トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

駐土アメリカ大使が「ギュレンと政府の争いは“家族の問題”」

2014年05月31日 | 国際
5月30日 フランシス・J・リカルドーネ駐土アメリカ大使は、エルドアン首相の要請によってアメリカ政府が、アメリカに住むイスラム学者フェトフラー・ギュレンの追放を考えているかという質問に応えて、トルコ政府とギュレン運動の争いは“家族の問題”だと言いました。

 Hurriyet
 
「家族の問題は家族で解決を」とリカルドーネ駐土アメリカ大使


「これは家族の問題です。私たちはあなた方の家族の1友人です。あなた方はよい家族であり、私たちはあなた方の家族の喧嘩に巻き込まれたくありません。この問題が満足のいく形で解決されることを希望します」とリカルドーネ大使は、5月30日、アンカラでジェミル・チチェキ国会議長との会談後、語りました。

エルドアン首相は先月、チャーリー・ローズTVショウのインタビューで、アメリカ政府がギュレンを送還することを要請し、彼の帰国を求める手続きを始めていると言いました。
ペンシルヴァニアに住むギュレンは、エルドアンに近い官僚やビジネスマンをターゲットにした汚職調査を仕組んだとして、トルコ政府に告発されています。

You Tube の解禁についても
リカルドーネ大使はまた、5月29日、トルコの憲法裁判所がYou Tube の禁令は言論の自由に違反するとした裁定を賞賛しました。
「われわれは市民の自由を強化する行動はすべて支持します。従って、憲法裁判所のYou Tube に関する裁定も歓迎します」

リカルドーネ大使はまた、8月の大統領選に先だち、トルコの民主主義に対する信頼を表明しました。


近づくトルコ初の直接大統領選

8月10日の投票を前に、トルコ初の直接大統領選について、金曜、政治家や学者たちによる討論会が行われました。
イスタンブール・ビルギ大学のシベル・インジェオール法学教授は、直接選ばれた大統領は“全制度を変えるか、なにも変えないか”だろうと言いました。

 Sabah

市民が直接大統領を選ぶことによって、「大統領の合法性が高まる」とインジェオール教授は言いました。
「これまでは国民が選ぶ唯一の団体は国会でした。ライヴァル登場です」と教授。「直接選ばれた大統領はリスクも持っています」

インジェオール教授はまた、大統領のその権力の使いかたの重要性を力説し、ポルトガルやアイルランド、アイスランドのように権力を使わないヨーロッパ諸国の有力な大統領の例を挙げました。
「最初の直接大統領選は新しいシステムを決めるものですから、非常に重要です」と教授は言いました。「国民が大統領の役割を決めるでしょう。私たちはムスタファ・ケマル・アタテュルクやイスメット・イノニュという有力な大統領を得ました。しかし、現在のアブドゥラ・ギュル大統領はその権力を必ずしも使いませんでした。彼は国会のシステムとして行動することを選びました。

イスタンブール商業大学のムスタファ・エルドアン教授は、国民による大統領選は、彼または彼女の合法性を増すだろうと言いました。
大きな懸念は独裁主義的体制の可能性だと、エルドアン教授は言います。「もし独立した司法組織がなかったら、独裁主義的体制に傾くかもしれません」


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息子のためにオスマン式割礼式をして辞職した副知事さん

2014年05月30日 | 国内
5月30日 ブルサ県の副知事が息子のために、スルタンの墓のそばでオスマン・スタイルの割礼式を行い、一般の批判を招き、5月30日、辞職することになりました。

 Hurriyet

ブルサ県のメフメト・オズジャン副知事は、彼の6歳の息子の割礼式を祝うために、スルタン・ムラト1世の墓のあるチェキルゲ地区のヒュダヴェンディカル・モスクを選びました。
割礼式は多くのムスリムが男性となる第一歩と考えている儀式です。

オスマンの皇子のような衣装をつけたオズジャン副知事の息子は、馬に乗ってモスクに到着し、装飾された玉座にすわりました。少年と家族の後ろには、オスマン軍楽隊イエニチェリとハーレムの美女たちに扮した女性たちが従いました。割礼式の後はブルサのホテルでパーテイです。

たまたまモスクに来た数人の人々が豪勢な割礼式に驚いてカメラにおさめ、その映像がソシアル・メディアに流れて、一般の反発を買い、副知事は辞職すべきだという声が上がりました。
一般の批判の声の中、オズジャン副知事は5月30日づけで辞職しました。

「オズジャン氏はしばらく休暇を取っていました。彼は割礼式のイベントを別れの挨拶にしたのでしょう。ミュニル・カラルオール知事はこの割礼式については知らなかったはずです」と、ある情報通は語りました。

