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砂漠の砂埃がトルコ西部を蔽った

2024年04月25日 | 国内
4月25日 北アフリカからの強い南風が運んできた砂埃が、トルコ西部を蔽い、空気を汚染し、視界を狭めています。

 Hurriyet

リビヤからの熱風が、イスタンブル、イズミル、アンタリヤ、ボル、テキルダー、ムーラなどの都市を飲み込みました。「国立大気観察ネットワーク」によると、微粒子状の物質の含有レベルの増加が見られ、その量は、世界保健機構の基準をわずかながら超えているそうです。

ボアジチ大学の気候研究センターのムラト・テュルケシュ委員は、これら大気の現象は、サハラ砂漠からの強風によって運ばれてくる砂埃が原因だと説明しました。

「この地方で生まれる中緯度低気圧によってできる嵐は、南からの熱気とともに砂埃を運んできます」とテュルケシュ氏は説明しています。「現在、低層の雲と、部分的に中層の雲によって、バルカンと西アナトリアは砂埃に蔽われています」

この影響は24日間で部分的に消えると思われるが、海岸地方と南アナトリアはもう2日間つづくだろうと、テュルケシュ氏は言っています。

テュルケシュ氏は、気候変動によって中東と南西アジアでは、このような現象が頻発していると語り、トルコ西部と南部では、さらに影響が大きくなるだろうと示唆しました。

気象学の専門家オルハン・シェン氏は、イスタンブルは強風のため影響は少なく、健康を害するレベルにはならないだろうと予想しています。


チャナッカレでAnzac の兵士を記念する暁の式典が行われた

トルコ・エーゲ海岸のガリポリ半島で、4月25日、第1次世界大戦中に戦死したアンザック(Anzac)の兵士たちに敬意を表する例年の「暁の式典」が行われました。1915年、戦いはトルコの勝利で終わりました。

 Hurriyet

トルコ北西部ガリポリ作戦の109周年を記念して、オーストラリアとニュージーランドからの多くの来訪者たちが、夜間、チャナッカレ市の中心からガリポリ半島に渡り、彼らの先祖の戦死者たちを記念するイベントに参加しました。このイベントは長年つづいています。

Anzac とは1915年、英国軍のかわりにチャナッカレで戦った「オーストラリア(Australian)とニュージーランド(New Zealand)軍(Army Corps)」の頭文字をとった略称です。

チャナッカレ戦争は、1915年、チャナッカレのガリボル(ガリポリ)地区で起こった連合軍とトルコ軍の戦いで、トルコが勝利しました。オーストラリアでは、4月25日は「アンザック・デー」として知られ、オーストラリアとニュジーランドの兵士たちを記念する重要な公休日となっています。

式典に参加した人々は寝袋や毛布にくるまって夜の明けるのを待ちながら、式場にセットされた巨大スクリーンに映し出される記録映画を眺めていました。

イベントでは、オーストラリアとニュージーランドの軍楽隊の演奏の他、賛美歌も流されました。午前5時57分、花輪献上式につづいて、オーストラリアのリチャード・マールス副首相とニュージーランドのウインストン・ピータース副首相のスピーチがあり、記念日の重要性が語られました。

トルコ歩兵隊のファティフ・クルトギョズ中佐が、近代トルコ創設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクが、ガリポリ作戦で戦死した外国人兵士たちの家族に宛て書いた手紙を読み上げました。戦死した兵士たちへの黙祷の後、トルコとオーストラリアとニュージーランドの国家が演奏されました。

Anzac 湾での式典は、牧師による祈りで終わりました。


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