昨日、またこんな光景を体験した。場所は、都市銀行のATM。私の前の高齢女性が1台のATMから離れて行った。順番が来たと思いそこへ行った所、預入ボックスが開いた状態であった。リセットボタンをクリックして預入ボックスを閉じ、所用を済まそうとした所、通帳が出てきた。前の高齢女性の物であり、その人が少し離れた所に居たのが確認出来たので、まちがい無いことを確認して返すことが出来た、という体験だった。
また6-7年前に、こんな体験もしているのを思い出した。その時は東京駅の切符販売機械の場所。海外から来たと思しき人が購入を試みていた。しばらく苦闘の後、あきらめ離れて行ったので次の女性が購入を試みていたが、これまた不満そうに離れて行った。なにが起こったのか判らなかったが、順番だったので操作画面をみたら、英語バージョンになっていた。海外の人が英語バージョンで苦闘したのち、戻さずに離れたがために、そして次の女性は日本語の画面に戻すことが出来なかったがために、2人の方がストレスを溜めるだけの事態が起こってしまったということを体験した次第です。
かかる事態はひょっとすると日常良く起こっていることかもしれない。また何時かは私も同じ状況を作ることになるだろう。齢がすすむことで、また何らかの理由から、同じ事態を起こすことは当然ありえる当たり前のことであるのだから。
問題にしたいことは、人はいろんな場面でいろんなサービスを求める生き物であるのに対して、その受け皿の相手が段々と機械に置き換わっていっているのが、近年の特徴のひとつだということです。
対人サービスを機械に置き換ることを推進しているのは、雇用人数を減らして人件費を減らしたい企業側の論理、および機械・装置メーカー側のビジネスチャンス拡大の思惑と、それに応える霞が関官僚の思惑との合作という、やはり財界の論理に基因するのであろう。
そしてデジタル化や情報化や機械化の推進が経済を成長させる動因であり、経済の成長無くしては、国家の発展はない、という経済成長至上主義の観念が財界・政界・役人・知識層・マスコミ全般に広く深くいきわたっており、それが故に、市民までがそれに感化され同調する時代に入り込んでしまっているがための、状況なのであろう。
社会の発展・進歩そして人の幸福や豊かさの増進のための価値基準として、機械化の推進のみを唯一の指針とする考え方は健全なものなのであろうか?
あまりにも単眼的な考え方ではないのか? 電話の相手が先ずは機械音声ということが一般化している。こんなことが日々のストレスを積み上げる現代社会のどうしようもなさ、生きづらさを生み出している一つの原因だろう。
何故、人がサービスを求めて期待する相手が機械だけなのかを、一旦立止まって考えてみたいものと思うのだが?
効率性を追及する経済成長至上主義に逆行するかもしれないし、企業の利益率の足を引っ張るものかもしれないが、人の幸福や心の豊かさを維持し改善していくには、人に対しては人がサービスをする、という考え方は欠かせない、そして大切な社会の要素だと思うのだが。
そして参加型社会を、今後推進していくための雇用の拡大の1つの手段になるのでは、とも思うのですが?
何故に複眼的・多眼的な思考の大切さが弱体化していってしまっているのか?
「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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