・・・「公職にある者が・・・」という反発を買いましたが、私、個人的にはオスマン・スタイルの割礼式、見てみたかったです。


「PKKよ、息子を返して」クルド人母親たちのすわり込み

 大勢のクルド人家族が、昨日、東南部ディヤルバクル県で、テロリスト組織PKKによる強制徴集に抗議の声を上げました。家族たちはすわり込みをつづけています。
他の都市から駆けつけた親たちも抗議に参加しています。

 Sabah

5月19日、PKKに15歳の子供をさらわれた2人の母親がディヤルバクル市庁前で、すわりこみをはじめましたが、水曜には2人の母親に同調する人の数は30人に達し、昨日は46人になりました。
プロテストに参加したのは、エルズルム県、カルス県、マルディン県、イズミル県で子供たちをさらわれた母親たちです。

18歳以上の子供たちもいますが、親たちは、子供たちは洗脳され、参加を強制されたと信じています。PKKに徴集された子供たちの年齢は12歳から23歳です。
スッドゥカ・アルタンさんは、18歳の息子がもう36日間も「PKKに捕まっている」と言い、ハトゥン・ユルマズさんは、23歳の息子が1か月前にテロリスト・グループに入ったと言っています。
メイレム・ギュナイさんの14歳の息子オズジャン君は、2か月前、PKKに参加させられたそうです。

家族たちはPKKと近い関係にあるといわれる平和民主党(BDP)のセラハッティン・デミルタシュ氏と会いました。デミルタシュ氏は家族に、“カンディル”と連絡をとると約束しました。カンディルとはPKKが基地にしている北イラクの山の名です。
悲嘆にくれる家族たちは、この展開に力を得ましたが、彼らはまだ「世界子供の日」の6月1日まで抗議をつづける考えです。

 Hurriyet

親たちを代表して、15歳のフラト・アイドゥン・エレン君の父親セラミ・エレンさんは、「トルコの人々は私たちの抗議を支持してくれています。首相、NGO,諸政党を含むすべての人に感謝します」言いました。ディヤルバクルでプロテストを始めたのは彼の妻です。

デミルタシュ氏との話合いは肯定的展開になったと、エレンさんは言っています。|私たちは彼を信じています」
PKKは、家族たちは「PKKに子供を入れないよう政府に教え込まれている」と言っています。
ヴァンのシュレイヤ・トクラルさんの14歳の息子もPKKに入れられたそうです。「息子はてんかん持ちで、治療が必要なのです。彼は暗闇が恐くて1人では眠れません。PKKとは暮らせません。息子には私が必要なのです。お願いですから、息子を返してください」

Hurriyet

イフェト・ギュネシュさんは、4月23日、18歳の娘が友人とピクニックに行ったきり消息を絶ったと言っています。「私のひとり娘です。返してください。私は心臓病があります。娘が帰ってこなかったら、私は死んでしまうでしょう」

4月10日、20歳の息子セダット君がPTTに入ったリュトフィエ・ボズオールさんは「こんなことになるために子供を育ててきたんじゃありません。息子が帰ってくるまで、私はここを動きません」と言っています。彼女は女性たちのプロテストのニュースを知って参加したそうです。

BDPとHPD(BDPの姉妹政党)が子供を取り戻すことができなかったら、政府が子供たちを取り戻すと、エルドアン首相は言っています。
PKKのテロを終わらせ、全国のクルド・コミュニティの権利を回復するために、政府のイニシアティブで和解プロセスが進行してきました。イニシアティブの一環として、トルコ政府は、テロリスト組織のリーダー、アブドゥラ・オジャランとの話合いも始めました。

PKKはトルコ領内からの撤退を発表し、事実上の休戦となっていました。
ビュレント・アルンチ副首相はBDPについて、“わがクルドの兄弟”を代表する政治家たちが、プロテストする母親たちの悲しみを分かち合い、子供たちを解放させるだろうと言いました。


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第3空港の建設は「6月に始まる」と財政相

2014年05月29日 | 国内
5月29日 メフメト・シムシェク財政相は28日、イスタンブール第3空港の建設は6月に始まるだろうというメディアの報道を認めました。
「メディアの言う通りなら、第3ボスフォラス橋の問題が解決されたということですね」と、財政相は昨日、トルコ=アラブ経済フォーラムで言いました。

 Huuriyet

第3イスタンブール空港は、年間1億人の乗降客が利用できる世界最大の空港になる計画です。
「だ3空港はトルコにとって必要欠くべからざるもの。第3空港はアタテュルク空港の肩の荷を軽くするでしょう」とシムシェク財政相は言い、「イスタンブールの現在の2つの空港は能力を超えています」と力説しました。

