみや苦しみに共感できること」です。そのためには、人とかかわる中でさまざまな感情にぶつかり、泣いたり笑ったり苦しんだり、心をもむ体験が必要だと思っています。

父は私が16歳のときに亡くなりましたが、もしも父に会えるのなら、今“至難の道”を歩んでいることにまったく後悔はないと伝えたいです。自分の仕事ほどやりがいを感じ、多くを学び、感動をいただくことのできる仕事はないと思うからです。

私が患者さんと接している中で思うのは、生まれたときに与えられたいのちや魂のエネルギーは、死ぬまで減らないということです。年老いても、物理的に肉体が衰えているだけで、内面ではいのちの炎がめらめらと燃え盛っています。最期の一息まで生きたいという力に、私たちは生かされているということを、私もたくさんの患者さんたちから教わりました。娘におにぎりを握り続けた40代の女性
その中の一人が、40代のスキルス性胃がんの女性。高校生の娘さんのそばにできるだけ長くいたいと、残りの時間を自宅で過ごすことを選びました。女性は、点滴で栄養を取る毎日。これまでと変わらず、娘さんのお弁当を作ることを日課としていましたが、だんだんとお弁当作りに時間がかかるようになり、ついにニンジンに包丁を入れるだけでやっと、という状態になりました。

しばらくして、私は娘さんに「お弁当はどうしているの?」と聞くと「夜、私がお米をといでおくと、朝お母さんがおむすびを握ってくれます。だけど私、もったいなくてそれを食べられない。だって、もしこれが最後のお母さんのおむすびになったらどうしようって思ってしまって」と話してくれました。

しかし、娘におむすびを握ることが生きがいになったのか、病状は小康状態を保ち、娘さんが大学に進学するまでをしっかりと見届けて亡くなられました。

「娘のお弁当を作り続けたい」「母の味を少しでも長く食べさせてあげたい」。その思いが、彼女の生きる力になったのです。今を大事に生きることが、明日につながる
末期の食道がんの80代の男性は、冬のある日、「せんせ、チューリップの球根を植えてえんだ」と訴えてきました。吐血もしていて「どうぞ」と言えるような状態では決してなかったのですが、今植えないと4月になって孫やひ孫が遊びにきたときに庭が寂しい、と言うのです。
男性が花の咲く頃に、生きているかもわかりません。でも今やりたいことをぜひやらせてあげたい。そう思って、私は許可を出しました。
北風の冷たい日でした。吐血したときに備えて洗面器を持ったご家族が見守る中、男性は、ごつごつした大きな手で、球根を一つずつゆっくりと、愛おしそうに植えていきました。

それから1か月後、ほぼ寝たきりになっていましたが、「もう1回庭を見てえ」と言って、私たちが支えながら庭へ出ました。そして、男性は庭を見渡して深くうなずき、「春になったらチューリップが咲くなあ」とにっこりされました。亡くなる2日前のことでした。
告別式の日、娘さんが一枚の広告を手渡してくれました。「おじいちゃんが書いた日記です。枕の下にありました。字を書くのもやっとだったのに」と。

裏を見ると、鉛筆で「今日はいい日だ。明日も前向きにいこう」と、走り書きされていました。

男性は最期まで残されたいのちの炎を燃やし続けました。「明日も前向きにいこう」。人生の締めくくりにそう思えるなんて、なんてかっこいいんでしょう。庭を眺めたあの日、満開に咲いたチューリップの周りで遊ぶ孫やひ孫たちの姿が、男性には見えていたのかも知れません。

今を大事に生きることで、明日につながる。たとえ、残りの日々が限られていたとしても、今日生きていることは、明日も生きたいという希望がもてるということなんだと、一枚の広告の裏紙から伝わってきました。

冒頭、高校生に「いのちとは何か」を問われた話をしました。私はそのときこう答えたんです。「与えられた寿命の中で、人を愛すること。自分がひとりではできないことを学ぶこと。この世での宿題を果たすために学ぶこと。それが、私にとってのいのちの意味です」

在宅ホスピス医になって30年。目の前にいる人と共に笑い、泣き、怒り、懸命に生き、私のいのちの旅はまだまだ続きます。

今日を大事に。そして、明日という日がいい日になるように。

さあ、前向きにいきましょう。
内藤いづみ(ないとう・いづみ)さん
1956(昭和31)年、山梨県生まれ。福島県立医大卒業。東京女子医大勤務などを経て、81年、英国のプリンス・オブ・ウェールズ・ホスピスで研修を受ける。95年、甲府市で「ふじ内科クリニック」を開設。


