こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

20年の服役が後悔について教えてくれたこと

2024年12月19日 | Weblog
I should never Have picked up that gun
(決してあの銃を手に取るべきではなかった)

by Christopher Blackwell 
(獄中ライターで、NPO、Look2Justiceの共同設立者)

この記事は、獄中にいながらライターとして活躍している Blackwell 氏が、New York Times 誌のオピニオン欄に投稿した記事を勉強会用に邦訳したものです。あまりにも小説のような内容でしたので、ブログに掲載してみました。

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初めて銃を手に取ったのは、11歳の時だった。任天堂のゲームで遊んだり、友達と自転車に乗っていればよかったのに、僕は鏡の前に立っていた。近所の家から盗んだグロック社の9ミリピストルを持って、ポーズをとっていたのだ。母は仕事に出ており、家には僕一人だった。その週2度目のずる休みをしていた。

重厚なピストルは僕の小さい手の中でとても重かった。そのピストルをいろいろな角度で構えてみて、どの構え方が一番相手を威圧できそうなのかを探った。そして僕は知っていた。この銃が装填されていることを。というのは、これを手に取った時、最初にしたことは装弾を外すことだった。僕はほんの子供だったが、装弾の外し方を知っていた。他の子供たちがこれを外すのを嫌になるほど見てきたからだ。

1992年の事だ。僕が住んでいたのは、ヒルトップと呼ばれていたワシントン州のタコマという町だった。この地域はクラック・コカイン病に取りつかれており、そこら中に警官がいて貧困に飲み込まれた町だった。そして悪名高い暴力的なストリートギャングに悩まされていた。ピストルでの撃ちあいなどはいつものことで、僕のような子供たちは毎日のようにそれを見ていた。ヒルトップでは、一足のジョーダン靴のために命を落とすことだってあり得た。仮に誰かが君の靴を欲しがっていたら、その靴を自分の足に履いていた方がいい。さもないと盗られてしまう。誰かが君のものを盗ることを一度でも許せば、ずーっと、君はターゲットにされる。

小さかった頃、僕は家で虐待を受けていた。そして11歳までには、物を取られたり、性的暴行を受けたり、学校帰りに他の子供達に飛びかかられたりしていた。僕は弱くて危険な目にあうことにうんざりしていた。子供であるということもうんざりだった。そして、銃を持って立っている僕自身の姿を鏡で見たとき、遂に、自分が1人前の男に見えたんだ。

その時、僕は思ったんだ。総ての問題を解決する手段は銃なんだと。でも少しも分かっていなかった。銃を手にするという選択が、自分の住んでいる地域で多くの暴力的な行動を重ねていく長い旅路の第1歩だったということを。そして、ある晩、とあるバーで、銃で撃たれた傷口から血を流して床に横たわることになり、若い男の命を奪い、そのことで、投獄されることになるということには思いも及ばなかった。現在、強盗殺人罪で、僕は刑務所で45年の刑に服役している。

あの時、あの銃を手にしたことは、僕の人生において、唯一最大の間違いであり、一生、このことを背負って生きていかねばならない。しかし、僕の蛮行の重大性を本当に理解するには何年もかかった。

後悔するには、物を見通す力が必要だ。内省する時間や空間が必要であるし、自分の将来を想像したり、違う人生を歩むことができたかもしれないということを思い描く能力が必要である。そして、あの銃を手にした時、僕はこの種のものの見方、考え方ができなかった。あの頃の僕はサバイバルモードの人生を生きていた。目の前の脅威以外は何も存在していなかったし、自分の周りで起こっていることを理解する機会もなかった。このような人生を送ってきたことが、僕の全ての犯行の言い訳になる。

銃と共に、少年期、ティーンエイジャー時代を過ごした僕には、大学に進む道も、良い仕事に就ける可能性もなく、成功への道も全て閉ざされているように思えた。僕は貧しく空腹で、トラウマに満ちた幼年期を背負っていた。

生き残るために戦い続けなくてならない生活から切り離されて初めて、後悔するとはどういうことか分かった。その時、初めて、一歩下がって、自分が生き残るためという理由で、これまで多くの人々に与えてきたダメージに思い至った。

