トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

「われわれはギュレン運動に関して誤認していた」とエルドアン大統領

2016年07月31日 | 国内
8月1日 7月30日、「15日の未遂クーデターを起こしたギュレン運動に対して、政府はまちがった認識をしていた」とエルドアン大統領が言いました。

 Hurriyet

「20年前、いや、15年前、10年前、3,4年前でも、私はこんなことは考えもしなかった。不幸にして、われわれは大きな誤認をしていた」と、エルドアン大統領は民放ATLのインタビューで語り、ギュレン運動がクーデターで演じた役割に言及しました。

「アメリカ中央司令部のジョセフ・ヴォテル司令官は、わが国の将校たちが拘束されたことに関して発言したが、彼の発言に対する最も理想的な対応は、アメリカ在住のイスラム学者フェトフラー・ギュレンをトルコに引き渡すことだ」とエルドアン大統領は言いました。

「なによりも、わが国はアメリカの戦略的パートナーである。なぜアメリカはトルコとこの問題を討議しないのか」と、エルドアン大統領は言い、ギュレンのトルコへの送還をくり返し求めました。ヴォルテル司令官は「アメリカと関係のある何人かの将校が反乱を企てたとして拘束されている」と発言して、エルドアン大統領に罵倒されましたが、アメリカ政府はその後、ヴォルテル将軍の発言はまちがっていたと認めました。
 

イスタンブルで758人の兵士と62人の士官学校生が釈放された

15日の未遂クーデターから2週間後、イスタンブル裁判所は士官学校の学生62人と兵士758人の釈放命令を出しました。

 Sabah

イスタンブルの陸軍高校の学生の多くは十代で、現政府を転覆させようという軍内部の反乱グループに巻き込まれていたのです。学生たちは、イスタンブル・アジア側のマルテペ刑務所の門から歩いて出てきて、待っていた親族たちと感動の再会をしました。

イスタンブル裁判所は金曜、学生たちの釈放を命じました。758人の兵士は取り調べ後、検事の推薦で釈放されました。すでに釈放されている容疑者は3500人いますが、231人の兵士はまだ審理中です。

全国で拘束された兵士の中には、単に上官の命令に従っただけで、反乱が起こっていることも知らなかった兵士も大勢いました。当局はそれぞれのケースが精査され、個人が不当に罰せられることのないよう努めているそうです。


エルドアン大統領のホテル襲撃に関与した11人が捕まった

未遂クーデターの夜、エルドアン大統領を捕獲または殺害しようとした襲撃に関与した11人の軍人が、リゾート地マルマリスで捕らえられました。

 Hurriyet

7月31日、憲兵隊がウラ地区シリンキョイ村で、11人を捕らえるための作戦を行い、戦闘の後、拘束しました。31日に拘束された9人の容疑者の中には、逃亡兵の司令官といわれるシュクリュ・セイメン少佐もいたと、ムーラのアミル・チチェキ知事がアナドル通信に語りました。

翌8月1日朝、大統領襲撃に関わった、さらに2人の兵士が捕らえられました。2人はムスタファ・セルダル・オザイとムアムメル・ギョジュビュユクと認定されました。当局はもう1人の兵士が行方不明だと言っています。

7月25日には、他の7人の逃亡兵が捕らえられています。襲撃に関わった分隊20人余の容疑者は、裁判のために拘留されています。彼らはクーデターのとき、大統領を捕獲あるいは殺害するよう命じられていたと思われます。


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未遂クーデターの夜、市民を撃つより自らを撃った軍曹がいた

2016年07月30日 | 国内
7月31日 15日のクーデターの夜、イスタンブルのサビハ・ギョクチェン空港で、市民を撃てという司令官の命令に従うより、自らを撃つことを選んだ軍曹がいました。

 Hurriyet

戦車の中で自害したフェルハト・ダシュ軍曹(25)を救助しようとする人々の姿が、ビデオに撮られていました。軍曹は自害するまえに、「われわれは裏切り者ではない」と叫んだと、29日、ドーアンニュースが報じました。