血圧が高い人ほど大腸・直腸がんの発症リスクがアップする

2021-11-29 12:00:00 | 日記

日刊ゲンダイヘルスケアデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 あなたは、自分の現在の血圧を正しく把握しているだろうか? もし血圧が高いなら、適切な治療を受けるべき。心筋梗塞、脳卒中、心不全など命に関わる病気の予防につながるだけではない。がん罹患数1位、死亡数2位の大腸・直腸がんのリスク減少につながるかもしれないのだ。

 ◇  ◇  ◇

 血圧が高いほど、大腸・直腸がんのリスクが上がるーー。9月開催の日本心臓病学会学術集会で、東大医学部付属病院循環器内科特任講師の金子英弘医師が発表した。

 金子医師らは、2005年1月~18年8月に日本人の健診・レセプトデータベースに登録された222万112例の高血圧と大腸・直腸がんの発症リスクの関連を検討。対象者は大腸・直腸がん、大腸・直腸ポリープ、炎症性腸疾患の既往がなく、高血圧の治療歴もない成人だ。

「近年、世界的に高血圧とがんの関連が話題になっています。大腸・直腸がんは、世界的にも頻度の多いがんであり、肥満や糖尿病など生活習慣病との関連も報告されていることから、今回、高血圧と大腸・直腸がんとの関連を検討しました」(金子医師=以下同)
 肥満や糖尿病、喫煙は、がんの危険因子であるとともに、金子医師が専門とする心臓病・脳卒中などの循環器疾患のリスク因子でもある。高血圧は循環器疾患の最大のリスク因子であるが、一部のがんとの関係も示唆されているのだ。

 平均1112日の観察期間中、大腸・直腸がんを発症したのは、6899例。これを金子医師らは正常血圧群、血圧上昇群、ステージ1高血圧群、ステージ2高血圧群と4つに分類。正常血圧は120/80(㎜Hg)未満、血圧上昇群は120~129/80未満、ステージ1高血圧は130~139/80~89未満、ステージ2高血圧は140/90以上。17年に発表された米国のガイドラインに基づいて分類した。

「その結果、正常血圧群より血圧上昇群は大腸がんの発症率がやや高く、ステージ1高血圧群、ステージ2高血圧群と血圧が高くなるにつれ、大腸がんの発症率が段階的に高くなりました。そして、年齢や性別などで補正した後も、正常血圧群と比較して、ステージ2高血圧群では大腸・直腸がんの発症リスクは上昇。特に男性では、ステージ1の段階から大腸・直腸がんの発症リスクが上昇しました」
■血圧を下げればリスクは低下する?

 本研究によって、高血圧と大腸・直腸がんの発症リスクの関連が示された。しかし、「血圧が高いから大腸・直腸がんになっているのか」「塩分過多や腸内環境の悪化といった因子が背景に潜んでいるのか」は不明であり、「血圧を下げれば、大腸・直腸がんリスクが低下するのか」についても、今後検討が必要だ。

 日本で高血圧と診断されるのは140/90以上だが、いったん高血圧と診断されると、高齢者や一部の併存症合併例を除き、治療は130/80未満を目指し、家庭で測定する血圧では125/75未満を目指す。

「15年に発表された大規模臨床試験SPRINTにおいても、厳格な血圧コントロールによって循環器疾患を減らす効果が報告されています。今後、血圧と大腸・直腸がんの関係が確立されれば、高血圧の重要性はますます強く認識されるでしょう」
血圧は体重が増えると上がり、その逆も言える。コロナ禍で運動不足となり少し体重が増えただけでも、血圧上昇につながる場合もある。さらに、これから寒くなる季節は血圧が上がりやすいので、十分に気をつけたい。取り急ぎ、家庭用血圧計でチェックするところから始めよう。

◆計測のポイント
「家庭用血圧計で測定するときは、朝起きて、排尿をし、1~2分安静にしてから。起床後すぐや、慌てた状態だと、正しい血圧が測れません」(金子医師)


眞子さんも…皇室の女性はなぜ叩かれ続けるのか? バッシングの歴史

2021-11-29 11:00:00 | 日記

日刊ゲンダイデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 眞子さんが、小室圭さんとの結婚生活を送るため、渡米した。「つらいだけだった日本よ、さようなら」である。これで一連のバッシング騒動が収まるのか、それとも米国でもメディアに追いかけ回されるのかわからないが、2回にわたって眞子さん騒動を振り返ってみたい。

