ボヤキ嫁の日々の記録

“超”がつくほどの楽天家ダンナと文句が多いボヤキ嫁の日々の記録
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ビルマ旅行(8) インレー湖・その3

2012年12月27日 | 旅行 - ビルマ

インレー湖の有名なお寺、ファウンドーウー・パゴダ(Phaung Daw U Pagoda)を見た後、またお土産屋巡り。

お土産屋の船着場には、船でお土産を売る人たちが待機していた。「これどう?かわいいよ?」と進められたがシルバーのピアスで$25-40。うーん、ちょっとその値段は高いのでは?と思ってしまった。

その後もシルバーアクセサリー店やら傘を扱っているお店やらを廻る。

ボヤキ嫁は買いそうにないと思われたのか、それほど買え買えとは進められず、シルバーアクイセサリーの店ではお茶を頂きおしゃべりしたのみ。シルバーアクセサリーのお店の隣には船でアクセサリーを売るの売り子さんが住んでいた。家に戻った売り子さんが洗濯を始めると、家の前を他のアクセサリーの売り子さんが通りかかりおしゃべりに興じていた。

何をおしゃべりしていたのだろうか?こういうときに言葉が分かったら面白いのになと思う。

その後ガーペー僧院へ。(Nag Phe Kyaung)

このお寺にも野良が居た。ここでは日当たりの一番いい場所をネコたちが陣取っていた。床にはお茶とお菓子が置かれており、ネコを撫でつつお菓子をつまみ、インレー湖の僧侶のお話を聞かれていた。楽天家ダンナ曰く、彼らは南の地域のビルマ人観光客ご一行とのこと。

ご一行が去ったあと、のーんびりと昼寝を続けるネコたち。

ここのお寺でちょっとトイレを借りようと思ったが、断念。お寺へは裸足ではいるのだが、トイレにはトイレ用のスリッパがあった。しかし、それが濡れている。ということは、ここにはペーパーがなく水で洗い流すトイレだ。結局旅行中、この水で洗い流すトイレは利用を避けました。(どう使えばいいかわからないし・・・)

その後、昨日船を手配した船着場へと戻り、タクシーで空港へと向かった。途中で楽天家ダンナの知り合いに偶然会い一緒に昼食を取った。まだ食欲は戻ったとはいえ、本調子ではないためビールは断念。

その後、楽天家ダンナが両替するため、街中にある銀行へ。この銀行、客がおらず警備員・行員が入り口に並び「ようこそ」的な言葉を言っていた。ATMも配置されていたが、使う人はどのくらいいるのだろうか?

 

その後、ヘーホー空港からマンダレーを経由しヤンゴンへと戻った。ヘーホー空港の待合室では「どこそこへ飛ぶ飛行機の人は・・・」とアナウンスがあるが、プラカードでの案内もしてくれる。ボヤキ嫁は自分がどの航空会社の飛行機に乗るのかすら把握していなかったため、空港ではいつ移動するのかは楽天家ダンナまかせであった。

途中、中継場所のマンダレー空港にて長い時間整備やらオイル交換が行われていた。通常の整備なのか、はたまた先日の事故以降整備を強化していたのか? 

この日は1時間遅れでヤンゴンに到着。夕食を楽天家ダンナの親戚の方々と取る予定だったので、長いこと皆さんをお待たせしてしまった。 この日は母方の叔母さんとその息子娘と孫たちに会った。楽天家ダンナには14人ほどおじさんおばさんが居て、今回の滞在ではほんの一部の人としか会えなかったと嘆いていたが、ボヤキ嫁にとっては沢山の人と会った印象が強いわ。大抵おじさんおばさんに会う時は、その息子娘&孫たちも一緒なので団体さんなのだ。紹介してもらうがまったく頭にはいらなかったよ。