ダシュ軍曹の兄の義父カヤ・アイドゥンさんは、「フェルハトは軍の演習があると言われて空港に行ったのです」と言いました。「兵士たちは演習だと思って出かけたのに、司令官が彼に、市民たちを撃てと命じたのです。彼が、できないと言うと、司令官に“お前を撃つぞ”と言われた」と、アイドゥンさんはアナドル通信に話し、その瞬間、彼は自殺を決意したのだと言いました。

ビデオはダシュ軍曹が市民たちの手で救急車に運ばれるところを映しています。


クーデターの容疑者たちがギュレンと事件の関連を告白している

15日の未遂クーデター関連で拘留・逮捕された多くの容疑者、軍人、判事、公務員たちが、クーデターにおけるフェトフラー・ギュレンの役割を語っています。クーデターは民主的に選ばれたトルコ政府とエルドアン大統領を転覆させるのが目的だったと、29日のサバー紙は報じています。

Hurriyet

審問中、ギュレニストたちは組織に導入されたいきさつを語っています。いわゆる“憲兵隊のイマーム”の1人ハサン・ベクタシュは、1998年、10年生のとき、運動が経営する私立教育センターのひとつに出席し、導入されたと語り、FETOは最大の犯罪組織だと言いました。ベクタシュは大学在学中、コンヤで、FETOが所有するアパートに住み、その後は組織の学校で教えていたと言いました。

中央アナトリア・シワス県の第5歩兵訓練隊の司令官ファティフ・ジェラレッディン・サーウル准将は、審問で、士官学校在学中にFETOに導入されたと言いました。「1988年から1992年、彼らとコンタクトしていた。しかし、2007年までは、ただのシンパだった」
サーウルはクーデターが成功したら、戒厳令の司令官になることになっていたそうです。


「裏切り者の墓地」の立札は除去された

未遂クーデターで死んだクーデター参加者のために設けられた、イスタンブル・ペンディク地区の墓地から、論議を呼んでいた「裏切り者の墓地」という立札が除去されました。この墓地はイスタンブルのカディル・トプバシュ市長の命令で造られたものです。

 Hurriyet
「裏切り者の墓地」というこの立札はいまは除去されています。


市長は宗教庁のトップ、メフメト・ギョルメズ師と相談した後、29日、立札の除去を命じました。「宗教庁の上級委員会と会談した。ギョルメズ師が、故人の家族が墓地の名に怒ることもあるだろう。立札は除去するのが妥当だと言うので、除去した」とトプバシュ市長は言いました。

市長は、「無名の墓地」には、信仰心のある人も埋葬されているのだから、クーデター参加者を埋葬するにはふさわしくないと主張し、「裏切り者は地獄に落ちるだろう」と言いました。「裏切り者の墓地」をつくることは論議を呼び、「故人がなにをしようが、しかるべく埋葬されることは人間の権利だ」と主張する人たちも、神学者もいました。

「“裏切り者の墓地”はクーデター直後、怒りにかられて早急に決められたものだろう。いつの世にも裏切り者はいる。クーデター参加者はべつの場所に埋葬するだけでよい。そんな墓地をつくるのは、よい考えとは思わない」と、元AKP議員で、いまはマルマラ大学神学部教授のネジプ・タイラン氏は言いました。

國際アムネスティのトルコ調査員アンドリュー・ガードナー氏も、このような動きは“有害で、危険な空気”を生むと警告し、「宗教儀式と適切な埋葬を否定することは、基本的人権の否定になる」と言いました。

25日、最初の遺体が救急車でこの墓地に運ばれたと、現場の作業員が言いました。松の木の下に埋葬された遺体には、祈りのことばも、宗教儀式もなかったそうです。


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「ギュレンはホメイニのようにトルコに帰る計画だった」ボズダー法相

2016年07月29日 | 国内
7月30日 公正発展党(AKP)に未遂クーデターの首謀者として告発されている在米イスラム学者フェトフラー・ギュレンは、反乱が成功したら、アヤトラ・ホメイニがイランに帰ったようにトルコに帰るつもりだったと、ベキル・ボズダー法相が言いました。

