洗濯をして、干すとき、ペアである靴下は一緒にひとつの洗濯ばさみではさんで干すのだが、これまでずっとペアとして扱ってきた二個体が、よく見ると色が違うように見える。暗いところではよく分からないので明るいところに出して見ると、
明らかに違う。ずっと間違ってペアリングをしていたのだ。慌てて別々にして干した。ってことは、もう一組、間違ったペアリングが衣装ケースの中にあるはずである。私は、計4個体のペアを引き裂いていたのだ。プラトンの「饗宴」には、人間球体論(人間は元は球体で、ゼウスによって真っ二つに裂かれた後、元の半身に恋い焦がれる)が登場するが、この理論を件の靴下にあてはめると、ペアを裂かれた靴下の各個体はもとの相棒をさぞや恋しがり本来のペアリングを欲したはずである。ところが、ペアリングが戻ったと思ったら相手が違う。「饗宴」には、元の半身と出会ったとき驚くほどの愛情が湧くとあるが、間違って違う半身とくっついてしまった場合のことが書いてない。私としてはそこのところを是非知りたいのである。おそらく、こんなはずではなかったという絶望的なリアクションがとられるものと推測する……が、間違いでもなじんだからいっかー、独りよりましだしー、って組もあるかもしれない(なお、人間球体論を唱えたのはプラトンではなくアリストファネスである。その他人間球体論については1月2日のブログ記事をご参照くだされ)。
ペアリングと言えば、昔の「新婚さんいらっしゃい」の番組後半は二組の新婚さんによるパネル当てクイズだった。同じ商品の写真を貼ったパネルが2枚ずつあり、それらが伏せられていて、トランプの神経衰弱の要領でその2枚を引き当てるとそのパネルの商品をもらえる、という趣向だったのだが、その商品の中に「イエスノー枕」があった。私がこの番組を見始めた頃はお子ちゃまだったから、この枕の効用を知らなかった。知ってみると、なるほど便利のものだわい、と思うのと同時に、毎晩、新婦がイエスノーのどちらを上にしてるか気になって仕方がないであろう新郎の気持ちを思うと少し気の毒な気がした。だが、新郎だけではない。あの枕はそれこそ「ペア」=二個一組であったから、新郎だって意思表示をすることができるのである。この場合、新郎に「ノー」をかざす権利はない、男は常に「イエス」でなければならない、などと言うことは現代のジェンダー・フリーの思想とは相容れないだろう。
因みに、「What's Mickael」が描く猫の世界では雄猫に「ノー」を言う権利はないそうである。こういうエピソードがあった。町中に溢れた雌猫のフェロモンに引き寄せられた雄猫たちが見たフェロモンの発信源はニャジラであった。ぎょっとした雄猫たちであるが、彼らに選択権はないので、みんな目をつぶって「えいやっ」とばかり愛を求めてニャジラにとびかかるのだが、ニャジラの片手の一撃で弾き飛ばされる、という話である。そして、ニャジラは、街一番の美男猫をものにするのである。
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