僕は2003年に投獄された。そして、刑期を10年以上終えた頃、幼年時代から引きずってきたトラウマを理解し始めた。ある意味、このようなことが刑務所で起こるというのは驚くべきことだ。刑事司法制度では、社会復帰という言葉がよく使われるが、実際は、刑務所というところは、人が更生するには最悪の所だ。ここでは憎しみや暴力が渦巻き、心身を蝕み、緊張を高める。とうてい自分の行動を反省できるような所ではなく、僕のような囚人をサバイバルモードに引き戻すところだ。

刑務所にいたから、当初、僕は人生を振り返ることをしなかった。というよりは、刑務所にいたにもかかわらず、ということかもしれない。過去の人生について考え始めたのは、ボランティアの人たちに出会った時からだ。このボランティアグループは、現在はコレクティブ・ジャスティスという組織になっている。

彼らのプログラムは、獄中生活の一時停止を提供してくれた。僕は危機を脱し、僕の周りの人たちに与えてきた苦痛や痛みを認識できるようになった。というのも、このプログラムは、囚人たちが、心の奥底に押しやってきた辛い経験と向き合うのを手助けするように意図されていたからである。もっとも重要な点は、ボランティアの人たちも、僕たちと同じようなトラウマをかかえていた経験があり、親身になって心配してくれた。僕たちの気持ちに共感を示し、人間関係を築き上げるためにタップリ時間をかけてくれた。

お互いがお互いを信頼するようになってくると、僕たちは身体を寄せ合って座り、これまで一度も口にしたことのない事を語り合った。性的に、身体的に、感情的に虐待されたこと。それも、僕たちを守るべき立場の大人たちから受けたものなのだ。そして、そのことが人生に与えた影響についても語り合った。また、僕たち自身を守るためにふるった暴力について、そして、そのために後悔していることも話し合った。

僕が名づけ親になった娘とレイプカルチャーの話をすることになった時、初めて、このグループが僕に与えた影響力に気づいた。この娘は、当時、ティーンエイジャーだった。彼女は、少年たちとの屈辱的な経験について話をしたのだが、その少年たちの振る舞いは、僕が同じ年頃だったころの振る舞いとほとんど同じだったのだ。

この娘との会話から暫くして、僕は一人の囚人から脅された。昔の僕であったら、暴力で応答していただろう。だが今回は、状況を鎮めるために言葉を用いた。その時、僕は悟ったのだ。自分が過去においてどんな人間だったのか、そして、あの頃からどれほど成長してきたのかを。

これまで心の底に押し込めていた後悔の念が表面に出てきたのは、まさにこの時だった。後悔の気持ちは、いつも心の中にあった。僕はただ、それを封鎖し、周りに壁を築いていたのだ。僕は人の命を奪った。彼は死に値する人間というわけではなかった。彼は僕と同じように若く、ただ、生き残ろうとしただけなんだ。初めて銃を手にしたことから始まった、間違いだらけの選択の僕の人生は、こうして終わりを迎えた。僕の行動が、彼から全てを奪った。そして、彼を愛していた多くの人たちに打撃を与えた。今では、僕が殺してしまった少年のことを考えない日はない。

後悔の念を覚え、その後悔の気持ちをどのように受け入れていくかを学ぶことで、僕の人生は変わった。後悔の念は僕に強いたのだ。どのように生きるべきか、もう一度考えることを。後悔の念は、僕が疲れ果てている時に元気をくれる。労働意欲を高めてくれる。後悔することで、僕は社会に借りがあると感じている。それで、同じ囚人たちに助言したり手助けをしたりすることで、この借りを返しているのだ。暴力が、長期的な問題解決の手段にはならないことを説き、奪うよりも与える人生を生きるようにと、彼らを勇気づけるのだ。

刑務所では、後悔しながら毎日を送っている男たちに囲まれている。その後悔の念というのは、刑務所の周りの高い塀や鉄条網と同じくらいリアルに彼らを閉じ込めている。

僕たちは後悔の気持ちをまっすぐ見つめ、そしてそれを、僕たちを導くものとしなければならない。しかし、このようなことを最も必要としている囚人たちというのは、この学びを吸収するための時間や場所をほとんど見つけられない者たちなのだ。