 Hurriyet

「彼はホメイニのようにトルコに帰り、司令制度をつくりあげるつもりだった。トルコをまったく違う国にするつもりだった。私はクーデターが成功したトルコなど、想像したくもない」と、ボズダー法相は28日、Daily Hurriyet に語りました。

フェトフラリスト・テロリスト組織(FETO)は、彼らの目標を達成するためにはなんでも正論として受け入れると、ボズダー法相は言いました。「これほどうまく隠されたテロ組織は世界のどこにもない」

「だが、いま、彼らのすべてが明るみに出ようとしている。取り調べはまだ終わっていない。カメラ、電話、デジタル・コミュニケーションの記録、監視カメラ、電話メッセージなど、まだ完全に分析されていない。さらなる取り調べで、もっと多くの資料が出てくるはずだ」と法相は言いました。

調査を行っている政治家や官僚の話では、ギュレニストらは“新しい国家”をつくろうとしていました。前副首相でAKP議員のヤルチン・アクドーアン氏は、「もしクーデターが成功していたら、監禁制度ができただろう」と言いました。「これが古典的クーデターだったら、彼らはわれわれを絞首刑か禁固にしただろう。そして、われわれの子供たちや未来の世代は、そのトルコで生きていくことになる。クーデターが成功していたら、われわれは絞首刑にされるだけでなく、未来の世代まで失ってしまう・・・」

「彼らはすべてを破壊したいのだ。彼らは政府でなく、国家を転覆させ、主導権を握り、監禁制度をつくりたいのだ。それが彼らの期待で、彼らは首相を指名し国会を開くことなど考えていない。彼らの目標は国家制度を廃止することにある」とアクドーアン氏は言いました。


[解雇される外交官は300人を超えるだろう」外相

クーデター後の調査で、大使を含む88人の外交官が解雇されたと、メヴリュト・チャヴスフオール外相は言い、その数は300人を超えるだろうとも言いました。

 Hurriyet

「あの組織と関係のある職員の数は300人以上になる。この中には2人か3人の大使もいる。われわれは外務省内に委員会を設立し、多くの基準に基づいて、個々のケースを調査する」とチャヴシュオール外相は、28日、CNNトルコに語りました。

「われわれはだれに対しても公平でありたい。しかし、同時に、リスクを抱え込むこともできない。きわめて慎重な作業が行われるだろう」と外相は言いました。「カザンの領事館で働いていた職員がクーデターの調査中、日本に逃げた」

情報によると、すでに解雇された2人の大使は、ギュルジャン・バルクとトゥンジャイ・ババルだそうです。バルクは、前外相アフメト・ダヴトオールのチーフ顧問として長いこと働き、カナダ大使も務めていますが、2人の大使級の外交官シェンテュルク・ウズンとアリ・フンドゥクとともに解雇されました。

これらギュレン関係の外交官は、ここ数年間に、人事部のギュレニスト外交官の助力で、入省試験問題をもらされて、省内に浸透してきたと、チャヴシュオール外相は言っています。外相はまた、「これら容疑者の多くは、その地位に必要なスキルに欠けている。とくにじゅうぶんな外国語のスキルに欠けた外交官がいる」と言いました。「私の英語でさえ、彼らの英語よりずっとましだ」

ギュレニストの外務省への浸透は、2007年から2013年に多く起こり、現在、調査されている外交官の人数は300人に及ぶということです。


未遂クーデター関連で、ビジネスマン3人が拘束

7月29日、トルコ当局は、フェトフラー・ギュレン運動関係の取り締まりをビジネス分野にひろげ、3人の大物ビジネスマンを拘束しました。
 Hurriyet

中央アナトリア・カイセリ県の治安部隊は、家族経営のボイダク・ホールディング社のムスタファ・ボイダク社長と2人の幹部を拘束しました。ハジュ・ボイダク前社長にも、イリヤス・ボイダク氏とベキル・ボイダク氏とともに令状が出ています。ビジネスマンたちの拘留は、トルコ国内のギュレン運動の財源の調査のためといわれます。