アタテュルク空港の国際乗降客数は、2013年、11.8%増えて、7330万人に達しました。
イスタンブール北部森林地帯に建てられる第3空港プロジェクトは、2013年5月3日に行われた入札でトルコの会社 ー ジェンギス、コリン、リマク、マパ、カリヨンの5社 ー が221億ユーロで落札しました。

建設開始は企業間の競争などで頓挫したり、また、1月21日、環境省が発表した「環境影響アセスメント」(CED)報告によって延期命令が出るなどして予定より遅延しました。


エルドアン首相、ソマの犠牲者家族をサプライズ訪問

木曜、軍の訓練に出席するためイズミルを訪れたエルドアン首相は、公式スケジュール外の行動として、イズミル県のクヌク地区を訪ね、ソマ炭鉱事故の犠牲者の家族を弔問しました。


クヌク地区の周辺の村々は多くのソマ犠牲者の故郷です。首相夫妻はクヌク地区のゲストハウスで、犠牲者の家族らと昼食を共にしました。首相は犠牲者を記念しコーランを唱えたそうです。
エルドアン首相は家族たちと個々に会話し、彼らの要望を書き留め、家族たちの必要に応じることを誓いました。

 Sabah

首相がゲストハウスを出ようとしたとき、1人の鉱夫が首相に近づき、炭鉱の下請け制のの廃止を訴えました。炭鉱会社は下請け会社から安い賃金で鉱夫たちを雇っているため、彼らは低賃金の労働を強いられてきたというのです。

クヌク出身の51人の鉱夫がソマの事故で亡くなっています。その中の11人はクヌクのエルマデレ村の出身です。この村はアレヴィの村であるため、鉱夫の家族への支援が行き届いていないと書いたメディアもありましたが、政府はこれを否定。
アイシェヌル・イスラム家族・社会政策相は、村人たちで相談し、その後、行政にコンタクトすることになっているので、この村の鉱夫の家族への支援はこれから行われると説明しました。


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国外に住むトルコ人も投票できるようになった

2014年05月27日 | 国内
5月28日 国外に住むトルコ市民も投票できるようになりました。選挙日に国外の大使館・領事館が混み合うのを懸念して、当局は投票所を増やすことを検討中です。
先週、エルドアン首相はドイツのコロンで何千人ものトルコ市民に演説しましたが、この演説は実質的に大統領選の国外キャンペーンの皮きりとなりました。

 Sabah

大統領選の候補者はまだわかりませんが、エルドアン首相が立候補することは確かでしょう。
2012年にトルコの法律が改正され、国外に住むトルコ市民も選挙に一票を投じられるようになりました。
この改正のおかげで、270万人のトルコ市民が54か国、2392か所の投票所で投票できることになりました。

国外のトルコ人有権者が最も多いのはヨーロッパです。推定によると、ドイツだけで140万人の有権者がいます。フランス30万人、オランダ25万人、ベルギー13万人、オーストリア10万人。
ドイツの票数だけで、トルコ第5の都市アダナの票数に匹敵します。国外の票数はトルコの全票数の5.5%になります。国外票は選挙結果に大きく影響します。

エルドアン首相はこれからドイツ、オランダ、フランス、オーストリアの都市を選挙キャンペーンの一環として訪れるでしょう。
以前の選挙では、国外のトルコ市民は投票のために帰国しなければなりませんでしたから、前回の選挙では国外トルコ人の7%が投票しただけでした。

法律の改正で、国外在住者の票数は増えるでしょうが、期待し過ぎる候補者は失望するかもしれません。オランダでは先週の欧州議会選で投票したのは有権者の37%に過ぎませんでした。問題は国外有権者が投票に行くかどうかです。

Sabah

「はい、私たちも投票できるようになったのは知っています。投票日になにか大事なことがなかったら投票に行きます」と、オランダ第2の都市ロッテルダムの商店主ハッキ・セヴィネさんは言いました。
トルコの政治に注目している港湾労働者のアフメト・オズテュルクさんんは「今度の選挙では、私は絶対エルドアンに入れます。故郷に帰るたびに、発展していくトルコを見て、私はエルドアンが大統領としてもっとやってくれると信じています」

退職労働者ハカン・オズさんは、こんな指摘をしました。「投票するならエルドアンに入れますが、ほんとを言うと、領事館で長い行列に並びたくないですね」
トルコ当局は投票所としてスポーツ施設か学校の使用を検討しているそうです。ヨーロッパのトルコ大使館・領事館は大勢の人を収容できません。

「私たちも投票できるようになったと聞いていますが、詳細は知りません。チラシを配って情報を提供すれば、みなもっと選挙に関心を持つでしょう」とユルマズさんは言いました。
エルドアン首相はヨーロッパ在住のトルコ市民の強い支持を得ています。


