老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

中央区の今が、ほっておくとこれから各地に起こるだろうこと、を懸念する

2022-11-23 09:34:35 | 社会問題
最近、事情があり区民の居住実態を見る機会があった。
不明をはじることになるが、今時点の中央区の住民の9割が、また世帯数の72%ほどがマンション等の集合住宅に住んでいるという。

1970年代頃までは、しもた屋が軒を連ねていた。往時は平屋や2階建の住まいの人が圧倒的多数派だった。当時隅田川の川開きの際には、花火の大輪の絵模様が2階の窓から眺めることが出来、ドンという音と共に楽しめたことを覚えている。
当然ながら地縁も色濃く存在していた。

平屋や2階建てがいつの間にか減少し、それに代わってマンション等の集合住宅が爆発的に増加したということは、都心においては市民が祖父祖母らから受け継いできた土地から切り離されていったということを意味する。

どうやらこの国は、人が生きて行く上で、そして子供・孫らに残していくことが望ましい大切なものを、一つの大きな力によって見失う方向に、人々が知らず知らずに流されて行っているのではないかと思う。

それを主体的に、能動的に進めている力の主は、それが人間の進歩・社会の進歩だというだろう。

だが、やはり何かがおかしいと思う。人々が先祖から受け継いできた土地から切り離されていくことと併せて、少子化の進展や非正規職の増加の問題が放置されていることにより家そのものの弱体化が進行し、社会のいびつさも増していると思う。

いびつさが増す原因としては、一つの大きなその力が一面的な価値観しか持っておらず、その一面からの景色のみを見ながら動くエンジンだということだと思う。他の景色は見えていないか、敢えて見ることを避けるエンジンと言えよう。

佐伯啓思氏は、”経済成長主義への訣別”のなかで、グローバル化した自由貿易体制の中、覇権を争うには新機軸と称する先端革新技術開発競争を制することこそが経済を成長させる唯一の良策と各国が信奉してきたことの問題点を指摘している。

一目散に効率的にその目標に達するためには邪魔となる、本来一体として内部に抱えていた哲学部分を科学から切り落とし捨て去ることで、実証可能な科学部分のみを独立させ、それから生まれる先端革新技術を推進力とする体制を選択して構築したことが、矛盾を産む結果を招いた要因の一つと指摘している。

言いかえれば“有用性”という羅針盤のみで進む方向を決めるということを選択し、本来切り捨てられた哲学部分から問われる“有意味性”や“有価値性”を、使用する羅針盤から取り除いてしまったことが現在の資本主義が行き詰まり、しかも多くの矛盾を生み出した原因の一つとしている。

そして、進むべき他のもう一つの方向として、我々が人として生きていく上でその拠り所となる我々に先験的に与えられている“生命”・“自然”・“世界”・“精神”を基本に考える、内に向かった行動の重要性を指摘し、勧めている。氏は失われつつある“世界”における“コモンズ”の復権を意図しているのかも知れない。

内に向かう行動とあえて称しているのは、グローバル化が推奨されて以降、資本・技術・人材の流動化が促され、比較優位論のもと、それらの適材適所への迅速な移動が追求され、外へ外へと遠心的に力が働いてきたことへの対比である。

人々が先祖から受け継いだ土地から切り離されていくことと併せて、少子化や非正規職の増加の問題が放置されていることで家の弱体化が進み、社会のいびつさが増していると前に述べた。その原因が、一つの大きな力が一面的な価値観からのみ働いている仕組みにあるとも述べた。

一つの大きな力が一面的な価値観からのみ働く現在の仕組みを全面的に否定するつもりは無い。
がしかし、それのみが世の中の全ての行く末に影響を与えている現状はやはり問題だと思う。

今までも、これからも特異な知識・技能をもった専門家らが、国が推進し支援する先端成長分野で活躍し、知識集約的に新機軸を競う経済成長を至上命題として目指す活動に取り込まれると共に、彼らは主体的能動的に関わってものごとが進められていくことだろう。

この状況において特に市民サイドからみて望まれるのは、もう一方の考え方の、言って見れば労働集約型の活動の活発化であろう。これは経済的にはせいぜい中立的な貢献しかしえない行動だろう。だが、それは佐伯氏のいう“生命”・“自然”・“世界”・“精神”を大切な物差しとして有用性だけではなく有意味性と有価値性をも満足させる行動になる考えと思われる。“コモンズ”の復権を目指す意味深い活動であろう。

具体例を挙げると、例えば老人の介護の問題があるだろう。老いた実の母と義理の母を見送った経験からすると、人生最後の終の暮らし方の選択肢が少なかったという印象がある。
そしてその受けたサービスが通り一遍であり、介護士らの忙しさからやむを得ない所ではあるが、充分に血が通ったものとは思えなかった印象が残っている。

例えば過疎化が懸念される地域において利用されていない民家でグループホーム的な受け入れ施設が出来ないものか?そうすれば意義ある職が少ない地域に新たな職が生まれ、過疎地もハッピーであり、入居老人も共同で暮らすほかの老人ともども、その地域の人の支援のもと寝たきり・座りきりの暮らしではない終の暮らしに相応しいハッピーな状況がうまれるのではないかと夢想する。

また、他の例としては前にも触れた街中でよく見かけるウ―バー等の人達の働き方に関することで、老人や障害のある人の外出支援やコンビニトイレの街中共有施設化の手伝い、更には街中の街路樹の手入れや街中清掃等々いろいろな仕事を付け加えることで、より多くの人に、より多くの仕事を提供出来るのではと、これまた夢想する。

これらの市民の活動を進めることには多くの障害が付いて廻ることが容易に予想される。
クロネコ事業を一から始めた際に小倉氏が当初に味わったことを思い浮かべれば良いだろう。現在、世の流れを作っている政権党ではなく、他の政党や政治勢力の出番であろう。
やって貰わなければ思うように動けない事業だと思う。期待したいところだ。

新自由主義の信奉のもとグローバリズムを追い求めることで、仮に新機軸が達成できたとしても、その利益を優先して享受するのは、得てして革新技術開発に参画した企業や資本家や、特異な知識を持った専門家になることが常であり、関与しないその他大勢の市民の立場からすると、副作用としてよく言われる格差の拡大という事実のみが身に降りかかって来ることになる。

市民が取り組むべきことに取り組んで行かないと、流されていく先はより良き“生”を送るのに大切なものを知らず知らずに見失って行き、その先には現在の中央区と同じ姿が各地域に現れてくるのでは、と懸念する次第です。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan

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