僕が感じている後悔の念は、弱まることはないだろう。今では僕の一部になっている。しかし、これを理解するために、何を選択するかは僕次第だ。自分自身がより良い人間になろうともがき続け、周りの人たちもそうなれるようにと手助けするのを後押ししてくれるのは、この後悔の念なのだ。

自分を守るために銃が必要だと、愚かな考えを持っていた幼い少年だったあの日のことを後悔している。しかし、もはや、あの時の少年ではない。今、鏡に映る自分自身の姿は、僕は何者なのかについて、深く、いろいろと考えている姿なのである。僕が後悔の念に感謝していると言ったら、奇妙に聞こえるかもしれないが、そうなのである。人間としての僕の成長は、これまでに犯してきた犯行に対する後悔の念を感じることによるものなのだから。そして、今、携わっているボランティアの仕事を通して、周りにいる囚人たちが、人生を変えるような力について学ぶ手助けができればと願っている。



Enjoy a "Do-Nothing Vacation"

2024年11月29日 | Weblog

A do-nothing vacation sounds great for people who have a hustle and bustle daily life like young mothers and fathers. They seem overwhelmed by their busy schedule. Nuclear family life style makes them shoulder more burden to pursue their careers as well as to be a good parent. They really need that kind of vacation. Mindfulness, niksen, and Zen meditation are also good for them to relax and refresh. Doing nothing a whole day, gazing at the stars or horizon, listening to the waves. These experiences should bring them back to themselves. However, for retired people like me, it is a somewhat different story. Right now, I have retired and work only two days a week for my pleasure. I do not feel I need those kinds of treatments. I rather prefer doing something I love to doing nothing. For example, walking in the mountains, crunching through fallen leaves in this season, and looking at a magnificent Mr. Fuji from the top of a mountain are the perfect remedies for my mental health, though my body gets a little bit tired. I think it is safe to say that how to relax or how to feel happy depends on our situation. When I was younger and a full-time worker, I needed a do-nothing vacation, though one day was enough. A whole week of do-nothing vacation was too long to me. Now, I would like to do something meaningful every day. Life is changing, so are vacations.

明神峠から鉄砲木の頭、高指山へ

2024年11月21日 | Weblog

秋晴れの気持ちの良い一日、落ち葉を踏みしめて静かな山歩きをしたいと思い立ち、明神峠--三国山--鉄砲木の頭--高指山と歩いてきました。

軽くハイキングと思って出発したのですが、三国山までなかなかの急登。それでも、そここそに残る紅葉に癒されながら一人静かに山歩き。聞こえてくるのは自分が踏みしめる落ち葉の音だけ。サクサク、サクサク。

三国山を経て三国峠に降り立つや、にわかに人の数が増す。それもそのはず、駐車場がある。その駐車場から鉄砲木の頭までもなかなかの登り。でも、綺麗な道なので、軽装、スニーカーで登ってくる人もいる。

登り切ってビックリの大展望! 山中湖から富士山まで壮大な眺め。インバウンドの旅行客も多く、皆それぞれに雄大な景色を堪能している。

お昼ご飯を食べていたら、今まで隠れていた富士山が姿を現す。周りの人たちも、ほら、富士山だ!と色めき立つ。なかなか初雪の便りがなかったが、やっぱり冠雪した富士山はいい!

鉄砲木の頭から先は、ほとんど行きかう人もおらず、本当に静かで幸せな時間を過ごした。下山後は石割の湯で汗を流し、山旅を締めくくった。少し天候を心配したが思い切って出発してよかった。山々はもうすぐ冬支度かな。



Midlife Crisis

2024年10月27日 | Weblog

When I’ve heard the word, midlife crisis for the first time in my life, I though it meant “menopausal syndrome”, but it does not. It means psychological and physical challenges as well as stresses that people between 40 and 60 have or experience. It includes declining health, pressures from work and their families. During the middle life, they have heavy responsibilities for their children and parents. Yes, I did. As a result of this, people tend to be depressed and amplify their concerns. This phenomenon is called midlife crisis. These struggles, however, might give them a chance to rethink their everyday lives and open doors to a new world, the vignette I have read says. That’s good to know, but fortunately, or unfortunately, I have not had a midlife crisis. Maybe I have been so busy in raising three kids, working at the office, and studying new things that I couldn’t have introspective time, or in Japan, we do not have the idea of midlife crisis. Anyway, whenever I feel down, I go to the mountains. When I am walking there, I am thinking that life is like mountain climbing. There must be ups and downs in life, and I go through a peak, yet another peak is waiting. Life must go on, so I must keep going step by step like walking in mountains.