トルコ政府は、エルドアン大統領の失脚を目的とした未遂クーデターの首謀者として、ギュレンを告発しています。今回の逮捕はビジネス界の最初の大物の逮捕です。取締りはすでに軍、司法、教育、公務に始まり、ギュレンの影響を根こそぎにしようとしています。

ムスタファ・ボイダク社長はカイセリの商工会議所の会頭です。カイセリはエルドアン政権下で成長と繁栄を享受した都市のひとつです。ボイダク・ホールディングは、家具、エネルギー、金融に関わり、有名な「イスティクバル」と「ベローナ」という家具会社を所有しています。


クーデターの7月、トルコ経済の信頼感指数は上昇

7月のトルコ経済の信頼感指数は、前月に比して14.9%上昇し、15日の未遂クーデター後、トルコ経済の信頼感にダメージは見られませんでした。

 Hurriyet

7月18日にトルコ統計局が発表した公式データによると、トルコ経済の信頼感指数は、6月の83.33から、7月は95.73にアップしています。信頼感指数の上昇は、サービス業、小売業、建設業、不動産分野を含めて、すべての信頼感指数の上昇によることを、報告書は示しています。

7月、サービス業の信頼感指数は100.86に増え、小売業の信頼感指数は103.56に、建設業の信頼感指数は2.5%アップして82.95に、不動産分野の信頼感指数は1.9%上がって106.3に上昇しました。


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クーデター、こぼれ話・・・

2016年07月28日 | 国際
7月29日 未遂クーデターの余波がつづく中、クーデターにまつわる“深刻な”あるいは“笑える”エピソードがぞくぞく出てきています。そのいくつかを・・・


戦車の止めかた
グーグルによると、クーデターが始まった直後から「戦車の止めかた」を検索するトルコ人の数が急増したそうです。報道によると、シャンルウルファのケバブ屋の男は、戦車の排気パイプに衣類を詰め込んで、ほんとに戦車を止めてしまいました。トラックを戦車にぶつけた人もいます。

反乱軍が大統領のホテルを探した
エルドアン大統領を殺害するため、リゾート地マルマリスに送りこまれた兵士の一団が、街で地元の人に、大統領が泊まっているホテルはどこか尋ねたそうです。武器を担いだ兵隊たちが「すみませ~ん、大統領のホテルはどこですか?」

ギュレンのジン(精霊)
「ギュレンはどうやって人々を操っているのか」ときかれたアンカラのメリフ・ギョクチェク市長は、「ギュレンはジンを使って人々を奴隷にしているのだ」と答えて、質問者をけむに巻きました。

ギュレンの兵役時代
ジャーナリストのメフメト・バルラスが2000年に出版した本によると、フェトフラー・ギュレンは兵役中、タラト・アイデミルの下で、無線通信員として働いていたそうです。アイデミルは1960年代に2度、クーデターを企てた大佐で、2度目のクーデター後、処刑されました。この興味深い話は、今回のクーデターまで、あまり知られていませんでした。

神秘のドル札
元・親ギュレン、いま親政府のDaily Zaman紙によると、ギュレニストの軍人たちは、ドル札に手紙を書くという奇妙なコミュニケーション手段を使っていました。ギュレンはドル札を“秘密結社”のシンボルとし、お守りの一種として配っていたそうです。コンヤ県で、知らない人が子供たちに封筒に入ったドル札を配ったときには、人々は驚いてパニックになったとか。

トップに直訴しようとした下級将校もいた
司令官の補佐官クラスの中級将校たちが、クーデターの中心的役割を演じていました。軍内のギュレニストについて精通している退役検事アフメト・ゼキ・ウチョク氏によると、下級将校たちは、ギュレニストの中級将校について、トップに警告しようとしていました。実際、下級将校の1人は、参謀総長フルシ・アカル将軍に直接、問題を話そうとしましたが、将軍の補佐官に、ちょっと待てと言われ、1年たちました。補佐官がギュレニストだったのです。