   オスマン・スルタンのトゥーラ(署名)もトルコの大切な文化遺産

公的な建物にオスマン帝国のスルタンの署名(トゥーラ)その他、皇室の紋章などを正式に再設置する草案が議会を通過しました。
公的建物に表示されているスルタンの署名やオスマンの紋章、碑文、献辞は博物館に収めなければならないと規定された1927年の法律は無効になりました。

 Hurriyet
 
イスタンブール大学の門の上部。右が修復され再設置されたトゥーラ、左が修復中、
掲げられていたT.C.の文字


文化省が除去した署名や紋章等を修復、保存、再設置することになりました。
1927年のこの法律は、1922年のオスマン・スルタンの廃位後の共和国の初期にできたもので、当時の他のいくつかの法律同様、何十年も有名無実でした。事実、歴史的建物のトゥーラは除去されず、修復保存されてきました。その一例がイスタンブール大学の門のトゥーラです。

1453年に建てられたイスタンブール大学の門のスルタン・アブドゥルアジズのトゥーラは、修復のため除去され、10か月間、T.C.(トルコ共和国)の文字に変わっていましたが、最近修復されたトゥーラが再設置されました。

・・・共和国誕生当時は、オスマン帝国の痕跡は除去したかったのでしょうが、いまはオスマンの遺産こそトルコの大切な財産と考える時代ですから。


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ソマ社が経営する炭鉱の操業中止

2014年05月27日 | 国内
5月27日 労働検視官が「ソマ炭鉱株式会社」の経営するアタバジャス炭鉱の操業を中止するよう命じたと、月曜、ソマ区のバハッティン・アトチュ長官が言いました。5月13日のソマ社の炭鉱事故で301人が亡くなっています。

 Sabah

トルコ国営炭鉱社の下の地方炭鉱公社のビルの前に集まった鉱夫たちの群れに、アトチュ長官は「他社経営の炭鉱も含めて、この地域の炭鉱はすべて徹底的に検査される」と語りました。
「もしなにか欠陥か不注意は発見されたら、営業許可は取り消され、操業はただちにストップされます」

5月13日、ソマで起こったトルコ史上最悪の炭鉱災害は301人の鉱夫の命を奪いました。


イスタンブール警察がオクメイダヌ手入れで38人を拘束

先週の激しい反政府プロテストの舞台となったオクメイダヌを含むイスタンブールの3地区で、警察が早朝の手入れを行い、少なくとも38人が拘束されました。
ヘリコプターも出動した特別チームなど警察隊が月曜、オクメイダヌ地区に非常線を張り、2人の死者を出した警察との衝突に関与した容疑者たちを拘束しました。

 Sabah

爆発物が見つかった
拘留された中の5人は18歳以下だそうです。機動隊と特別作戦チームの手入れで、デモで使用するためのものと思われる火炎瓶や爆発物を押収しました。
放水車TOMAが待機し、オクメイダヌ周辺は緊張に包まれました。

憲兵隊による負傷者
最近のプロテストで2人が死亡し、数人が負傷しました。
ウーウル・クルトさん(30)は木曜午後、プロテスト活動が行われたそばのジェムエヴィで葬儀に列席していて、流れ弾を頭に受け、病院に運ばれて死亡しました。
アイハン・ユルマズさん(42)は23日、警察とプロテスターの衝突中、憲兵隊によって負傷し死亡しました。

デモ参加者たちは、301人が死んだソマ炭鉱の悲劇と、イスタンブールの十代の少年ベルキン・エルヴァン君の死に抗議していました。
エルヴァン君は昨年、イスタンブールのゲジ公園プロテスト中、催涙ガスの円筒弾が頭に当たって269日の昏睡の後、3月に亡くなりました。

・・・オクメイダヌはイスタンブールのアレヴィが多く住む地域ですが,先週、警察とプロテスターの衝突で死者が出たため、緊張が高まっています。(アレヴィについては、昨日の頁参照)


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トルコ経由でヨーロッパをめざす違法移民たちは跡を絶たない

2014年05月27日 | 国際
5月26日 トルコ沿岸警備隊は昨日、シリアからの8人の違法移民と、彼らをギリシャへ運ぼうとしていた船長を捕らえました。
沿岸警備隊はトルコ南西部ボドゥルムの近くをパトロール中、怪しい小舟を見つけて、止めさせました。船がボドゥルムからギリシャのコス島へ向かっていることは明白でした。

 Sabah

警察署で調書を取られた後、違法移民たちは南西部ムーラ県警察の外国人事務所に送られ国外追放になります。拘束された船長は裁判所へ送られます。

昨日、イランと国境を接する東部のウードゥルでは、130人の遺法移民が拘束されました。
憲兵たと警察が中部ウードゥルとイラン国境近くの地域で作戦中、移民たちを発見しました。
拘束されたのは、50人のパキスタン人、61人のアフガン人、7人のソマリア人、12人のバングラディシュ人らです。

