最近、いろいろな人と一緒に仕事をするようになって、よく思う。
個性を表現することと、独りよがりになることを勘違いしている人が
多いんじゃないだろうか。
例えば「自由にアイデアを出してね」という前提で話しが始まると、
「私はこれが好き」もしくは「私がこれが悩みなの」という意見が出てくる。
でも、本当はもう一歩踏み込んで、
「私がこれが好きだから、その魅力を知ってもらいたい」
「私はこれを悩んでいるけれど、こうしてみたらどうだろう」と言ってほしい。
「私はこれが好き」「私はこれが悩み」は、「私を見て」ということ。
そんな人と話しをしていると、私は、
「別にあなた個人に、そこまで興味ないんだけど」という気持ちになる。
誰にでも、評価されたいという欲求はある。
ここでいう評価は、「すごい」「えらい」というものだけではなくて、
「苦労してる」「他にはない体験をしてる」もある。
みんなたった一人の人間というものになりたくて、あがいている感じ。
基本的に、出発点は中国人と日本人は同じだと思うけれど、
少し違うと思うところがある。
中国人は、競争しながら自分を認めさせようとあがいている。
日本人は、自分はもともとオンリーワンのはずなのに、
どうしてみんな自分を尊重しない、と思っている。
成功しようが、どうであろうが、
いずれにせよ、自分の人生を生きることができるのは、自分しかいない。
個性を表現することと、独りよがりになることを勘違いしている人が
多いんじゃないだろうか。
例えば「自由にアイデアを出してね」という前提で話しが始まると、
「私はこれが好き」もしくは「私がこれが悩みなの」という意見が出てくる。
でも、本当はもう一歩踏み込んで、
「私がこれが好きだから、その魅力を知ってもらいたい」
「私はこれを悩んでいるけれど、こうしてみたらどうだろう」と言ってほしい。
「私はこれが好き」「私はこれが悩み」は、「私を見て」ということ。
そんな人と話しをしていると、私は、
「別にあなた個人に、そこまで興味ないんだけど」という気持ちになる。
誰にでも、評価されたいという欲求はある。
ここでいう評価は、「すごい」「えらい」というものだけではなくて、
「苦労してる」「他にはない体験をしてる」もある。
みんなたった一人の人間というものになりたくて、あがいている感じ。
基本的に、出発点は中国人と日本人は同じだと思うけれど、
少し違うと思うところがある。
中国人は、競争しながら自分を認めさせようとあがいている。
日本人は、自分はもともとオンリーワンのはずなのに、
どうしてみんな自分を尊重しない、と思っている。
成功しようが、どうであろうが、
いずれにせよ、自分の人生を生きることができるのは、自分しかいない。