知り合いの方が、レーシックの手術を受けるかもしれないらしい。
視力とか、メガネとかの話になると、思い出すことがあります。
私は田舎育ちで、テレビのヒーローモノが大好きな小学生でした。
テレビを近くで見すぎたため、小学校2年生で、メガネをかけることになりました。
もう35年も前の田舎の話。
メガネをかけてる子なんか、小学校に1人か2人くらいのもので、もちろん2年生には、1人もいません。
【メガネザル】ってあだ名を付けられるなんてことは、容易に想像できましたし、それは、「テレビを近くで見すぎた自分への罰」として受け入れなければならないことは、幼心に覚悟していたと思います。
ニチイにメガネを買いに行きました。子供用とか、かっこいいデザインとか、そんなメガネは1つもなく、黒ぶちのオジサンモデルしかありません。
できあがったメガネを、かけ、母親に、
「似合うよ。」
と、ほめてもらい、
ニチイの1階まで降りてきたとき、
何気なく床を見ると、
正方形の床のブロックが、ちょっと首をかしげるたびに、
クニャクニャとひし形にたわんでしまうように見えました。
「ああ、【これ】をかけると、普通(の人)のようには見えないんだ。」
って、思った瞬間、涙がポロポロポロポロ落ちてきました。
かわいそうに思った母は、私に、【恐竜のマンガ図鑑】を買ってくれました。
家に帰ると、その話をオヤジにしたみたいです。
当時、大トラだったオヤジは、
「そんぐらいのことで、男が泣くなキシャーン!」
って、メソメソしながら、【恐竜のマンガ図鑑】を読んでいた私を怒鳴りつけました。(・・・たしか【進化の秘密の項】を読んでいるところでした。)
※福岡に住んでらっしゃらない方には、伝わりにくいニュアンスだと思いますが、ウチのオヤジは、しゃべるたんびに「カシャーーンキシャーーン」ってなるような【ロボット的なキャラクター】などではなく、
「貴様ァァァ!」
が、なまって「きさん!」とか「きしゃーーん!」って言う響きになっておりまして、オヤジがこう怒鳴るときは、当時の私にとって、相当怖いことです。
「そんぐらいのことで、男が泣くなキシャーン!」
「オマエの目は、父さんが治しちゃるっ!」
そういうと、また、酒を飲みだしました。
オヤジのことだから、何か勝算があったのかもしれないけど、思いつきで怒鳴ってしまったパターンかもしれません。
レーシックなどの外科的な技術も当時は、なく。。。「どげんして治すつもりっちゃろか。」って、思ってました。
しばらくして、オヤジは、どこからか、チラシをもらってきました。
【視力回復センター】
と、書いてありました。
目の焦点を合わせるために、レンズを厚くしたり薄くしたりする筋肉があって、コレを鍛えることにより、【仮性近視】の状態を改善する訓練を行う場所でした。
・・・けっこうしたはずなんですよ。
ジェニの面でも。
・・・たぶん。
私はここで1年半の訓練を受け、結局0.3と0.6だった視力が、1.5と1.2まで回復しました。
今でもメガネのいらない生活は、あのときの、おかげと感謝しています。
客観的に当時を思い出すと、
私は、もしかしたら、【酒飲んでは母親に暴力をふるう、あるいはケンカの絶えない、かわいそうな家庭の子】・・・だったのかもしれないけれど、
このときの、オヤジの「メソメソすんな、俺が治しちゃる。」は、【強烈な父親のモデル】として、刷り込まれてしまっています。
【当時の大虎の雄】も、今では、【妖気の抜けた子泣き爺】みたいになってしまって、
「キュウリがとれたから食え。」
とか、
「トマトができたから食え。」
とか、言って、自分で作った野菜を持ってくる【しわくちゃの小さい人】みたいになってますが。。。。
それでも、やっぱ、オヤジは私にとって偉大なのであります。
視力とか、メガネとかの話になると、思い出すことがあります。
私は田舎育ちで、テレビのヒーローモノが大好きな小学生でした。
テレビを近くで見すぎたため、小学校2年生で、メガネをかけることになりました。
もう35年も前の田舎の話。
メガネをかけてる子なんか、小学校に1人か2人くらいのもので、もちろん2年生には、1人もいません。
【メガネザル】ってあだ名を付けられるなんてことは、容易に想像できましたし、それは、「テレビを近くで見すぎた自分への罰」として受け入れなければならないことは、幼心に覚悟していたと思います。
ニチイにメガネを買いに行きました。子供用とか、かっこいいデザインとか、そんなメガネは1つもなく、黒ぶちのオジサンモデルしかありません。
できあがったメガネを、かけ、母親に、
「似合うよ。」
と、ほめてもらい、
ニチイの1階まで降りてきたとき、
何気なく床を見ると、
正方形の床のブロックが、ちょっと首をかしげるたびに、
クニャクニャとひし形にたわんでしまうように見えました。
「ああ、【これ】をかけると、普通(の人)のようには見えないんだ。」
って、思った瞬間、涙がポロポロポロポロ落ちてきました。
かわいそうに思った母は、私に、【恐竜のマンガ図鑑】を買ってくれました。
家に帰ると、その話をオヤジにしたみたいです。
当時、大トラだったオヤジは、
「そんぐらいのことで、男が泣くなキシャーン!」
って、メソメソしながら、【恐竜のマンガ図鑑】を読んでいた私を怒鳴りつけました。(・・・たしか【進化の秘密の項】を読んでいるところでした。)
※福岡に住んでらっしゃらない方には、伝わりにくいニュアンスだと思いますが、ウチのオヤジは、しゃべるたんびに「カシャーーンキシャーーン」ってなるような【ロボット的なキャラクター】などではなく、
「貴様ァァァ!」
が、なまって「きさん!」とか「きしゃーーん!」って言う響きになっておりまして、オヤジがこう怒鳴るときは、当時の私にとって、相当怖いことです。
「そんぐらいのことで、男が泣くなキシャーン!」
「オマエの目は、父さんが治しちゃるっ!」
そういうと、また、酒を飲みだしました。
オヤジのことだから、何か勝算があったのかもしれないけど、思いつきで怒鳴ってしまったパターンかもしれません。
レーシックなどの外科的な技術も当時は、なく。。。「どげんして治すつもりっちゃろか。」って、思ってました。
しばらくして、オヤジは、どこからか、チラシをもらってきました。
【視力回復センター】
と、書いてありました。
目の焦点を合わせるために、レンズを厚くしたり薄くしたりする筋肉があって、コレを鍛えることにより、【仮性近視】の状態を改善する訓練を行う場所でした。
・・・けっこうしたはずなんですよ。
ジェニの面でも。
・・・たぶん。
私はここで1年半の訓練を受け、結局0.3と0.6だった視力が、1.5と1.2まで回復しました。
今でもメガネのいらない生活は、あのときの、おかげと感謝しています。
客観的に当時を思い出すと、
私は、もしかしたら、【酒飲んでは母親に暴力をふるう、あるいはケンカの絶えない、かわいそうな家庭の子】・・・だったのかもしれないけれど、
このときの、オヤジの「メソメソすんな、俺が治しちゃる。」は、【強烈な父親のモデル】として、刷り込まれてしまっています。
【当時の大虎の雄】も、今では、【妖気の抜けた子泣き爺】みたいになってしまって、
「キュウリがとれたから食え。」
とか、
「トマトができたから食え。」
とか、言って、自分で作った野菜を持ってくる【しわくちゃの小さい人】みたいになってますが。。。。
それでも、やっぱ、オヤジは私にとって偉大なのであります。