ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

楽山の大仏

2014-04-27 16:45:31 | Weblog
翌日は楽山の大仏へ。ここも世界遺産になったところ。

ホテル近くの茶店子というバスターミナルに行ったら、
すでに当日の楽山行きチケットは売り切れ。
1日ツアー等も出ておらず、非常に冷たい対応を受け、
市の南にあるバスターミナルへ行った。

すごい行列の中、なんとかチケットを入手し、バスへ。
こういうとき、どうしても戦闘モードになってしまう。
たぶんむかし留学していた頃の気分に戻るからだろうなあ。

約2時間、休憩なしで走って、楽山へ。
むかしは渡し船で、船頭さんが手漕ぎで連れて行ってくれた大仏さまも、
いまはエンジン付きの船で大人数を運ぶ。



そういえば、前に来た時、上海人のお嬢さんグループがいて、
手漕ぎボートに乗るのを怖がっていたら、
「これだから、上海人はよ~、偉そうな顔しやがって、見下しやがって」と、
そこにいた中国人全員にやんや言われ、半べそをかいていたことを思い出した。

大仏さまは、相変わらず大きかった。
誰かに似てると思うんだけど、誰だか思い出せない。



前は船で、対岸に渡らせてくれたと思うんだけど、いまは出港したところに戻る。
しょうがないから陸路、大仏側の岸にまわる。

中国人観光客がたくさんいる。

 

白人の観光客も多い。
すごい喧噪。そんなことお構いなしで、大仏さまの頭には花が咲いている。



大仏さまの下まで降りようかと思ったのだけど、あまりの行列に、心がなえた。



ドミノ倒しになったらいやだし。



人民が多いところにはいかないことにしている。
逆に、人民が多いところに行く場合は、自分も人民になった気になって、
他人のことなんか気にせず、殴ってでも自分の権利を主張する気合いで行く。
それがイヤな時は、行かない。
大仏さまの前で、そんなモードにはなりたくないから。

お決まり、という気がしてきた仏塔。
西安にも、先日行った石家荘正定県にも、同じ形の塔があった。
きっと、ある時代の流行ね。



バスターミナル横で麺をすする。



またまた片道2時間をかけ(ほとんど爆睡していたが)、
成都に戻ってから、火鍋へ。



この火鍋屋、バンドの生演奏があったりと、けっこう格好つけてるけれど、
なんと具材が回転寿司の要領で回ってくる。



どこかで見たラベルだけど、ちょっと思い出せないビール。
と思ったら、ブルーラベル。北京でよく飲んだ銘柄だった。
いまは、こんな瓶になってるんだね。
北京にも、もう5年くらい行ってないな。

そして帰り道。
やっと見慣れた光景があった。



成都と言えば、夜、道に火鍋と椅子を広げて、夕飯をほおばる。
道には唐辛子と花山椒の混じった、あぶらっこい辛い空気が充満する。

こうこなくっちゃ、成都は。

翌日は少しゆっくりめに起き、ホテル近くで、行列ができていたお店に行った。

鶏が一羽、まるまる入ってる。



当然、足や頭が、発掘されてしまう。
中国人は一番そう言ったところが好きだけど、私たちは横によけて、肉を食べる。

少しトッピングを加えるとこんなになる。



その後散歩がてら永陵博物館というところに行った。
五代十国時代の皇帝のお墓。

抗日戦争時代に、防空壕を掘ろうとして見つかったところらしい。
そういえば、重慶まで日本は空爆に来てたから、成都も危機感を持ってたんだろう。
なんてことはない陵だ。

夕方成都の空港から上海に戻り、無事、散歩は終了。
成都空港にいたチャイナエアラインの飛行機。
あまりにもかわいくないパンダでビックリした。



今回の成都で一番ショックだったのは、天府コーラがなくなっていたこと!
本物のコカコーラしかなかった。

時代は変わったのだなあ。

成都

2014-04-27 16:01:07 | Weblog
ラサから成都へ。

国内線なのに2時間以上も前に空港に送られた私は、
やっぱりガイドさんから嫌われていたのだろうと思う。
早く離れたかったのだろう。

ラサ空港。
空港までは、アスファルトの道で約50分。結構遠い。



またもや、「つっこんでください!」と言われているようなスローガンを発見。



意訳するとこんな感じ。
一緒に作ろう! 中国の夢、洗練されたチベットの5つの模範行動

ふむふむ。で、なんて言っているんだ?