過去5か月間で、この地方で捕まった違法難民は904人に達しました。
ヨーロッパをめざす違法難民の中継点であるトルコは、12月、トルコ経由でヨーロッパに入ろうとする不法移民の送還を認めるEUとの協定に調印しています。


アレヴィたちが差別反対のデモ

イスタンブールのアレヴィが多く住む地域オクメイダンヌで、先週、警察と反政府プロテスターの衝突があり、2人の死者が出たため、アレヴィの抗議活動が高まってきています。
5月25日、トルコ中で何千人のアレヴィたちがデモを行い、イスタンブールの2人の死を悼み、差別撤廃を要求しました。

Hurriyet

デモはイスタンブール、アンカラ、アダナ、イズミル、ディヤルバクルなどの諸都市で行われました。アレヴィ文化協会のドーアン・デミル会長は、エルドアン首相の侮辱的なことばに抗議しました。「われわれの信仰とジェムエヴィ(祈りの場)への攻撃をやめてくれ」とデミル会長は言いました。

ウーウル・クルトさんとアイハン・ユルマズさんは先週、オクメイダンヌでの警察と反政府プロテスターの衝突中に、死亡しました。イスタンブールのオクメイダンヌはアレヴィが多く住む地域です。
クルトさんは22日、ジェムエヴィでの葬儀に出席中に弾丸に当たって亡くなりました。デミル会長は「この殺人は計画的で、許しがたい」と言っています。「われわれは犯人を知っている。われわれは警察の権力に“アレヴィから手を引け”と警告する」

Sabah

エルドアン首相はクルトさん(30)の家族に電話し、父親のケマル・クルトさんに哀悼の意を伝えました。父親は、息子は反政府活動に関係していなかったと確信しています。
エルドアン首相は、政府はこのケースをフォローし、あらゆる手段を用いて事件を明白にすると誓いました。

もう1人の犠牲者アイハン・ユルマズさんは5月22日から23日の激しい衝突中、手榴弾の爆発で負傷し死亡しました。
ジェミル・チチェキ国会議長は25日、クルトさんとユルマズさんの家族に電話で弔意を伝えました

・・・アレヴィは独特の教義や儀式、習慣を持ったムスリムで、アリーを信奉する点でシーア派ともいわれますが、その他の点ではシーア派とは言えません。モスクに行かず、断食もメッカ巡礼もしませんが、ジェムエヴィという集会所に集まって、男女ともに踊る独特の儀式を行います。トルコ人の10~20%はアレヴィとも言われます。


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ジェイラン監督がカンヌ映画祭最高賞「パームドール賞」受賞

2014年05月25日 | 
5月25日 トルコのヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督が5月24日、カンヌ映画祭で、最近作「冬の眠り」(Kis Uykusu) で、映画人垂涎の的の最高賞「パーム・ドール」賞を獲得しました。監督はこの賞を、この1年に亡くなったトルコの若者たち、とくにゲジ・プロテストとソマ炭鉱災害の犠牲者たちに捧げると言いました。

 Hurriyet
 
ギュル大統領もエルドアン首相もジェイラン監督のパーム・ドール賞受賞に祝辞を贈った


長い、哲学的な映画「冬の眠り」は家族ドラマですが、カンヌで大好評を得ました。
「今年はトルコ映画が始まって100周年です。これはすばらしい偶然の一致です。私はこの賞をトルコの若い人たち、昨年、命を落とした方々に捧げます」とジェイラン監督は言いました。

5月17日の記者会見でも、彼は、トルコ史上最悪の災害となったソマの炭鉱災害に触れました。
「日本では、産業事故で死者が出ると、だれかが辞職します。トルコではそういうことはない。なぜかわかりませんが、多分、文化の違いでしょう」と彼は言いました。

 Hurriyet
 
カンヌ映画祭で受賞スピーチをするジェイラン監督(右端)


トルコの女優エブル・ジェイランさんと結婚しているジェイラン監督は、2008年のカンヌ映画祭でも、映画「3匹のサル」(Uc Maymun)でベストに認定され、2003年と2011年には、カンヌの賞で2番目に名誉ある「グランプリ」を2度受賞しています。


エーゲ海でマグニチュード6.5の地震

 地震が24日12時26分、エーゲ海を襲いました。揺れは約10秒間。震源はギョクチェアダ(ギョクチェ島)の北西29キロ。

 Sabah
 
西部チャナカレ県では建物の被害も


 
トルコの主要な地震観測施設であるイスタンブールのカンディリ観測所によるとマグニチュード6.5。地震の6分後に、マグニチュード5.3の余震がありました。
首相府災害・緊急管理局(AFAD)によると、パニックで負傷した人は266人。バルケシル県エドレミットでは、バルコニーから飛び降りた人が重傷です。