 まずは、なぜ皇室の女性は狙われるのか、叩かれるのか、である。考えてみれば皇室に対してバッシングが起こるのは何も今回が初めてではない。天皇の代替わりなど、皇室が変化した時に起こることが多い。おそらく国民の価値観が天皇や皇族が考える価値観と合致しない時は、バッシングによって修正を迫るのだろう。これを歴史上で見てみよう。

 私たちの記憶による皇室バッシングは、正田美智子さん(現上皇后)が、明仁皇太子(現上皇)と結婚した時だった。1959年だから60年以上も前である。バッシングの中心になったのは当時の皇族および旧宮家皇族たちである。戦前は、皇太子が結婚する相手は、近衛家、鷹司家など五摂家から選ばれた娘だったから、平民と結婚することに激怒し、美智子さんのことを「粉屋の娘」とさげすんだ。粉屋といっても美智子さんの実家は日清製粉だから我々はピンとこないが、戦前の価値観を背負った旧世代の上流階級にはそう見えるのだろう。これは美智子さんが皇太子妃として宮中に入ってからも続く。ただ当時の大多数の国民は、こうした上流階級の価値観を拒否した。終戦直後の暗い時代をようやく抜けて、若く美しく、アメリカナイズされた皇太子妃が誕生したのだ。多くの人は美智子妃に夢を重ねた。当時は今回とは逆で、そんな美智子妃バッシングをそのまま取り上げると、逆に雑誌は売れなかった。
美しい皇太子妃に国民が高揚したのは、日本が高度経済成長だったからでもある。池田勇人首相が「所得倍増計画」を打ち上げるまでもなく給料は上がっていて、多くの国民はバラ色の未来を描いていた。美智子妃はそんな時代が求めていた人物だったのだ。

 次に皇室バッシングが起こったのは、昭和から平成に変わった時である。長く続いた昭和の時代は終わり、平成に変わると、新しい天皇は平成流の象徴天皇像を示し始めた。それが「国民に寄り添う天皇像」である。たとえば、被災地で被災者と向き合う時、ひざまずいて目の高さを同じくした。昭和天皇を知る人には、これまでの天皇像が一気に崩れてしまうほどの衝撃だったようだ。評論家の江藤淳氏は〈何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。……立ったままで構わない。馬上であろうと車上であろうと良いのです〉と「文藝春秋」で批判したほどだ。ただこれも、天皇皇后が国民の価値観に寄り添ったということで、批判はそれほど大きく広がらなかった。
やがて1993(平成5)年に、やはり美智子皇后へのバッシングが起こる。皇后という権力を握って、宮中で居丈高に振る舞っているといったあまり根拠があるとも思えない内容だったが、バッシングの中心は長く昭和を生きた人たちで、いわば昭和のスタイルが壊れていくことに我慢がならなかったのだろう。当時はまだ平成の象徴天皇像が根付いていなかったし、のちに「失われた20年」といわれる不景気が始まった頃で、給料が上がらず、不安の時代だったから皇后バッシングに同調しやすかったのかもしれない。結局、美智子皇后が倒れ、失語症になったことで世論は変わるのだが、今回の眞子さんの場合も、状況はよく似ていたといえるかもしれない。

 このあたりは雅子妃バッシングにも共通している。災害があるとすぐにでも訪問する天皇皇后に比べて、東宮御所から一歩も出ない雅子妃に批判の矛先が集中したのだ。当時は「適応障害」のような心の病は理解されなかったし、宮内庁も国民に理解してもらう努力をしなかったから、皇太子妃が部屋からも出られないことに納得できず、バッシングが長期にわたったものだ。

 ただ、美智子さまも雅子さまも外から嫁いできた人。しかし、眞子さんは内側の人である。それなのに、なぜ眞子さんがバッシングを受けるようになったのだろうか。


眞子さん 小室圭さんとの笑顔でわかる「順風満帆の新婚生活」

2021-11-29 08:41:07 | 日記

下記の記事をFRIDAY DIGITAL様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

11月中旬、小室圭さんと秋篠宮家の長女・眞子さんは移住したニューヨークの街中を2人で肩を並べて歩いた。英デイリーメール紙や「ポストセブン」がその姿をとらえている。

写真を見ると、圭さんはどこかを指差し何かを言っていて、その言葉に眞子さんは大笑いしているように見えるものもある。何と仲睦まじい光景だろう。日本では絶対に考えられないようなお二人の姿に驚いた人も少なくないはずだ。

またデイリーメールは、眞子さんが一人で買い物をする姿も写真に収めた。帰りには道に迷ったのか、周りの人に道を尋ね行ったり来たりしていた様子が撮られた。

買い物中は手にスマートフォンらしきものを持っていたが、外では地図アプリのナビゲーションなどを使わなかったのだろうか。人に聞くという昔ながらの方法で解決するあたりが、無垢なお嬢様という感じがする。

