ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ついったーの活用法

2010-09-06 00:38:23 | Weblog
ついったーで顔を知らない人がつぶやいているのを読んで、ふと思い出した。
きっかけは、
「中国人が、なぜか食べ物を少し残すのだけど、下品だと思う」に対して、
「中国の風習です」というコメントを読んだときだった。

私がはじめて中国に行ったのは1992年で、
約1週間の北京旅行だったのだけど、
食事が苦痛でたまらなかったのを思い出した。

レストランに入ると、食器はどれも汚い。
前の人の食べこぼしがあるのに、テーブルも拭いてくれない。

あとになって友人から、
「すごく怖い顔をして、ウエットティッシュで
テーブルを隅々まで拭いていたあなたの顔は、きっと一生忘れられない」
と言われたほどだった。
とにかく、道具類がぜんぶ不潔で、いやだった。

でも、それよりもイヤだったのは、中国人の食事のマナーだった。
骨付きの肉にかぶりついて、骨を床に捨てる。
食事の席なのに、床に痰を吐く。

そして、何よりも耐えられなかったのは、
ご飯のお碗を手に持たず、テーブルに置いたまま、
イヌのように猫背になってかき込む姿だった。

口の中に食べ物があるのに、大声で話し始める。
いろいろとまき散らしても、あまり気にしない。

私が、小さい頃から「やってはいけない」と言われたことが、
すべて食事の席で再現されるような悪夢に、
絶対中国人の男性とは結婚できない、と思った。

そして、私は日本人として生まれ、躾けられたことを、
非常に嬉しく思った。

そんなことが、ついったーを見ていると、再現されている。
私はすでにあまりにも過去のことで忘れてしまったことが、
いまリアルタイムで、誰かが疑問に思い、つぶやいてくれる。

これは、実はすごくありがたいことだ。

私が大好きな人には、私が中国にいるときの姿を見てほしいと思う。
仕事で行ったときではなくて、旅行しているときの私を見てほしい。
そうしないと、私のなかの何かを伝えそびれているような気がする。
私の生き方を、思考回路を、知ってほしいと思う欲求を、なにか大事な自分自身を、
表現できていないような気がする。

でも、それは、相手にとっては、すごくたいへんな経験なんだ。
私を知るという以前に、中国という環境の迫力にのまれてしまう可能性がある。
そして、それは、非常に生理的な不快感をともなうから、
すべてに対して眼を閉じさせる原因になる可能性が大きく、
結果、私を受け入れる余裕すらなくなることがある。

私にとってはあたりまえになり、スルーできるようになったことが、
程度は少し軽いかもしれないけど、確実に相手に起こるんだ。
そんな客観性をくれることが、私がついったーを活用する価値だと、
改めて思った。


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