年末年始はレギュラー放送が休止となり特別番組が幅をきかせる昨今だが、NHKFMの早朝に放送している「古楽の楽しみ」は年末年始などお構いなし。大晦日も元日もいつもとまったく変わりなく放送。「おめでとうございます」の「お」の字も言わないのは一般人から見れば奇っ怪に映るやもしれぬ。もともとクラシック・ファンは、一般人からは奇っ怪に見られるもの。高校時代、休み時間になるとクラシックマニア(私を含む)が集まってオタクネタを語り合うのをクラスメイトが胡散臭そうな顔で見ていたものである。
そんなクラシック・ファンの中でも古楽ファンは更に特殊である。学生時代に古楽専門の合唱団に所属していたのであるが、そこには心底古楽を愛するオタク中のオタクと、異性目当てに入ってくる輩の二種類がいて、前者は練習日以外でもアジト(一人の下宿)に集まって絆を強めていた。私(前者に所属していなかった)は、いったい彼らがそこでどんな様子なのか覗いてみたくて一度彼らのアジトを急襲したことがあるが、まったくもって秘密宗教の儀式のようであった。
逆もある。社会人になってからやはり古楽をよくやる合唱団に所属していたときのこと、私のほかに、もう一人(古楽を歌う一方で)オペラの大好きな団員がいて、アフター会でこの二人が端っこでオペラの話に花を咲かせていると、他の団員から「まーたオペラの話をしている」と非難されたものである。
と書いていて思い当たったことがある。ユダヤ人がなぜ世界中に散りばった先で迫害されたか、の理由である。シェインドリン著の「ユダヤ人の歴史」は、その理由として、ユダヤ人の「不思議な習慣」「奇妙な宗教儀式」が一般大衆の目に「黒魔術を操る異様な集団」「悪魔の手先」と映っていたことを挙げる。それは、年末年始にもレギュラー放送を聴くクラシックファンの「不思議な習慣」やアジトにこもって密かに行う古楽ファンの「奇妙な宗教儀式」が一般人又は一般のクラシックファンから奇っ怪に見られるのと共通である。
ユダヤ人の中には、迫害を逃れるために表面上ユダヤ教から他の宗教に改宗した人々がいたという。クラシックファンの中にもそうした改宗者が多くいる。例えば、ある政治家などは、プロフィールに「趣味がカラオケ」と載せても、合唱団でメサイアを歌ったことなどは決して載せようとしない。
人間は、洋の東西を問わず、自分と異なる者を排除しようとする性質を有するようである。残念な感もするが、仕方の無いことなのかもしれない。人間は社会的動物である。すなわち、群れることで天敵から身を守り生き残ってきた動物である。であるから、共同作業の妨げになる「異質」は歓迎されないのだと思う。
それでもクラシックファンが安泰なのは、場をこころえてるからだろう。例えば、メサイアは、メサイアを歌いたい人々とメサイアを聴きたい人々のみが集う会場で歌われる。仮に、そこら辺の飲み屋で♪ハーレルヤ!とか歌ってみたまえ。必ず、酔っ払いに、べらぼうめー(NHKの回しものではない)、そんなわけのわからねーヤツをこんな所で歌うんじゃねー、とからまれることは必定である。
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