この日の就寝は夜10時。しかし、翌日は4時にお迎えが来るとのことだった・・・。
まだまだ移動の日々は続く。


ビルマ旅行(8) インレー湖・その2

2012年12月27日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在8日目。インレー湖をボードで観光しヤンゴンへと移動。相変わらず忙しく長距離移動。

相変わらず下痢は続いていたものの、下痢止めが身体に合わず飲むのをやめてしまった。幸いなことにお腹は痛くならずトイレへ行く回数が多い状態だったので下痢止めを飲まなくても大丈夫かなと判断した。食べてもそれが体内へと留まることがなかったため、これ幸いとよく食べよく水分をとった。
ホテルの朝食で麺類をその場で作ってくれるコーナーがあり、「体力が落ちているから食べなきゃね~」と言い訳しつつあれもこれもと食べまくった。楽天家ダンナもそんなに食べて大丈夫?と心配はせず、ほれもっと食べろと進めていた。 


(シャンヌードル スープ入り)


(モヒンガー)

朝のインレー湖は霧がかかっており、ぐっと冷え込んでいた。迎えに来てくれたボートの船頭さんは毛布持参できてくれたので助かった。

しばらく走ると霧が晴れてきて、インレー湖周囲の山並みが見えるようになった。

インレー湖は観光地ではあるが、地元の人が生活する場でもある。浅瀬に土を盛って畦を作りトマトやウリを栽培していた。トマト栽培は結構盛んなようで、トマト畑をよく目にした。


インレー湖では生活の中心に船あり。移動中、船を利用した様々な生活の場を見た。


(どこかへ移動中なのかな?)


(お米運搬中)


(野菜収穫中)


(土手の修繕中)

 

 びっくりしたことに、インレー湖の居住区域(といっていいのかな?)では電線が張り巡らされており、パラボラアンテナを設置している家まであった。

インフラが発達しているのかと思えば、洗濯を湖でしていたり。トイレも湖へと垂れ流しか、盛った土に流すかという感じだった。(見た感じから判断したもので、実際のところ確かではない)

 

小学校も水の上に建てられていた。校庭もあって子供たちが遊んでいたよ。ここへ通うのも船を利用だと思う。

 


その後、居住地域を見て廻り、いくつかお土産やとお寺へと立ち寄った。最初に寄ったお店はハスから糸を紡ぎだしロンジー(民族衣装)を作っていた。ハスの繊維を紡ぐ様子を見せ触らせてくれたのだが、切り口を入れ繊維を伸ばしよっていく。気の遠くなる作業だった。

 

船で移動中、面白いものを発見。ビルマ・ネコカフェ。

中に入ったのに誰もおらず、ネコも居なかった・・・。残念。

インレー湖の有名なお寺、ファウンドーウー・パゴダ。(Phaung Daw U Pagoda) 

この四体は仏像なのだが、金粉を張られ続けこんな形になったとのこと。この仏像が鎮座されている台座には女性は入ってはいけないとのこと。「ここから先は女人禁制」、そういう場所が沢山あるのよね。 

その後、 ガーペー僧院へ。(Nag Phe Kyaung)へ・・・

インレー湖・その3へつづく


ビルマ旅行(7) インレー湖・その1

2012年12月26日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在7日目。バガンからインレー湖へと移動。またもや長距離移動の日。

吐き気は治まったものの、下痢に悩まされていた。お腹が痛くならなかったのは幸い。バガンから飛行機でヘーホー空港へ向かい、そこから車と船で2時間かけてホテルへ向かうと聞いたため、旅行前にお友達からもらった下痢止めを服用した。この下痢止め、ものすごく強力で服用後ぴたりと下痢が止まったのだ。

ヘーホー空港は昨日の事故などなかったかのように通常通り運営されていた。

しかし、空港の外に出てみて驚いた。前日25日の事故現場を見ようと人だかりが出来ていた。楽天家ダンナはタクシーの運転手さんに頼んでしばらく車を止めてもらい写真を撮っていた。ボヤキ嫁はというと、まだ体調が回復しておらず車の中からぼやっとその人たちを見ていた。

