昨日はチベット展に行った後、「皇室の名宝」も見に行った。
和はいい。
細かいところや、あまり目につかないところも、
きちんと丁寧に、手を抜かずに作っている。
若仲さんは、きっと鶏が大好きだったのだろう。
優雅で優美な鳥よりも、鶏がなんとも生き生きと、生命として美しく描かれていた。
対象を愛して描いているのって、どれだけ時が経っても伝わるもんだなあ、と感心した。
明治や大正に作られたものは、
確かに技術は素晴らしいし、繊細で完成度は高いんだけれども、
なんというか、江戸時代の作品に比べると、
「面白さ」は、どんどん減ってきたような印象を受けた。
とはいえ、やはり「和」はいいなあ、ホッとすると思った。
もうすぐすると、この展示会の展示物は入れ替わるらしい。
正倉院の宝物も見たいので、もう一度行こうと思う。
あの頃のものになると、「和」はいいなあ、と思ってキャプションを見ると、
中国や朝鮮から持ってこられたものであることも多いし、
日本で作られたものであっても、渡来人が作ったというものも多いから、また面白くなる。
そんな総称が「和」なのだけれど、
きっと心のどこかで、日本のお寺や庭園などを思い浮かべながら
宝物たちを見つめるので、勝手にこれは「和」だと、情報を補っているのだろう。
外国人から見れば、中国も朝鮮半島も日本も、
同じようにくくられて混同されてしまうのは、
この微妙な情報の「補完」がなされないからかもしれない。
イメージというのは、その場で受け取ったものだけではなく、
過去のあらゆる経験が多層的に補い合って作られるものなのだろうなあ。
和はいい。
細かいところや、あまり目につかないところも、
きちんと丁寧に、手を抜かずに作っている。
若仲さんは、きっと鶏が大好きだったのだろう。
優雅で優美な鳥よりも、鶏がなんとも生き生きと、生命として美しく描かれていた。
対象を愛して描いているのって、どれだけ時が経っても伝わるもんだなあ、と感心した。
明治や大正に作られたものは、
確かに技術は素晴らしいし、繊細で完成度は高いんだけれども、
なんというか、江戸時代の作品に比べると、
「面白さ」は、どんどん減ってきたような印象を受けた。
とはいえ、やはり「和」はいいなあ、ホッとすると思った。
もうすぐすると、この展示会の展示物は入れ替わるらしい。
正倉院の宝物も見たいので、もう一度行こうと思う。
あの頃のものになると、「和」はいいなあ、と思ってキャプションを見ると、
中国や朝鮮から持ってこられたものであることも多いし、
日本で作られたものであっても、渡来人が作ったというものも多いから、また面白くなる。
そんな総称が「和」なのだけれど、
きっと心のどこかで、日本のお寺や庭園などを思い浮かべながら
宝物たちを見つめるので、勝手にこれは「和」だと、情報を補っているのだろう。
外国人から見れば、中国も朝鮮半島も日本も、
同じようにくくられて混同されてしまうのは、
この微妙な情報の「補完」がなされないからかもしれない。
イメージというのは、その場で受け取ったものだけではなく、
過去のあらゆる経験が多層的に補い合って作られるものなのだろうなあ。