ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

フランスのデモに関する少考

2015-01-13 00:12:09 | Weblog
やはり、中国政府はフランスの事件を利用して、
イスラムへの取り締まりを強化する流れになるのか。

言論の自由で、その行いのすべてがゆるされるのなら、
文化大革命も肯定される危険をはらんではいないのか。
(そももそ、中国政府は文化大革命に対する評価を保留しているが)

そして、テロへの抗議として政治家がデモに参加するというのは、
何か倒錯してはいないのか。

「チベットの焼身自殺もテロの一種だから、これに反対するデモを行います。
 各国の首脳の皆さん参加してください」

もし中共からこんな招待状が届いたら、どうする?
いまフランスのデモへの政治家の参加を賛同している人たち、
それとこれとは違うと、明確に言い切れるのか。

最初に、言論の自由という隠れ蓑のもと、相手を冒涜したのはどちらだったのか。

今回のフランスの事件を見ると、私は南京事件を思い出す。

戦前の日本人にとって、南京事件とは、日本軍が行った残虐行為のことではなく、
駐華日本大使を含む日本人が、中国人によって辱めを受けたこと。
当時の弱腰外交によって、在中国(南京に限らない)の多くの日本人が虐殺されたことに対する
報復の民意があった。

そしていま、南京事件は、中共によって、
日本軍が南京の人民を30万人も殺したことになっている。
当時の人口は、南京陥落前20万人という統計があるにもかかわらずだ。
そして、陥落後1年経った当時の人口もやはり20万人という発表。
すべてを鵜呑みにしてはいけないとはいえ、新生児も増えてはいない。
日本軍はよく避妊したようだ。

今回のフランスの事件、
言論の自由が、他方の言論を封じる権利をもつ、というように、
拡大解釈されてはいないか。

それとも、そもそも西洋で言うところの言論の自由は、
勝てば官軍で、負けた方の主張はすべて却下となるのか。
東京裁判のように。

もしいま、言論の自由の名の下に、ある言論を退けるならば、
それは、毛沢東の行った百家争鳴となるだろう。

そもそも、政治家がデモに参加するという倒錯はどうなんだ。
政治家というのは、軍隊を動かす、国民の生活を守る主権を司る役職のことだ。
それが、デモに参加してどうする。政治家としての役割を果たせ。

その役割とは、武力による制圧ではなく、対話の道をひらくということだ。
武力を背景とした、対話の道。
これは政治家にしか敷けない道。
それをデモか。職務放棄も甚だしい。

日本の政治家が、デモに参加しなかったならば、それは正しい。
それは主張の問題ではなく、役割の問題だからだ。

いったい左翼はなにを血迷って、見当違いの批判を日本政府に向けているのだ。
それは、自分を守ってくれないお父さんに対する倒錯した想いとなんら変わるものはない。
精神的に自立せよ。
常に大きなお父さんがいないと反抗できないだけの左翼は不要だ。

「フランスのデモに各国の政治家が参加」という報道を見て、
なんだ白人だけじゃん!と思った、これが私の感想。

もし、すべての戦争が内戦化し、国軍を動かせない、
戦争の形態が変わったから政治家もデモに参加だというのなら、
税金でお給料をもらうのをやめたらいい。
哲学上の腹もくくれないうちに、
デモに参加するなんていう票集め的パフォーマンスはやめてほしい。

そして、これに参加したほうがいいと日本政府にいう人は、
単なる脱亜入欧の変異系亜種にすぎない。
これは、あなたたちが毛嫌いする大東亜共栄圏の思想と、根っこが同じではないかね。

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