1つめ 交通ルールを守ろう!
2つめ 食卓にマナーを。浪費せず、食べられる量だけで。
3つめ 旅行マナーを守ろう。新チベットのスタイルで。
4つめ ネット上でも行儀よく。
5つめ 解放軍の兵士のように道徳的に!

1から4までは、中国から来るマナーの悪い中国人に言ってやってください。
5つめは、そもそもの前提が間違っています。

早めに着いてしまったので売店をうろうろ。
ヤクのジャーキーを買った。

売店のチベット人が歌っていた歌の歌詞は、「没有共産党,就没有新西蔵」
そういえば、むかしは「没有共産党,就没有新中国」って歌ってたと思うんだけど、アレンジなのね。
チベットの人は歌が大好きだけど、空港で歌える歌は限られてるんだと思う。

その後、喫茶店で時間つぶし。
私たちが乗る前の飛行機がなかなか離陸しないと思ったら、
滑走路に2機の戦闘機が登場。すごい爆音とともに飛び立って行った。

ああ、軍の都合で、滑走路がふさがれたのね。なるほど。
国境警備かなあ。

私たちが乗った飛行機が離陸するときに見ていたら、
民間の旅客ターミナルの横に軍機が4機あった。

高山からの離陸ということで、エンジン音がいつもと違う。
上昇するにもパワー不足な感じ。
おかげでよく揺れ、機内の人は怖がっていた。
私はこういうの、結構大丈夫。

そして、これまた15年ぶりくらいの成都。
街が拡大していて、見覚えのあるところが出て来ない。

とりあえずホテルに荷物を置いたら、急いでパンダ基地へ。
タクシーの運転手さんにお願いして飛ばしてもらい、
ギリギリで中に入った。



実は、私はパンダをかわいいと思えたことがない。
特に中国で飼育されているパンダは白い部分が茶色いので、かわいく思えない。
こいつらが怒ったら、どこまで熊の本性を出すのだろうか、という点には興味がある。
ということで、目尻が下がって「かわいい~」と言う気分にはならない。
今回もやっぱりそうだったので、それにしても笹ばかりよく食べるなあと、感心して見ていた。

園内は広く、白い藤が見頃だった。



その後、成都市内に戻り、やっぱり見覚えがないところを通って、陳麻婆豆腐店へ。
ここの外観にも見覚えがない。改築したのだろう。



中も美しい。
以前はこれでもかと満ちていた花山椒の匂いも、別に気にならない。



あらあら、洗練されたのねえ、と思ったら、
料理もすっかり品がよくなっていた。



麻婆豆腐。ただし花山椒は、ほとんど効いておらず、まろやか。
これでは、陳麻婆豆腐ではなかろう。

夫婦肺片や鍋巴辣子鶏も上品だ。

 

あまり辛くないし。

いくぶん高度が下がり、食欲が復活したせいでビールも進んだ。



重慶ビールがなかなか美味しかった。

帰り道、地下鉄の駅まで歩いている途中で、
まさに今、地下鉄を掘っているところに遭遇。

 

どうも中国の工事は信用しないクセがついており、
万が一のアクシデントに巻き込まれないよう、早々に立ち去る。

翌日は楽山の大仏に行くことにした。

ラサ 3日目 ナムツォ湖、ノルブリンカ

2014-04-27 14:29:14 | Weblog
翌日は、片道2時間半をかけて、ナムツォという湖へ。

以前はすごく道が悪かったけれど、いまはすべてアスファルトの道。
途中、道の両側にチベット人の家が建ち並ぶところで、ガイドが得意げに語った。
もともともっと上の方で牧畜をやっていた人に、政府が家を与えたんです、と。

で、いまは痩せた土地を村人総出で耕している、というわけだ。

道は村の真ん中を分断するように通っている。
ナムツォ湖は観光客も多い。大型バスがすごいスピードで通る。

普通の人間の感覚なら、そんな村の作り方はしたくないだろう。
幹線道路から横道に入って、その先に、比較的静かに村を作りたいと思うはずだ。
だれが、おばあさんのところに駆け寄ろうとする子どもの前を、
猛烈な勢いで車が走って行くような村を喜ぶんだ、っつーの!
と、言いたかったけれど、言わなかった。言っても無駄だから。