ヘーホー空港は山か丘の上にあるようで、空港を出てしばらくくねくねとした山道を下ることとなった。飛行機・車と移動でぐったりと疲れたものの、乗り物酔いしない体質でよかったと自分の体の頑丈さに感謝したわ。前日一日ベットで臥していても翌日この移動は大丈夫だろうと考える楽天家ダンナはもっと体が頑丈だな、などと移動中に考えていた。

本日宿泊予定のインレー湖畔のホテルまで車ではいけず、途中から船に乗り換えることとなった。船の手配はしていなかったため、タクシーの運転手さんに適当な船着場へと連れて行ってもらった。

船着場で今日と明日の船を予約。ここではインレー湖の船だけでなく、色々な旅行の手配をしているとのこと。先日見たマンダレーの高速バスチケット売り場と同じく、電話で確認し手書きでチケット発行らしい。

船着場から荷物を船に載せインレー湖へと向かった。

色々通り過ぎていく船を見て、気が付いた。椅子にお客を乗せている場合はほぼ観光客もしくは外国人で、地元のビルマ人が乗っている場合は椅子を使わずより多くの乗船客を乗せていた

朝起きてから、タクシー、飛行機、タクシー、船と体調が優れないなか移動。空港以外ではホテルへ着くまでトイレを使うことが出来なかったため、下痢止めが効いていてくれて本当に助かった。 

船はモーター付きだったためぐんぐん進んでいたが、ここでは写真を撮りたいだろうなというスポットでは船頭さんが若干スピードを緩めてくれた。観光客が多い場所なのでこういった気遣いは大切なんだろうな。

ホテルに着き、遅めの昼食を取りすこし散歩をしてみたもののまだ体調は万全ではなくそのまま夜まで眠ってしまった。夜10時過ぎ、花火の音で目が覚めた。この日はホテルでコンサートが開かれていた模様。普段だったら楽しいイベントは絶対に外さない我が家だが、ボヤキ嫁は体調が万全ではないし、楽天家ダンナも疲れ切っていたので「花火が上がってるねー」「でも寝よー」とベットから動き出すことはなかった。

この日長距離の移動はあったものの良く寝たため翌日以降体力は回復。


ビルマ旅行(6) バガン

2012年12月25日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在6日目。食あたりと連日の移動の疲れあり、大変な一日だった。

朝起きたらなんだか体調が優れない。だがこの朝5時から托鉢のお手伝いに行く話しがあった為、4時起床で山を下った。

お手伝いに行った場所は、27年間毎朝托鉢の食事提供をしてきた団体。毎日約1,000人の僧侶がやってくるとのこと。


(手前左の車に乗せられているのがご飯)

黒板にびっしりと書かれた寄付者の名前。1月中旬まで寄付者の予定が組まれていた。ボヤキ嫁たちが到着した5時には既に200人くらいの僧侶たちが訪れた後だった。大なべで炊かれたご飯が次々に奥から運ばれ、次の僧侶の団体が来るのを待っていた。

僧侶たちは蓋の付いた器を持っており、その器の蓋を外して碗にご飯を盛ってもらい次の場所で置かずとなるものを入れてもらう。どちらの場所でも鍋から直接僧侶たちが持ってもらわず、受け渡す係りがいた。この受け渡し係りは直接僧侶と関わることになるため一番大役のようだった。ボヤキ嫁もその係りをやらせていただいた。

僧侶にご飯を渡していたときはまったくといって吐き気を感じなかったが、僧侶の列がきれふとわれに返った瞬間猛烈な吐き気に襲われもどしてしまった。ここの団体の方が心配してくれ、何か食べて薬を飲むといいとホテルに戻る前に自宅に招いてくれた。

