ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

論理力

2009-11-26 19:25:22 | Weblog
先日、NHKのクローズアップ現代で、
いま若い人を中心に、
日本語によるコミュニケーション能力が低下していることについて取り上げていた。

携帯メールでは、単語の羅列でも十分に意思表示ができるので、
その感覚のまま作文を書いてしまうため、言いたいことが伝わらなくなるらしい。
大切な「どうして」の部分が欠落したり、主語と述語がちぐはぐな文章を書く。
そして、その違和感に、ぜんぜん気がつかない若い人が増えているのだとか。

また、日本のサッカーは、よく決定力不足を指摘されるけれども、
その原因のひとつが、日本語の伝達能力不足にあるらしく、
サッカー協会がその対策に取り組み始めているとも言っていて、とても驚いた。
つまり、チームワークで戦って行くサッカーにおいて、「なにがしたいのか」を
明確に伝える能力が不足していると、決定力不足につながる。
言語による意思表示能力は、人としての意思伝達の基礎になるものなので、
日本が点をとれないのは、根底に日本語のコミュニケーション能力不足がある、というのだ。

思わず、「すげー」と声を出してしまった。

何年か前に、新入社員研修の課題の回答文を読む機会があった。
ある一般的なテーマについて、200文字以内であなたの考えを書きなさい、という課題。
かなり内容を絞り込まないと、書きたいことを盛り込みきれない文字数だ。

言葉遣いで一番気になったのは、「いまいち」。
5人に1人は、文章の中で「いまいち・・・だ。」もしくは、
「・・は、いまいちだ。」という表現を使っていた。

まず「いまいち」は、私の尺度では書き言葉ではない。
そして、「いまいち」という表現を使っている人は、
たいてい「いまいち」だから、どうしたいのか、どうだったらいいのか、という
その後のオチを書いていなかったし、
書かれていたとしても、非常に漠然とした内容で、「いまいち」の繰り返しに近かった。
読んでいて、すごくすごく、むずむずした。

敬語の間違いなんて、かわいいものだと思う。
社会に出たら自然と学ぶものだし、恥をかけばイヤでも覚える。
でも、言語による論理力は、努力しないと身に付かないものだし、
論理力は、死ぬまで向上するものだから、常にトレーニングが必要だ。

日本語は、あいまいな表現があるからいいのじゃない、という意見もある。
私もそう思う。
でも、あいまいな表現で表現する、のと、判断保留にする、のは根本的に違う。
最近、時には判断保留も有効な方法なのだと気づいたけれども、
いずれ判断すべき時がくる。
それまで、ずっと頭の片隅で考え続けること。
これが論理力であり、意思伝達能力につながるのだと思う。


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