「元皇族ですから、日本一の“箱入り娘”といってもいいでしょう。日本では小室さんとのデート中ですら遠くには警備がついており、ましてや眞子さんお一人で歩いたことなどほとんどないはずです。

アメリカでも警備がつくのかと思われていましたが、誰も助けないところを見ると本当に一人で買い物をしていたのかもしれませんね。世間の反発を恐れ、税金を使うことを極端に嫌がっていましたから、眞子さんの意向で“もう放っておいて”というスタイルなのでしょう」(皇室ジャーナリスト)

眞子さんは皇室離脱に伴う一時金約1億4000万円も辞退した。これは本来、皇族の品位を保つために使ったり、私的警備費に充てられたりすることが想定されている。それを貰わずして、なおかつ小室さんが司法試験に不合格だったため眞子さんが家計を支えるとなると、私的な警備などつける余裕はないだろう。

「やはり宮内庁は眞子さんの安全を今でも憂慮しており、その一環でテレビ局とはルール作りをすることになった。

1つは眞子さんと小室さんに取材をしない。もう一つは、プライベートを侵害するような週刊誌報道をテレビでは扱わないということです。今後はどんどんテレビで見る機会はなくなり、本当の一般人へとフェードアウトしていくでしょう」(テレビ局関係者)

一方で海外のメディアはお二人をべったりマークしており、徹底的に追跡する構えを見せている。プライバシーの侵害と言われればそれまでだが、暴漢などから襲われるのをパパラッチが見張っていると考えれば、誰も見ていないよりは安全かもしれない。

それにしても、宮内庁は眞子さんが誹謗中傷によって複雑性PTSDになっていると発表したが、あの満面の笑みの写真を見ると、圭さんとの幸せな新婚生活によって徐々に回復してきているのかもしれない。

すでに見知らぬ地で一人買い物をできるほど自立されているということは、圭さんも頼もしく感じているはず。来年2月の司法試験に向け、眞子さんは内助の功で小室さんをサポートされることだろう――。


全国でどんどん進む「男女比率のアンバランス」…婚期が遅れるなど深刻な社会問題に

2021-11-29 08:30:00 | 日記

日刊ゲンダイデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

最近、周りに異性が少ないと感じたことはありませんか? たまたまスポーツジムに行かなくなったとか、職場が変わったとかという方もいるかもしれませんが、実はコロナ禍で男女比率のアンバランスが進んでいる地域は増えています。

 厚生労働省の2020年人口動態統計では婚姻数が激減しています。

 コロナ禍によるリモートワークの定着で、男性は地方に引っ越した方も多いようですが、一方、女性は地方から都心に向かう人が増えているところもあるとか……。

 そのため、特に地方では結婚適齢期の男女の比率のアンバランスが進みやすく、そうなると必然的に恋愛対象の年齢の異性が少なくなり、婚期の遅れが懸念されます。

 インド、中国などアジアでは1億人も男性が余っているといわれています。中でも、中国は結婚適齢期の男女比はアンバランスです。最近、少しは改善しているものの、男性が多いため、結婚できない男性が増えていて、深刻な社会問題となっています。

国内に目を向けると長野県は男性が多く、全国平均より婚姻率が低く、晩婚化が進んでいて、「適当な相手にめぐりあえない」ことが理由にあげられているアンケートもあります。

 群馬県、山梨県では、夫婦の年齢の差が大きいという特徴もあり、こういった例も増えるかもしれませんね。

 逆に、鹿児島県の場合は、男性より女性のほうが多く住んでおり、コロナ禍でアンバランス割合は拡大しました。女性100人に対する男性の数88人というイメージです。私も長く鹿児島に住んでいたせいでしょうか、婚期が遅れました。地域により、男女比率のアンバランスさは異なりますが、50歳までの未婚率は男性のほうが高くなっています。余計なお世話ですが、ぼ~っとしているだけでは結婚がしづらい環境になっているといえそうです。

 これからの恋愛は、より積極的にZoomなどで、全国を往来しないと結婚に結びつかないようです。周りに異性がいないと思ったら県をまたいで活動したり、女性の多い職場に転職することです。

柏木理佳生活経済ジャーナリスト
1968年生まれ。生活経済ジャーナリスト。MBA(経営学修士)取得後、育児中に桜美林大学大学院にて社外取締役の監査・監督機能について博士号取得。香港、シンガポール、豪州、中国に滞在し、世界15カ国の人と働いた経験を持つ。