少し季節外れですが・・・・
蓮の花
お彼岸ですので(彼岸入りは19日、中日/秋分の日は22日、彼岸明けは25日)
安倍元総理は、七年ぶりの参拝だという。
前回は、総理になった年末の12月。
今回は、辞めたあと。
これに対して韓国の毎度お馴染みの「深い遺憾」の報道。
中国、今回はしなかったのかな。
毎度お馴染みの構図であるけど。
これ(韓国の深い遺憾)は日本国憲法で保障されている信教の自由を侵しております。
安倍さんがどこに参拝しようが、それは彼の権利です。
靖國神社は「英霊を祭る社」である。
というのが、ふつーにいわれる靖國神社の説明だけど。
実はこれは少し誤った情報である。(と私は思う)
以下は、少し長いが、靖國神社のサイトから、コピペでいただいてきたので、ご覧いただきたい。
靖國神社には、戊辰戦争(戊辰の役)やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争(西南の役)といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬さかもとりょうま・吉田松陰よしだしょういん・高杉晋作たかすぎしんさく・橋本左内はしもとさないといった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して、国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊みたまが祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。
その中には軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども同様に祀られています。
このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られているのは、靖國神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にあるからです。つまり、靖國神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しています。
これを知ったのは、靖國神社に参拝するようになってからだ。
私が東京ステイで愛用しているのは東京セントラルユースホステル。
飯田橋駅のすぐ横にある東京都運営のユースホステル。
ここから歩いて10分ほどの所に靖國神社はあるのだ。
で、そうだ、と思いついて初めて試み参拝。
(多分今から7,8年くらい前)
実は、英霊とか苦手で・・・苦しい思いをして亡くなられた人が多いと思うので、想像すると切ない・・私の心の弱さで参拝したことが無かったのだ。
でもいってみたら、とてもいい気があるきりりとした場所。
そして、上記の御祭神(ごさいしん・神社に祭られている神様)についても知った。
以降、毎年一回は感謝参拝している。
(今年はしていない、残念ながら)
中韓が内政干渉といってもいい「深い遺憾」を発表するのは、太平洋戦争時の指導者(要するにA級戦犯)も合祀されているからだが、それとて、東京裁判で裁かれて旅立った・・・もういいではないか・・・っていう私の考えが日本人的でありすぎるのかな。
あともう一つ、靖國参拝の後に行くのが
国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑 だ。
以下は、奉仕会のホームページよりいただいてきた説明。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場 において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。
現在、37万69柱(令和元年5月27日現在)のご遺骨がこの墓苑に奉安されております。
(ご遺骨は軍人・軍属・一般邦人を含む)
ここは人気がほとんど無い(私が行くときがそうなのかもですが)。
(安倍さんが総理だったときは何度かおいでになっている、献花を見た)
私がここ、千鳥ヶ淵霊苑を参拝するとき思いだしている場所がある。
それはバイカル湖畔のリストヴィアンカ村の森の中にあった捕虜となった日本人兵士の墓地。
シベリア鉄道の旅で忘れられない場所の1つだ。
1945年の終戦後、ソビエトロシアに捕虜として連れていかれた、バイカル湖畔で劣悪な環境の中で強制労働の果てに亡くなられた人たちのお墓。
第二のシベリア鉄道といわれるバム鉄道建設に従事されていたようだった。(地元の人の話)
極寒のロシア内陸であるシベリアにつれてこられた日本人捕虜たちはバイカル湖を見たときに日本海だ、日本に帰れると喜んだという話を聞いて涙が止まらなかった。
リストビアンカ村の、素朴なしかし神聖な空気が漂っているロシア正教会で聞いて、人気のない森の中に足を運んだ。
お墓たちは寂しそうだった。
野原に咲いていた黄色い花を摘んで手向けて、手持ちのバイカル湖の水をかけた・・・
この霊園を参拝することであのシベリア抑留されて亡くなられた方々に手を合わせていると言ってもいい。
長くなった。
安倍元総理が靖國参拝をすることは、何の問題もないし、今の日本の礎となって下さって旅立たれた方々に額づくのは、人として当たり前の行為ではないかということだ。
終わり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京セントラルユースホステルから(JR飯田橋駅西口)靖國神社は徒歩10分あまり。
靖國神社から千鳥ヶ淵霊苑は皇居のお堀の遊歩道を歩いて15分ほど。
はやく上京できるようになりますように・・・
国立西洋美術館では「ロンドン・ナショナルギャラリー展」やっているし、日本民藝館では「美しきアイヌの手仕事」をやっている。
見たいわ・・・
新型コロナウイルス退散!!