出された暖かいお茶はとても嬉しかったが、「ほら、これを食べて薬を飲んで」と出されたものを見て、『これ食べたら戻すな・・・』と瞬時に思い、ネタが出来たと写真を撮ったボヤキ嫁。体調が悪いときに育った環境が違うと辛いなぁとしみじみ思った。吐いてしまった後は胃にやさしいもの、白湯かお茶で十分なのに、この油・・・。皆さん心配してくれているのがよく分かっただけに、これを出されて辛かった。

楽天家ダンナに「食べられない・・・」と訴えてみたものの、楽天家ダンナを含むみなさんが食べないと駄目だと進めるため、頑張って二口食べてみた。そしてホテルへ戻る途中のくねくねとした山道の途中に全てを残してきた。
その後お茶を飲んでもトイレへ直行という状況で、楽天家ダンナが朝ごはんなのか昼ごはんなのかを持ってきてくれたらしいが、うーんと唸ったままベットで過ごすこととなった。

この日は楽天家ダンナにとって大変な一日だったと思う。朝から嫁は体調崩して吐き続け、昼過ぎから知り合いたちから生存確認の電話がじゃんじゃん入ってきたのだ。この日、ヘーホー空港で飛行機事故があった。当初、その飛行機でインレー湖へ向かう計画を立てていた楽天家ダンナ。楽天家ダンナが申し込んだ時には25日の飛行機チケットが取れず、翌26日にインレー湖へ向かう飛行機しか取れなかった。周りの人たちは25日か26日にヘーホー空港に向かうと言っていたため「いまどこにいるの?」という生存確認の連絡が沢山入ってきたのだ。ボヤキ嫁は調子悪くなっているし、飛行機事故は起こるしで、全ての予定をキャンセルしてヤンゴンへと戻ろうかとまで話していた。

ボヤキ嫁はというと、せっかく眺めのよいホテルに滞在したのに、チェックアウトぎりぎりまでベットで横たわり何も楽しめず。バガンにある次のホテルへチェックインしてもベットから動けずだった。3時過ぎにようやく落ち着いてきてふと気が付いた。バガンの夕日を見れるのはこの旅行では今日が最後ではないか?お友達がFBに乗せていた写真を見てからバガンから眺める夕日を見たいと思っていたボヤキ嫁。楽天家ダンナに本当に大丈夫?と心配される中、よろよろとした足取りでバガンの夕日を眺めるポイントへと向かった。

高いところに登るとは聞いていたがここまでとはと、着いた瞬間若干後悔した。夕日を見るためには45度以上の傾斜の階段を登らねばならなかったのだ

「最上部まで行かずここで十分。」と途中で楽天家ダンナに訴えてみたものの、「あと少しだから」と上まで登ることを進められた。どうにか登りきれたが、一日近く食べておらずベットに横たわっていたため体力が落ちていて床に座らないと立っていられない状態だった。が、夕日を見るのだーと気合を振り絞り、どうにか美しい夕日を眺めることが出来た。

この時撮った写真を見ると、常に楽天家ダンナがボヤキ嫁の腕をつかんでいたのよね。ふら~っとパゴダから落ちてしまうのではないかと心配だったそうだ。

バガンで夕日を見ていた時点で吐き気はほぼ治まっていたのでもう大丈夫かなと安心したが、この後ながーく下痢に悩まされることになった。


ビルマ旅行(5) ポッパ山

2012年12月24日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在5日目。この日はマンダレーからバガンへと移動した。

朝、ホテルのロビーで木琴を演奏しているおじさんを発見。写真を撮らせてもらっていると、「これ弾いてみる?」とのお誘いが。ポローンと音を鳴らすのみしかできなかたけが、初竪琴演奏をさせてもらいました。

その後、空港まで移動するためタクシーを頼むと、まだ時間があるからお寺に寄っていこうと運転手さん。街の中にあるお寺に朝からお参りしてきました。朝から皆さん熱心にお祈りされていたよ。

お参りが終わってもまだ時間はあるとのことで、コーヒー屋で軽く何かを食べることとなった。
マンダレーはバイク都市で車よりもバイクのほうが多いのではないかと思うほど、バイク利用者が多い。コーヒー屋の前もずらっとバイクが並べられていた。

