全5巻。道元著、石井恭二訳、河出文庫刊
日本人が書いた文章であっても、翻訳が必要なものがあるんだった、と改めて思った。
言葉はおもしろい。
道元の文章は、かなりクセがあると思うのだけど、読みやすく訳してくれていて助かった。
悟りとは、ただ一度のものではなく、
ずっとずっと修行を続けて、どんどん悟りを積み重ねて行くこと。
これが悟りの本質だと言うくだりは、なんとも言えずいい。
実際、目の前がぱっと明るくなって、「そうだ!」と思うこともあれば、
同じテーマで、そのあとまた悩むことがある。
この繰り返しが人生だと思うから、勇気づけられる。
ただ、「仏(ブッダ)、法(その教え)、僧」を、
この世の宝として、すごく持ち上げていることに、
正直なところ、「僧」はどうなのだろう、リスクが大きいなあ、と思う。
道元は、当時の南宋の乱れた仏教界に対して、かなり辛辣な批判を加えている。
僧にしても、本物に出会うのは難しいし、自分で見極めなければならない、という点では、
仏や法と同じだから、同列でもいいのかもしれないけど。
あと、坐禅が最高の修行法だと繰り返し言っているのだけど、
ただ無になるだけでは、周囲の人に対する慈しみの心を育てるには不十分で、
いろいろなことを観想し、心をトレーニングする必要があるような気がする。
つまり、坐禅だけでは道元がバカにしている小乗仏教に近いところで、
勝手な自己満足に陥る罠があるような気がするのだけど、どうだろう。
こんなことを言ったら、理解していない、と、すごく道元から怒られそうだ。
いろいろといい考え方や言葉が詰まっている書物だと思ったのだけど、
どうしても違和感がモヤモヤありながら読んだ。
一番の違和感は、「選民思想」に近い辛辣な言葉だと思う。
道元の物言いは、本当に生真面目で、日本人の心にはきっとフィットするのだろうけど、
なんというか、「わかってない!」と相手を一刀両断にするような、
とても厳格なところがあって、私は居心地が悪い。
何が正しくて、何が美しいか、ではなくて、
ある出来事に直面したときに、こんなふうに感じてしまった自分が苦しいから、
どうしたら、他人を恨むのでも自分を卑下するのでもなく、
現実を受け止められますか、ということが、一番聞きたいんだ。
それに対する回答が、僧になって坐禅組んで修行しろ、だと、正直私は困る。
日本人が書いた文章であっても、翻訳が必要なものがあるんだった、と改めて思った。
言葉はおもしろい。
道元の文章は、かなりクセがあると思うのだけど、読みやすく訳してくれていて助かった。
悟りとは、ただ一度のものではなく、
ずっとずっと修行を続けて、どんどん悟りを積み重ねて行くこと。
これが悟りの本質だと言うくだりは、なんとも言えずいい。
実際、目の前がぱっと明るくなって、「そうだ!」と思うこともあれば、
同じテーマで、そのあとまた悩むことがある。
この繰り返しが人生だと思うから、勇気づけられる。
ただ、「仏(ブッダ)、法(その教え)、僧」を、
この世の宝として、すごく持ち上げていることに、
正直なところ、「僧」はどうなのだろう、リスクが大きいなあ、と思う。
道元は、当時の南宋の乱れた仏教界に対して、かなり辛辣な批判を加えている。
僧にしても、本物に出会うのは難しいし、自分で見極めなければならない、という点では、
仏や法と同じだから、同列でもいいのかもしれないけど。
あと、坐禅が最高の修行法だと繰り返し言っているのだけど、
ただ無になるだけでは、周囲の人に対する慈しみの心を育てるには不十分で、
いろいろなことを観想し、心をトレーニングする必要があるような気がする。
つまり、坐禅だけでは道元がバカにしている小乗仏教に近いところで、
勝手な自己満足に陥る罠があるような気がするのだけど、どうだろう。
こんなことを言ったら、理解していない、と、すごく道元から怒られそうだ。
いろいろといい考え方や言葉が詰まっている書物だと思ったのだけど、
どうしても違和感がモヤモヤありながら読んだ。
一番の違和感は、「選民思想」に近い辛辣な言葉だと思う。
道元の物言いは、本当に生真面目で、日本人の心にはきっとフィットするのだろうけど、
なんというか、「わかってない!」と相手を一刀両断にするような、
とても厳格なところがあって、私は居心地が悪い。
何が正しくて、何が美しいか、ではなくて、
ある出来事に直面したときに、こんなふうに感じてしまった自分が苦しいから、
どうしたら、他人を恨むのでも自分を卑下するのでもなく、
現実を受け止められますか、ということが、一番聞きたいんだ。
それに対する回答が、僧になって坐禅組んで修行しろ、だと、正直私は困る。