蓮の花
お彼岸ですので(彼岸入りは19日、中日/秋分の日は22日、彼岸明けは25日)
安倍元総理は、七年ぶりの参拝だという。
前回は、総理になった年末の12月。
今回は、辞めたあと。
これに対して韓国の毎度お馴染みの「深い遺憾」の報道。
中国、今回はしなかったのかな。
毎度お馴染みの構図であるけど。
これ(韓国の深い遺憾)は日本国憲法で保障されている信教の自由を侵しております。
安倍さんがどこに参拝しようが、それは彼の権利です。
靖國神社は「英霊を祭る社」である。
というのが、ふつーにいわれる靖國神社の説明だけど。
実はこれは少し誤った情報である。(と私は思う)
以下は、少し長いが、靖國神社のサイトから、コピペでいただいてきたので、ご覧いただきたい。
靖國神社には、戊辰戦争(戊辰の役)やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争(西南の役)といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬さかもとりょうま・吉田松陰よしだしょういん・高杉晋作たかすぎしんさく・橋本左内はしもとさないといった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して、国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊みたまが祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。
その中には軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども同様に祀られています。
このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られているのは、靖國神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にあるからです。つまり、靖國神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しています。
これを知ったのは、靖國神社に参拝するようになってからだ。
私が東京ステイで愛用しているのは東京セントラルユースホステル。
飯田橋駅のすぐ横にある東京都運営のユースホステル。
ここから歩いて10分ほどの所に靖國神社はあるのだ。
で、そうだ、と思いついて初めて試み参拝。
(多分今から7,8年くらい前)
実は、英霊とか苦手で・・・苦しい思いをして亡くなられた人が多いと思うので、想像すると切ない・・私の心の弱さで参拝したことが無かったのだ。
でもいってみたら、とてもいい気があるきりりとした場所。
そして、上記の御祭神(ごさいしん・神社に祭られている神様)についても知った。
以降、毎年一回は感謝参拝している。
(今年はしていない、残念ながら)
中韓が内政干渉といってもいい「深い遺憾」を発表するのは、太平洋戦争時の指導者(要するにA級戦犯)も合祀されているからだが、それとて、東京裁判で裁かれて旅立った・・・もういいではないか・・・っていう私の考えが日本人的でありすぎるのかな。
あともう一つ、靖國参拝の後に行くのが
国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑 だ。
以下は、奉仕会のホームページよりいただいてきた説明。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場 において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。
現在、37万69柱(令和元年5月27日現在)のご遺骨がこの墓苑に奉安されております。
(ご遺骨は軍人・軍属・一般邦人を含む)
ここは人気がほとんど無い(私が行くときがそうなのかもですが)。
(安倍さんが総理だったときは何度かおいでになっている、献花を見た)
私がここ、千鳥ヶ淵霊苑を参拝するとき思いだしている場所がある。
それはバイカル湖畔のリストヴィアンカ村の森の中にあった捕虜となった日本人兵士の墓地。
シベリア鉄道の旅で忘れられない場所の1つだ。
1945年の終戦後、ソビエトロシアに捕虜として連れていかれた、バイカル湖畔で劣悪な環境の中で強制労働の果てに亡くなられた人たちのお墓。
第二のシベリア鉄道といわれるバム鉄道建設に従事されていたようだった。(地元の人の話)
極寒のロシア内陸であるシベリアにつれてこられた日本人捕虜たちはバイカル湖を見たときに日本海だ、日本に帰れると喜んだという話を聞いて涙が止まらなかった。
リストビアンカ村の、素朴なしかし神聖な空気が漂っているロシア正教会で聞いて、人気のない森の中に足を運んだ。
お墓たちは寂しそうだった。
野原に咲いていた黄色い花を摘んで手向けて、手持ちのバイカル湖の水をかけた・・・
この霊園を参拝することであのシベリア抑留されて亡くなられた方々に手を合わせていると言ってもいい。
長くなった。
安倍元総理が靖國参拝をすることは、何の問題もないし、今の日本の礎となって下さって旅立たれた方々に額づくのは、人として当たり前の行為ではないかということだ。
終わり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京セントラルユースホステルから(JR飯田橋駅西口)靖國神社は徒歩10分あまり。
靖國神社から千鳥ヶ淵霊苑は皇居のお堀の遊歩道を歩いて15分ほど。
はやく上京できるようになりますように・・・
国立西洋美術館では「ロンドン・ナショナルギャラリー展」やっているし、日本民藝館では「美しきアイヌの手仕事」をやっている。
見たいわ・・・
新型コロナウイルス退散!!