このコーヒー屋、大変繁盛していて座るところがないくらい。

知らないおじさん(右)とタクシーの運転手さん(左)と相席。タクシーの運転手さんが食べている揚げパンらしきものは彼の後ろで捏ねて挙げられていて、常に出来立てを提供していた。このパンはコーヒーに付けて食べると美味しいとのこと。ボヤキ嫁は朝ごはんをがっつり食べていたため、コーヒーのみ。

この日はビルマ旅行2回目の飛行機。

地方空港といっても国際線も発着している国際空港。しかし、セキュリティーはあってないようなもの。私たちが荷物のエックス線検査前にやってきたら検査官が誰もいなかった・・・。素通り出来ちゃうじゃないの。しばらく待っていたら検査官がコーヒーを持って戻ってきたよ。そしてボヤキ嫁の手提げカバンは『いいよ』と手を振られ検査なし。検査を受けていたフランス人のカバンがビーッとなったがあけて検査することもなし。

X線を使った搭乗検査場所。写真を撮ったときは検査官が3人座っているけど、少し前まで誰もおらず、素通り出来た。それにこんな写真を撮れてしまってセキュリティー上問題はないのか?と不安になった。今まで飛行機の搭乗検査は靴を脱いだり、100ml以下の液体をジップロックへ入れたりと色々面倒なことばかりだったため、こんなのでいいの?と肩透かしを食らった感じ。
マンダレー空港から飛行機に乗ったのは私たち2人と、フランス人・中国人のカップルの4人のみ。 飛行機は空いているから好きなところに座っていいわよとカウンターで言われていたそうだ・・・。うーん、バス並みの自由さ。



(空港に到着する少し前、空からバガンのパゴダが見えた。)

飛行機に乗せられた荷物は台車に載せて空港建物まで人力で運んでくれた。お疲れ様。

この後バガンの国立公園へ。この公園の人気者の鳥。楽天家ダンナが「大丈夫、なんにもしないからもっと側によって」というので近づいたら、まんまとくちばしでお尻を突かれた。

そしてその様子をしっかりビデオに収めていた楽天家ダンナ。その後会った人たちにこのビデオを見せて何度も笑っていた。ネタ提供に感謝してもらわねば。

ここにはビルマにしかいないという『黄金の鹿』がいた。背中に斑点がないから黄金の鹿なのかしら?ここで餌付けさせてもらったが、先ほどの鳥の一件があり及び腰のボヤキ嫁。

この日のお昼は、この公園内の川沿いのレストランで食べた。このレストランは景色がいいので観光客が食事を取りに多く訪れていた。予約をすれば中州にテーブルと椅子を運んでプライベート席を作ってくれるとのこと。

昼食後、バガンの遺構を見ながら約30マイル移動。

「ここから30マイルだからすぐだね。」という楽天家ダンナ。バガンの街からこの日泊まったホテルまでは結構距離がありました・・・。あとでふと気が付いたのだが、アメリカで30マイルというと高速を使ったら30分で着いてしまう距離。多分楽天家ダンナはその距離感で移動を考えていたのではないかな。

ホテルは山の中腹に立てられており、テラスからはポッパ山を見下ろすことが出来た。
(日本語でのミャンマー観光案内ではあの山をポッパ山といっているが、楽天家ダンナ曰く、あれはポッパ山ではないとのこと。ビルマ人がポッパ山というのは別のもっと高い山。) 

あれを見下ろせてしまうということは、そうとう山を登った場所にあるホテルということ。このホテル眺めがよくのんびり出来そうだわ~と思っていた。しかし、この夜ボヤキ嫁は街の中で食べた夕食に当たってしまったのだ。あれだけ楽天家ダンナがボヤキ嫁が口にする食べ物に気をつけていたが、この日に飲んだ飲み物に入っていた氷が原因で体調を崩したと思われる。