立山(雄山)と浄土山

2024年10月25日 | Weblog

秋の紅葉を期待し、長野から扇沢、黒部ダムを越えて立山に入り、室堂のみくりが池山荘に一泊して富山に抜けました。初日は雨で、大観峰のロープウエイでも黒部ダムでも小雨が降り、景色はいまいちでしたが、2日目は申し分のない登山日和で、秋空の中、雄山、浄土山と歩いてきました。

1日目、草紅葉の綺麗だったこと。みくりが池の西側遊歩道ハイキングコースを2時間ほど散策しました。

2日目、最高の景色の中、この雄山を目指して出発。山頂からは、大日岳、奥大日岳、剣岳、槍、笠ヶ岳等々、山々が美しさを競っていました。昨日通った黒部ダムも見下ろせました。10月半ばともなると、登山者は少なくなり、渋滞もなく雄山の頂上に立てました。


浄土山に向かう道すがら、雷鳥が5羽ほど現れて、半分冬気になったかわいらしい姿を見せてくれました。ちっとも人間を怖がらない。それは日本人は雷鳥を食べないからだそうです。ヨーロッパの人たちはこの鳥を食べるので、ヨーロッパの雷鳥は人を見ると逃げてしまうそうです。面白いですね。


雄山と浄土山の分岐点に一ノ越山荘があるのですが、この山荘の横にある小高い丘の上で尺八を吹いている人がいました。私たちが出発してしばらくしてから、何やらメロディーが聞こえてきて、振り返った時には遠すぎて、どんな人が吹いているのかは判別できませんでした。秋の透明な空気の中で響く尺八はなかなかいいものでした。




好天に恵まれ、最高の秋の山歩きができました。♪~


白馬岳縦走

2024年09月24日 | Weblog

白馬岳を縦走し、念願の鑓温泉に浸かってきました。栂池高原から入山し、1日目は白馬大池山荘宿泊。整ったとても気持ちのいい小屋でした。登ってくるときは曇り空でしたが、夕方から晴れ、気持ちのいい夕焼けと満天の星空を堪能しました。

2日目は朝から快晴。登るにつれて、宿泊した山荘と大池がとてもきれいに見えました。

でも、だんだんと雲行が怪しくなり、とうとうガスガス。


白馬山頂では真っ白でしたが、雷鳥が出迎えてくれました。今回の山行では、雷鳥10羽とホシガラスにもたくさん出会いました。♪~

白馬山荘に宿泊した日は、私の誕生日。なので、特別にツインベットルームを予約し、ゆっくりのんびりしました。なんと、サプライズで山荘からお誕生日ケーキをご馳走になりました。

さて、3日目。いよいよ念願の鑓温泉小屋での宿泊です。内湯は女性専用。外湯は混浴。この温泉目当てで、若いご夫婦が泊まりに来ていました。夜の7時半から8時半までは入れ替わり、外湯が女性専用になります。内湯は乳白色の温泉だったのに、外湯は透明な湯でした。両方ともとっても気持ちいい。この外湯からは朝陽が眺められるということで、ご来光温泉としても有名だそうです。

4日目は、鑓温泉からのんびり下山しました。今年は、白馬大雪渓が通行止めになっているため、長距離の縦走になりましたので、ヘロヘロにつかれましたが、なかなか充実の山旅でした。下界ではまだまだ、35度、36度の暑さが続いていましたが、さすがに3000メートル近くになると、山はもう秋。あと2、3ヶ月もすると、また雪に覆われるのでしょう。そして、山の本当の静けさが戻ってくるのです。


Labor Shortages

2024年09月05日 | Weblog

The labor shortage is causing a lot of problems in many sectors around the world these days. For example, the Japanese labor market is shrinking due to the low fertility rate. To make up for the shortage, the country is accepting many foreign workers. Most of them are fine or even excellent, but sometimes I have uncomfortable experiences with those workers from abroad. Recently, I asked our accountant company about a tax payment because the due date was over. They said the document was sent to us, but we had not received it. They scrutinized their process for sending us the statement of payment and found out one of their foreign workers had mailed it to the wrong place. If she was a Japanese, this would not have happened, I suppose, because this was a very small mistake. The biggest reason for this, I think, is the difference in business practices between Japanese and her own cultures. I’ve had similar annoying experiences several times before.  To avoid these small but bitter misunderstandings, supervisors of foreign workers should teach them more carefully, keeping it in mind that they have different business practices or ways of thinking.  Then both workers from offshore and Japan would be much happier.  

