ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

理不尽なことに向き合うとき

2010-12-13 21:38:57 | Weblog
昨日は、朝鮮学校無償化除外反対アンソロジーの朗読会に行って、
頭や心を、かなりシャッフルされた。よい意味で。

ここのところ、差別や国を追われた人の話を見たり聞いたりすると、夜、必ず夢を見る。
私が少し前に、すごく理不尽さを感じたことについての夢で、
当時は、気がつかなかったふり、見たり聞いたりしなかったふりをしていたことを、
その相手に対して「それ、おかしいと思うんですけど」と、改めてしっかりと意見を言う、という夢だ。

当時は、「そんなもんさ」とハスに構えたり、
「人それぞれだから、いろいろあっていいんだよ」と好意的に受け止めようと思っていたことで、
でも、私の心は、すごくすごくすごくイヤだったことだ。

なぜ、私にそんなことを強いてくるのか。
しかも、それを私も望んでいることだなんて、どうして。
いくら考えたって、納得できるような答えは出てこない。

そして、もし当時、
「私はそんなふうに考えないんです。そんなふうに感じないんです」
と、自分の意見を言ったとして、
ことが解決できるかというと、実際は逆だったろう。

わからない人だ。これが常識でしょ。楯突くなんて生意気だ。
余計つらくなるような、いろいろな言葉をもらうことになるだろう。
だから、試す前にあきらめていたんだ。
主張しても、ケンカしても意味がないと思っていたから。

自分のことなら、ある程度は我慢できる。
我慢できなかったら逃げる、という手がある。
でも、もし、私の大切な人がその理不尽なことのターゲットになったら、
自分のこと以上に悲しいし、断固として戦うだろう。

仕掛ける側は、一番つらいところを突いたら萎えるだろうと勘違いして、やってくる。
これが外交、これが交渉だと言う。いっぱしの策士のような気分になるのだろう。
でも、いや、そんなことはないんだ。
それは、ただの弱い者イジメだし、仕掛けられた側はその理不尽さゆえに戦うだろう。

チベットが抵抗の意志を持ちつづけているのも、
中共が一番つらいところを理不尽に突いているからではないだろうか。

私は日本人だから、拉致被害者やその家族のみなさんを応援したい。
でも、子どもを人質にとられている、という意味では、
在日朝鮮人の方が日本で子どもを育てる気持ちも同じなのかもしれない。

もちろん、単純化しすぎることは危険だ。
だから、もっと自分なりに考えたいと思う。

ただ、直感として、子どもの教育を人質にとるのはよくない。
せめて、大人の話は、大人の話として解決すべきだ。


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