というのも、朝食でホテルのレストランに行ったら、
レストランの裏に住んでいると言うガイドが朝食を食べていた。
あれだ、ホテルとは親戚かなんかだ。
このガイドとは、なるべく関わらないほうがいい。

その昔は湖のほとりまでいけたけれども、いまは展望台しか開放されていない。



美しいんだけど、むかし湖畔まで行ったときのような感激はすでになかった。
神が宿る神聖な湖なので、漢族にゴミのポイ捨てをされないのはいいことだけど、
近くに行けないのは、ちょっと残念だ。

 

海抜約4700メートルなので、ゆっくりと行動する。
ここにも祈りの石が積まれていた。



大きいチベット犬やヤクたちが観光客用にいた。
つまり、一緒に写真が撮りたかったら10元、というシステムだ。
もちろん、撮らなかった。

なんか、私的にはイマイチな観光スポットだった。

帰り道も、同じアスファルトの道を通る。
むかしは、そこら中の山肌に、仏画やチベット語による祈りの言葉が書かれていたけど、
すっかり減ったような気がする。
でも、天に昇る為のハシゴの絵は、たくさんあった。

ラサ市内に戻って昼食。
昨日リクエストしておいた通りにチベット料理。

やっと、バター茶が飲めた。



ガイドさんと運転手さんは近くの中華料理屋に行った。別行動万歳。

午後はノルブリンカへ。



前回もそうだったのだけど、ノルブリンカに行くと、チベット人に話しかけられる。
前回は向こうがチベット語しか話せなかったので、完璧なボディランゲージだったけど、
今回は相手が中国語を話した。

チベット人は、日本人が好きだ。
同じ仏教国で、しかも、ダライ・ラマをはじめとするチベット亡命政府に対して友好的だからだ。
ついでに、チベット人の大半は中国人が嫌いだ。

案の定、チベット人からは、中国人ガイドに対するイヤミが始まった。
ここは俺たちの国なのに、なんでお前らに入場料を払わなきゃならないんだ、と。

そこで、私たちが解放してあげたからあなたたち入れるんでしょう。
ダライ・ラマがいるままだったら、ここは彼の別荘だから、
あんたたち一般人なんて参観できないわよ、と言い返したのなら、拍手だったのだが、
ガイドの答えは、こうだった。

あんたたち、チケットいくらよ。外国人はチケット代がもっと高いのよ。

これ、論点がずれ過ぎだろう。
あ~、中国人っぽいな~この人~、と私は失笑だけど、もちろんチベット人は怒る。
そりゃーもう、猛烈に怒る。

で、あんなバカに対してそんなこと言ったって、意味ないよ。
あんまり言ったら危ないからやめたほうがいいよ。
私たち日本人はチベット人の仲間です。
何も力になれないけど、わかってるから。
私は、テンジン・ギャツォさま(あえてダライ・ラマ14世とは言わなかった)の講演を
日本で何度も聞きに行った。
あの方は本当に素晴らしい。心から尊敬している。
あの方も頑張っているんだから、あなたたちも頑張るんだ、と言った。
もちろん中国人ガイドに聞こえないように。

チベット人は2人組で来ていたのだけど、もう1人は、完璧にビビっていたから。



そして私たちは、1959年、多くのチベット人が亡くなったノルブリンカを歩いた。
きっと私の足の下に、そのとき、多くの方の遺体があった。
人民解放軍が大砲を撃ち込んで攻撃し、多くの遺体のなかからダライ・ラマの遺体を探した。
しかし、ダライ・ラマは難を逃れ、険しい山を越え亡命した。

ダライ・ラマの謁見室や寝室がある建物。
壁画に、若き日のダライ・ラマ14世の肖像画がある。
ついでに、ここには水洗トイレの設備がある。



 