大山 絵とうろう祭り

2024年08月16日 | Weblog

昼間しか訪れたことのない大山だったが、とうろう祭りがあるというので行ってみた。なかなかの力作もあり、小学生の作品もあり、バラエティに富んでいた。


大山阿夫利神社からの夜景も眺められ、やはり下界よりはずっと涼しい。


江戸の庶民の信仰と行楽の地であった大山。身を清め、巨大な木太刀を担いで登ってきた先人たちに思いをはせた。「大山詣り」の参拝者は同業者や町内会で「講」と呼ばれるグループを結成して積み立てをし、お参りに来たそうな。帰りは江の島観光をしてから江戸に戻るというのも、江戸っ子らしい遊び上手。


私も、いろいろとお願い事をしてから、大山を後にしました。



一切経山

2024年08月16日 | Weblog

以前から行きたかった福島県にある一切経山に行ってきた。頂上から眺めた「魔女の瞳」は、とても魅惑的。万人を魅了してやまない。通常は浄土平からビストンなのだが、今回は高湯温泉まで縦走。登りは問題ないが、高湯温泉までの道はなかなかの悪路で長い。でも、途中で出会った愉快な若者から、「慶応大学の山小屋に寄っておいしいコーヒーを楽しんでって~」と声を掛けられチョット寄り道。素敵なカップでおいしいコーヒー。ベンチの傍には、清水が湧き出ていて冷たい。ここで昼食をとり、英気を養って下山を再開した。

一切経山を麓から眺めるとこんな山容。一切経(釈迦の教説とかかわる、経・律・論の三蔵その他注釈書を含む経典の総称で、大蔵経ともいう。)を山頂に埋めたという言い伝えから、この名前が付いた山だそうだ。

この吾妻小舎に宿泊。下界は36度と超暑いというのに、ここでは夜、布団をかけて寝た。朝、周りを散歩した時、鳥の声と緑の世界に歓迎されて、とても癒された気分。近くには手入れの行き届いたキャンプ場があり、こんな所なら一人キャンプもいいなと思う。

前日は吾妻小富士に登ったが、風が強すぎて御鉢巡りは断念した。

その代わり、鎌沼を一周し湿原の雰囲気を楽しんだ。

下山後は、高湯温泉で汗を流したが、これまた、素晴らしい温泉。乳白色でお肌に優しい。石鹸などはなかったが、入浴料が250円というのにも驚いた。また、来てみたいな一切経山。次は東吾妻山にも足を延ばしたい。






歌われなかった海賊へ

2024年06月29日 | Weblog

読書メモ
タイトル:歌われなかった海賊へ
作者:逢坂冬馬
出版社:早川書房

第二次世界大戦末期のドイツ。ナチの体制に疑問を持った若者4人が、体制を打ち倒すというような高邁な思想のためではなく、ただ自分たちの好きなように生きたいという理由で反体制的な行動をとるようになる。国策で禁じられている徒歩旅行を実行していく中で、その若者たちは山の奥に設置された強制収容所を発見する。そして、ある計画を実行するのだが、一般の人々は、そこに収容所があることを知りつつも冷淡な態度をとる。普通の善良な市民たちがである。この辺の人々の心情が手に取るように描けていると思う。

作品は現代から始まるのだが、一気に1944年にジャンプ。このプロットの構成がなかなか興味深い。そして扱っている問題は、今の時代にも通じるものだ。民族、ジェンダー、LGBTQ等をどう乗り越えていくのか。

逢坂冬馬のデビュー作「同志少女よ、敵を撃て」は、ページを繰る手ももどかしいほど衝撃的な作品であった。その冬馬の作品ということで手に取ってみた。やはり、一気に読んでしまった。おかげで翌日は寝不足~~

「歌われなかった海賊へ、歌わなかった住人より」