忘れてた。「ローエングリン」で一番有名なのは結婚行進曲だった。結婚には縁がないからはなっから頭になかった。一般の結婚式では、入場時がコレで、退場時がメンデルスゾーンの結婚行進曲なんだよな。あと、オペラなんだから声を聴きたいんだ、という人にとっては、ローエングリンが歌う「遙かな地で」。第2幕の悪党夫婦の二重唱も欠かせない。
だが、私の注目ポイントは第3幕の場面交換の際の間奏である。ウィーン国立歌劇場の引越公演でオケピットの中を高いところ(安い席)から見ていて、すさまじい攻防劇に圧倒されて以来のことである。その様子はこう。オケピットの左端にホルン部隊が陣取り、右側にトロンボーン舞台が陣取って対峙し、互いに咆哮し合う様は、まるで関ケ原で対峙した西軍と東軍が矢をいかけ合うごとしであった。最近も、久しぶりに見たレーザーディスクの「ローエングリン」がウィーン国立歌劇場だと思ったら、件のシーンでカメラがホルン部隊とトロンボーン部隊を交互に抜いていた。カメラ演出に我が意を得たり!であった。
物語の時代は中世。だから、三権分立などはかけらもなく、政治的権力は王に集中している。行軍を決定する(行政権を行使する)のはもちろん、裁くのも(司法権を握っているのも)王。王は、ことあるごとに「国法に基づき」と言うが、どうせ自分自身あるいは自分のご先祖様が決めた法律だから立法権も王のものである。ただ、法律があるだけマシである。王の気まぐれで処罰されることがないからである。ハンムラビ法典も武家諸法度もそういう意味で価値がある。
そうした観点からオケピットの中を見ると、少なくともトロンボーン部隊とホルン部隊の二権分立が成り立っている、と言える。
先に「悪党夫婦」と書いたが、この夫婦は婦唱夫随である。すなわち、邪教を信じる妻のオルトルートがクーデターを仕組んで夫テルラムントはそれに従ったのである。
「邪教」と書いたが、それはローエングリンが属するキリスト教世界から見た話で、オルトルートが声を張り上げてその名を呼ぶのはヴォーダ(タ)ン、フライアと言ったゲルマンの古い神々。これらの神々は「ローエングリン」でこそ異端扱いだが「ニーベルングの指輪」では主役を張る大物である。
同様に、メンデルスゾーンの「エリア」が描く古代イスラエル王国の世界では、妻イゼベルの言いなりになってバール神信仰を取り入れたアハブ王は極悪の扱いだが、歴史家の評価は決して低いものではない。因みに、「エリア」を某A合唱団で取り上げた際、私はイゼベルを歌ったのだが、このイゼベルが後に高窓からほっぽり出されて無残な死を迎えることは、歌ってる最中は知らなかった。