地震はイスタンブール、イズミル、エディルネ、デニズリ、アンタリヤ、ボルなどの諸都市でも感じられました。
ギリシアの首都アテネと西部トラキアでも揺れが感じられました。

 Sabah


・・・チャナッカレにお住いのユキコさんに地震お見舞いのメールしたら、「トイレが安全というから、揺れがおさまるまでトイレにいた」って。


トルコはバルカンの洪水被害者の支援に乗り出した

壊滅的大洪水と戦うバルカン諸国の被害者の支援に、トルコは動き出しました。
金曜、トルコの宗教庁はボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、クロアチの洪水犠牲者のための支援キャンペーンを始めました。
全国のモスクで、金曜礼拝の後、伝統に従って集められた浄財が、今週、洪水被害者に送られます。

 Sabah

イスタンブール・ベースのサッカー・クラブFCベシクタシュも、イスタンブールのベシクタシュ区と共同で支援キャンペーンを始めました。
クラブが寄贈した食料と衣料を満載した3台のトラックが、金曜、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに向け発ちました。支援キャンペーンはボスニアのトゥズラが中心で、人道支援はセルビアとクロアチアに物資を送ります。


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バイデン米副大統領が北キプロスを歴史的訪問

2014年05月24日 | 国際
5月24日 ジョー・バイデン・アメリカ副大統領のトルコ・キプロス訪問は歴史的第一歩であり、南北両サイドを同等に扱うことを示す積極的メッセージでもあると、5月23日、アフメト・ダウトオール外相が言いました。
分断されたキプロス島に滞在中、バイデン副大統領はキプロスを“重要なパートナー”と呼び、両サイドの指導者は、40年間の分断に終止符を打つための努力を“スピードアップ”することで合意していると言いました。

 Hurriyet
 
左から右へ、リサ・バッテンハイム・キプロス平和維持軍の隊長兼特別代表、ニコス・アナスタシアデス・ギリシャ・キプロス大統領、ジョー・バイデン米副大統領、デルヴィシュ・エルオール・トルコ・キプロス大統領


1962年、当時、米副大統領だったリンドン・B.ジョンソン氏がキプロスを訪れていますが、バイデン副大統領の訪問はそれ以来のことです。
南北両サイドに対する等距離のアプローチを示す米副大統領のメッセージを、ダウトオール外相はアンカラの記者会見で、わが国にとって肯定的と評価しました。

ギリシャ・キプロスとトルコ・キプロスの再統合から考えて、バイデン副大統領の訪問は“タイムリー”だったと、ダウトオール外相は言い、副大統領の訪問によって話合いが促進される希望を表明しました。

「バイデン副大統領のトルコ・キプロス訪問とエルオール大統領との会見は歴史的なステップだ」とダウトオール外相は言い、「永続的な解決は、南北両サイドへの等距離のアプローチなしには不可能だ」と付言しました。

 Sabah
 
バイデン米副大統領(左)とエルオール・トルコ・キプロス大統領


バイデン副大統領との会見後、エルオール大統領は「米副大統領のキプロス訪問は、キプロス問題の解決に希望を持たせてくれた」と語りました。
エルオール大統領とバイデン副大統領は、分断された島の統合達成の可能性は、包括的な解決にかかっているとして合意しました。

エルオール大統領は今後、話合いを加速し、ギリシャ側とより頻繁に会談すると言いました。大統領は5月22日の合意に従って、ギリシャ側大統領と月2階会うことにすると発表し、包括的解決がEU加盟と国際社会の承認につながるだろうと言いました。

「キプロス問題解決の時が来た」とエルオール大統領は言いました。「互いに非難し合っていたら前進はできない」


チェルケス人たちが追放記念日にロシア領事館にデモ行進

イスタンブールに住むチェルケス(英語ではサーカシア)オリジンの人たちが、ロシア帝国によってコーカサス地方から追放されて150周年の記念日に、ロシア領事館にデモ行進しました。
コーカサス人民軍がロシア軍に敗退した後、追放されたチェルケス人の子孫たちが、チェルケス協会連合に組織されて集まり、「チェルケスはロシアの領土ではない」「ロシアは大量虐殺を償え」と叫び、チェルケスの旗や松明を掲げて行進しました。

 Sabah
 
チェルケスの旗を掲げてデモするチェルケス・オリジンの人々


ロシア領事館周辺には機動隊が配備されました。
チェルケス・オリジンのアーティスト、ウシャク・アクバイさんは、「私たちはチェルケス人の追放と虐殺を決して忘れない」と言いました。