ギュレンの著書にサヨナラ
クーデター以後、全国のごみ箱や川の中や、いたるところにギュレンの著書が捨てられています。ある地方のイマーム(イスラムの指導者)は、ギュレンの本の山を焼いていて、拘束されました。
あの夜、軍服を借りたギュレニストも
ある警察署長はクーデターのとき、戦車の中で捕まりましたが、なんと軍服を着ていました。当局は、多くのギュレニストが同じ戦術を使ったと考えています。当局はクーデターの夜の写真をすべて調べているとも言われます。軍人でないギュレニストたちは、ギュレニストの軍人から軍服を貸してもらったのですが、軍靴までは借りられなかったらしく、写真をよく見ると、軍服を着て、ふつうの靴をはいている人が見つかるそうです。

・・・まだ話はいろいろありますが、このへんで。


「フランス人神父殺害犯は、昨5月、トルコから送還された」と検事

 26日、イスラム国(IS)を名乗って、高齢のフランス人神父ののどを切った襲撃犯の1人は、昨年5月、トルコで拘束され、フランスに送還されていたと、当時、事件を担当した検事が言いました。

 Hurriyet
フランス・ノルマンディのサンテティエンヌ・デュブレで、神父が殺害された教会が閉鎖された後、市庁舎前に設けられた急造の祭壇に花を捧げる人々。


フランスのフランソワ・モリンス検事は、7月26日の記者会見で、アデル・ケルミシュはノルマンディの町で教会を襲うまえから、フランス当局の監視下にあったと言いました。ケルミシュともう1人の身元不明の男は、サンテティエンヌ・デュルブレの歴史ある石造りの教会を襲撃し、ジャック・アメル神父と3人の尼僧、礼拝者たちを人質にとった後、高齢の聖職者ののどを切りました。

彼は教会から2キロもない質素な家で、両親と暮らしていました。彼はテロに関与したとして、夜間外出を禁じられ、電子タグをつけられ、裁判を待つ保釈中の身でした。2015年、彼はシリアに行こうとして家を出ましたが、家族が当局に通報したため、ドイツで逮捕され、フランスに送還されました。6週間後、彼はまた家を出て、昨年5月、トルコで拘束されました。

フランスに送還され、再拘留されたケルミシュは、当局の監視の隙をついて、今度の事件を起こしました。彼の隣人は「私たちは彼がシリアに行きたがっているのを知っていた」と言い、彼は子供時代から問題児で、12歳のとき、“行動に問題”があって退学させられたそうです。

・・・せっかくトルコが捕まえてあげたのに。


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法務省は8月、新しい判事・検事5110人を任命する

2016年07月27日 | 国内
7月28日 フェトフラリスト・テロリスト組織(FETO)に関する司法関係の取締りにつづいて、トルコ法務省は、来月、5110人の判事・検事を新たに任命する計画です。

Hurriyet

司法上の混乱を避けるために、この改革はベキル・ボズダー法相の主導で行われています。5110人の中の700人の判事・検事の候補者は、すでに実習期間を終えています。あとの候補者は、候補期間と関係なく、法務省によって任命されます。これに従って、法務専門学校は、7月28日から30日、候補者のための筆記試験を行います。総計5110人の判事・検事は、面接後、判事・検事最高評議会(HSYK)の承認によって、来月から執務を始めます。

また、法務省は任命する判事・検事候補の数を、1200人から3000人に増やしたと、発表しました。任命の発表は、最新の規制に従って行われ、11月26日、候補者は試験を受けます。総計2220人の判事・検事候補者は、法学部卒業生から選ばれ、他は弁護士からの転職者から選ばれます。

未遂クーデター後、総計2745人の判事・検事が停職になりました。エルドアン大統領は、24日、2101人の判事・検事が対クーデター作戦で拘束されたと発表しました。


「ギュレンはトルコに引き渡されなければならない」CHP党首

最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチダルオール党首も、フェトフラー・ギュレンがクーデターに関与した証拠があるとし、彼の送還をアメリカにくり返し求めています。

 Hurriyet
問題の黒幕ギュレンはこんなオジーサンです。


「フェトフラー・ギュレンはトルコに送還されなければならない。ギュレンはこの大事件の首謀者と見られているが、無罪放免を望むのなら、彼は帰国し、トルコの公正な裁判所に起訴されなければならない」と、クルチダルオール党首は、7月26日、記者団に語りました。