ノルブリンカは、もう壁画とほんのちょっとの仏像しか残っていない。
中国人が宝石や金は持ち出した後だから。



庭には、いろんな野鳥が来ている。



ダライ・ラマは、薄暗いポタラ宮よりもノルブリンカを愛したようだけど、
その気持ちはよくわかる。
が、ポタラ宮だったらもっと籠城して戦えただろうに、
どうして、こんなに守りにくいノルブリンカなんかにいたんだろうか。
人民解放軍と一触即発の状態で。
という点が、今回の新たな疑問として残った。

まあ、ポタラ宮にいたからといって、時間の問題だったかもしれないけど。
外国の援軍は来なかっただろうし。

で、その後、チベット人たちと別れ、ガイドさんとホテルへ戻った。
夕飯をキャンセルします、と言った時の、ガイドさんのホッとした反応が何とも言えなかった。
夕方とはいえ、北京時間の16時半は、15時のお日さまの高さだ。

自分たちで町歩きをすることにした。



垂れ幕。「共産党がなければ、社会主義の新チベットはありません!」

そのほうがいいじゃん。大きなお世話だよ。お引き取りください。
むかし、人民解放軍の兵士が銃を持って立っていた辻には、
いまは、防弾ガラス張りの「公安」が立っている。
日本の交番のようにも見えるけれど、なんせ数が多いし、
中にいる人の数も多いし(中ではカードゲームをやってるけど)、武装警察も多い。

なんといっても、驚いたのが、「金盾」と車体に書いた車が走っていたこと。
「金盾」は、中国のインターネット検閲「グレートファイアーウォール」のことで、
外国の悪しき情報から中国人民を守る、という名目で「盾」の文字が使われている。

この車がグルグル走っているということはつまり、
「お前ら、監視してるからな。ネットで煽動したり、外国の情報を取りに行ったり、
 外国人に情報を漏らしたら、強制収容所行きだからな!」と脅しているのと同じだ。

うむ。人民解放軍の制服も装備も、近代化した。
確かに、社会主義進行中の新しいチベットだ。
納得した。

散歩は、ジョカンのほうへ。
前日に民族衣裳を買ったのだけど、パーツが足りないような気がしたから。
で、お坊さんたちが買い物をしている一般のお店で、
着付けのやり方から帯の結び方まで、教えてもらった。

その後、ミルクティーを飲みに、巡礼の人御用達のお店へ。

 

机の上にお金を出しておくと、チャージの意味となり、
その分だけエンドレスにお茶をついでくれる。

次に、ジョカン寺の前で、きれいなリボンを持っている女性陣に捕まった。
こうなると、やってもらうしかない。



この写真は友人。
1本3元で、私は頭に20数本の三つ編みがついた。まるでジャマイカン。

で、ジョカン寺前のチベット料理屋で、やっと納得の行く料理を食べた。



前にラサビールを飲んだ時は、結構ごつごつした味だったような気がするんだけど、
なんだか青島ビールのような、軽い味わいになってた。
記憶違いかなあ。

夕闇に紛れてジョカン寺前の通りの検閲をぱちり。



そして、三輪車でポタラ宮の前を通りながらホテルへ。

これが、今回購入した数々。



翌日はもう成都に向けて出発する。
ガンデンもデプンも行ってないけど、
今回の目的はラサの変貌を自分の目で見ることだったから、およその目的は果たした。

チベットには多くの矛盾があるけれど、すべてが悲惨なわけでもない。
小学校では中国語を学び、チベット語が廃れて行く危険性はあるけれど、
いまでも家庭教育はしっかりしていて、チベットの子どもたちは家の手伝いをよくする。
学校から帰った後に家の前を掃除していたり、
民族衣裳を着ていない若い人も、ジョカンの前で五体投地を熱心にしている。

そして一方の中国人は、
いま、金儲けに走りすぎて、厳しい競争社会の中、
特に都会の若者は心の支柱を失い、
キリスト教や仏教、新興宗教に走る人たちが増えている。
もちろん見つからないようにこっそりとだ。

ラサに来る中国人にも、いろんな人がいる雰囲気だった。
もちろん、住んでいると違いばかりが目立つだろうし、
そもそも中国人は支配しにきているから、仲良くはなれないだろうが、
こんなときに、チベット人のおおらかさが、どのようにプラスに働くのか、
ますます興味をそそられた。

チベット語、真面目に学んでみたいと思う。