チェルケス人コミュニティのNGOのリーダー、ケナン・カプランさんは、100年以上前にロシアから追放されたチェルケス人はいま、40か国に住み、同化の危機に直面し、自分たちの言語、文化、民族的アイデンティティを忘れつつあると言い、「チェルケス人はロシアに、彼らの歴史的権利の返還を要求する」と主張しています。

「ロシア帝国はチェルケス人の大量虐殺を行った。今日のロシア連邦はロシア帝国の後継者なのだから、大量虐殺を認め、チェルケス人に謝罪し、国際的法的基準に従って、歴史的チェルケスの土地を、チェルケスに戻すべきだ」

Sabah
 
チェルケス人の寫眞家セリナ・ハラトカ・タラさんがチェルケス人追放をテーマにした個展をイスタンブールで開催中。Ciragan 通りFeriye レストランで5月29日まで。


チェルケス協会連合のヌスレト・バシュ会長は、150年前の事件を持ちだすのは、報復ではなく、“正義の追及”だと言っています。
「われわれは土地を占拠され、祖国を追われ、絶滅された人々の権利の回復を求めているだけです」とバシュ会長。

「外国に住むすべてのチェルケス人は、故国があった共和国の市民権を無条件で認められるべきです。また、ロシアは、今も故国に住むチェルケス人の民族的文化的アイデンティティを守る対策をとるべきです。われわれは民族の権利が回復されるまで闘争をつづけます」
デモの後、プロテスターたちは“大量虐殺”に関する詩を朗唱し、ロシア領事館の門に黒い花輪を置きました。

1763~1864年のロシア=チェルケスの戦いの間に、50万人以上の人々が殺され、何百人の人々が故国を去り、コーカサスに向かいました。1864年の敗北後、150万人と推定されるチェルケス人が多くの国々へ追放されました。

・・・チェルケス人はもともとはコーカサス北西部に住むスンニー派ムスリムですが、今日、トルコ生まれのチェルケス系の人々の多くは、フツーのトルコ人としてフツーに暮らしています。今度のデモに見られるように、トルコ人との同化を憂い、民族のアイデンティティを守ろうという人々もかなりいるのですね。


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多くの人たちがソマの犠牲者たちを記念した

2014年05月23日 | 国内
5月23日 ソマで起こった炭鉱事故を人々の記憶にとどめるために、ある者は何千メートルの山に登り、ある者は海に飛び込みました。
ネヴシェヒルの登山家たちは、命を落とした鉱夫たちを記念するために、ジロ山に登りました。山頂で彼らが掲げたバナーには、「私たちの心はあなたともにある。神よ、彼らの魂に平安を」と書かれていました。

 Sabah

黒海地方のバルトゥン大学の学生グループは、事件で亡くなった鉱夫たちを記念する林をつくるために、301本の木を植えました。
人気リゾート地マルマリスのダイバーたちは青い海に潜り、海底で、ソマの犠牲者を記念するメッセージを書いたバナーをひろげました。

・・・私も遠い日本の片隅から、皆さまの魂の安からんことをお祈りいたします。


「全国400の炭鉱が“爆発”しかねない」と専門家

 全国に約400ある炭鉱が安全に関してリスクを抱えていると、炭坑技術者会議のメフメト・トルン議長が、ソマの事故後の炭鉱会議で発言しました。
トルコの炭鉱の中心地、黒海地方のゾングルダクで行われたこの会議の出席者たちは、政府が計画している原発のリスクと懸念も力説しました。

 Hurriyet
 
ソマ炭鉱爆発後、炭鉱の前で待機する救助隊。5月16日


「全国に爆発しそうな炭鉱が400もある」と、トルン議長は言いました。「ソマの事故から1週間以上たったが、なにか変りましたか? なにか規制ができましたか? われわれだれも意見を聞かれていません」と彼は言いました。

ビュレント・エジェヴィト大学の炭鉱技術部のエルドアン・カイマクチュ副部長は、同会議で、ソマの災害は当局と会社が起こるべき災害を発見しそこなったのだと言いました。「ヒートアップして出火したプロセスが追跡されていません」
「この災害を“運命”ということはできません」と彼は言い、出火前の高熱について語り、“運命”だと言った首相の性向に言及しました。

炭鉱技術者会議の現議長アイハン・ユクセル氏は、調査が不十分な環境に原発を建設するリスクを強調しました。
「政府がいま、乗り出している新しい事業は原発です。わが国の石炭を利用しつくすまえに、外国依存の事業を始めるのは理屈に合いません」と彼は言い、2011年の福島の災害で、日本が“核に絶望”していることを想起させました。

ユクセル氏はまた、急いで準備された炭鉱草案は、5月13日のソマ災害から学んでいないと批判しました。「この改革でソマと炭鉱の問題は解決しないでしょう」
他の参加者たちは、何日か地下に閉じ込められた鉱夫たちが生きのびるための救助室の欠如、下請け会社をベースにしたビジネスの方法、不十分な点検、緊急時の際の計画の不足などを指摘しました。


