11月もいよいよ最後の日。月に一度の<らーふの学校>の授業日でした。
今日の講師は街の中心部の歴史あるお寺の住職様でした。
「葬儀・お墓・永代供養の現状について」と題してお話し下さいました。
実は農婆、先日は図書館でふと目についてこんな本を借りて来ていました。ちょっと気になるタイトルでしたから安易に…。しかし、農婆にとっては、なかなか納得したり頷きながら読めなくて、ますます人生の終盤が困惑しそうでした。
今日の授業は興味深く授業時間の延長も気にならず真剣に聞き入っておりました。
最近は安易に送られる側が迷惑をかけたくないから家族だけの葬儀にしてほしい・・・散骨を希望してお墓は要らない・・・との遺言も有るとか。現状をお聞きしました。
決して自分の思いだけで結論を出さず、実際は葬儀も墓も送る側のためのものであることを忘れてはいけないと。
最近は仏様も神様も知らない子供たちも増え神仏に手を合わせる大人の姿を見たことがないことで、死を軽々しく考える子どももいるのでは・・・。
事情は色々あろうとも、もっとご先祖様に寄り添って生きて行かなければとそんなことを学んだ今日の授業です。
< 歩を休め行く手思案の地図探し >
今日の講師は街の中心部の歴史あるお寺の住職様でした。
「葬儀・お墓・永代供養の現状について」と題してお話し下さいました。
実は農婆、先日は図書館でふと目についてこんな本を借りて来ていました。ちょっと気になるタイトルでしたから安易に…。しかし、農婆にとっては、なかなか納得したり頷きながら読めなくて、ますます人生の終盤が困惑しそうでした。
今日の授業は興味深く授業時間の延長も気にならず真剣に聞き入っておりました。
最近は安易に送られる側が迷惑をかけたくないから家族だけの葬儀にしてほしい・・・散骨を希望してお墓は要らない・・・との遺言も有るとか。現状をお聞きしました。
決して自分の思いだけで結論を出さず、実際は葬儀も墓も送る側のためのものであることを忘れてはいけないと。
最近は仏様も神様も知らない子供たちも増え神仏に手を合わせる大人の姿を見たことがないことで、死を軽々しく考える子どももいるのでは・・・。
事情は色々あろうとも、もっとご先祖様に寄り添って生きて行かなければとそんなことを学んだ今日の授業です。
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