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「トルコの炭鉱労働安全法はILOの基準より進んでいる」労働相

2014年05月22日 | 国内
5月22日 「トルコの炭鉱労働の安全に関する法は、国際労働機構(ILO)が提起している必要条件より進んでいる」と、301人が死んだ1週間前の事故は点検が不十分だったという批判に応えて、ファルク・チェリキ労働相は主張しました。

 Hurriyet
 
炭鉱事故後、捜索と救助活動のためにヘッドライトを装着しようとしている鉱夫。


「わが国もILOの労働安全の規則を導入する必要があると言う者がいるが、われわれが議決した法はILOの規則より進んでいる。わが国の炭鉱労働者の安全に関する法は、EUの法にじゅうぶん匹敵する」と、チェリキ労働相は、ソマ事件に関する調査委員会設立の討議中に発言しました。
チェリキ労相が言う法とは、労働安全の基準をEUの基準に合わせるために2012年に制定されたものです。

ソマ炭鉱で適切な点検が行われていなかったという批判に応えて、チェリキ労相は、「炭坑点検の新しい規則は2010年に制定され、わが国の160の炭鉱で、1年に2度の点検を指導している。ソマ炭鉱は8回の点検を行い、2010年以後、さらに8回の点検を行っている」と言いました。

「だれが点検を行うのか? それは炭鉱技術者と炭鉱安全検査官です。点検は瞬間的なものです。評価はインジケーターかセンサーが行い、もし問題があれば、報告されます。しかし、炭坑は生きものです。点検の1か月後に、いや、1週間後、1時間後に、なにが起こるかわかりません。だから、わが国の法は、労働現場に、炭坑技術者の他に、労働安全の専門家と医者を雇うことを規定しているのです」とチェリキ労相は言いました。

検察官がソマ炭鉱に関して、作業場の専門家が提出した記録を集め、どこに不注意があったのかを明白にするために分析を行っていると、チェリキ労相は言い、トルコには炭鉱労働の安全に関して、ある構造的な問題があると付言しました。

・・・人々が悲しみに暮れているとき、「炭鉱は生きものだ。点検の1時間後にだって、なにが起こるかわからない」なんてことを言う労働大臣、人々の反発を買っているようです。
 

   ソマ・ホールディングは2つの炭鉱を撤収する

ソマのエイネス炭鉱の悲しい事件を受けて、アタバジャスとウスクラルでソマ・ホールディングが運営する炭鉱が検査を受けます。ソマ・ホールディングはソマで、エイネスの他にも2つの炭鉱を経営しています。エネルギー省と労働省は2つの炭鉱の、安全、換気、ガス探知システムに焦点をあてた調査を行います。

 Sabah

ソマ・ホールディングはまた、炭坑で知られる黒海地方のゾングルダクでの事業も撤収するでしょう。ソマ・ホールディングは36年間、ゾングルダクの炭鉱エリアの特許権を所有し、2億ドルを投資してきたと、同社幹部は言っています。ここでは3000人以上の鉱夫と技術者が雇用されていると思われます。
アタバジャスとウシュクラルの炭鉱の安全対策は、今回の事故のエイネス炭鉱より劣っていると、専門家は力説しています。

トルコ政府はソマ炭鉱で死んだ301人の鉱夫の家族のための緊急行動計画を宣言しました。
保健サービス、一時的障害手当、終身障害手当、生存者の年金、犠牲者の未婚の娘のための年金、葬儀援助費などの支払いが、エルドアン首相の命令で促進されます。
604人の死者を出した2011年のヴァン大地震後に公布された規則に従って、死んだ鉱夫の家族は、30日分の賞与のほか、生存者の年金が支給されます。障害を負った鉱夫は障害年金を受けます。

 Sabah

社会安全協会(AGK)がソマの家族を訪ね、社会的安全の権利について知らせます。葬儀費用415リラも支払われます。総合的な年金計画も進行中です。
労働検察官の報告書によって、会社が80%の責任を負うことになれば、ソマ・ホールディングは被害を受けた家族に40年間、総計1億5000万リラの年金の80%を支払うことになるでしょう。

家族には物質的・道徳的な賠償を受ける権利があります。労働検察委員会のメフメト・テゼル会長と代表団が、炭坑の労働時間、給与、業務管理などの調査を行うために、ソマを訪れています。
報告書と並行して、炭坑部門の労働規則が刷新されます。新しい規則では、鉱夫の労働基準は
ドイツに合わせて国際基準にするそうです。

・・・エルドアン首相、票稼ぎでもいいから、皆さんの補償と支援、しっかりやってくださいね。


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