「政府が彼の引き渡しを要求し、大臣を派遣することは肯定できる」と、党首は言いました。15日のクーデターが失敗に終わった後、政府はすでに、ギュレン送還のための4件の書類をアメリカに送っていますが、トルコの民主的に選ばれた政府に対し反乱を企てたギュレンの役割を証明する、さらに新たな証拠も送られるそうです。

ギュレンの引き渡し手続きを話し合うため、メヴリュト・チャヴシュオール外相とベキル・ボズダー法相がアメリカを訪れるでしょう。大臣らは、来週、アメリカの国務長官と司法長官と話し合うと思われます。ギュレン自身はアメリカに、引き渡し要求に“抵抗する”よう要請しているそうです。


アメリカ政府が国民にトルコ旅行を再考するよう勧告

15日の未遂クーデターと3か月の緊急事態宣言後、アメリカ政府は、現時点でのトルコ旅行は再考するよう市民に勧告しました。

 Hurriyet

アンカラの大使館とイスタンブルの領事館の家族が“自由意志で出かけること”は承認するとそうです。26日に、アメリカ大使館が出した旅行警告には「国務省はトルコ全土の治安状況に関して、未遂クーデターと緊急事態の影響を監視している」と書かれています。


「8,651人の軍人がクーデターに参加した」と軍が発表

トルコ軍参謀総長が、7月27日、総計8,651人の軍人が未遂クーデターに参加したと発表し、これは軍職員の1.5%になると言いました。

 Hurriyet

クーデターは軍服を着たテロリストたち、フェトフラー・テロ組織(FETO)によるテロだと、参謀総長は声明で言いました。1,672人は兵卒で、1,214人は軍の学校の学生だったそうです。

ジェット戦闘機24機を含む飛行機35機、ヘリ37機、戦車74台、装甲車246台、船3隻が、クーデターに使用されました。軽銃器3,992丁もクーデターに参加した兵士たちに使われました。軍は国家に対するあらゆる脅威を抹消する力と決意を持っていると、声明文は言っています。

エフカン・アラ内相は、クーデターの調査によって、10,012人の軍人を含む15,846人が拘束されたと言いました。拘束された者の中の8,133人が逮捕されました。


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エルドアン大統領が野党党首らと大統領宮殿で会談

2016年07月26日 | 国内
7月27日 エルドアン大統領、ユルドゥルム首相、最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首、愛国者運動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首が顔をそろえた、めったにない会合が、7月25日、アンカラの大統領宮殿で開かれ、最近の未遂クーデターと、クーデターの計画者に対する対策が議題になりました。

Hurriyet
左からバフチェリMHP党首、クルチュダルオールCHP党首、エルドアン大統領、ユルドゥルム首相。


まず最初にユルドゥルム首相が宮殿に到着し、つづいてクルチュダルオール党首とバフチェリ党首が到着しました。2人がこの巨大な宮殿を訪れるのは、今回が初めてです。大統領府のイブラヒム・カルン報道官が、会合後、声明を出し、同様のクーデターを阻止するための対策が討論されたと言いました。

「会議では、民主主義と法のルールの下に、わが国民の自由と安全と繁栄のためにとられる手段、緊急事態、治安対策、新憲法に関する作業、経済政策が討議された」とカルン報道官は記者団に言いました。

エルドアン大統領の今回の招待に、クルド系政党・人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首は除外されました。政府は、治安部隊とPKKの戦闘が現在もつづいているため、HDPを遠ざけています。会議は3時間つづきました。

エルドアン大統領とクルチュダルオール党首の会談は、両党の政治的結束の可能性のサインと、多くの人に見られています。両者は近年、政治的展望で分裂し、激しい応酬をくり返してきました。クルチュダルオール氏は、2014年に建てられ、論議の的となった大統領宮殿を訪れることを拒否し、国家治安の危機に際してのみ、大統領宮殿を訪問すると確言していました。

大統領オフィスの情報源によると、エルドアン大統領は、会合前に、クーデターに対するスタンスを固めるために2党首を招待し、国内のフェトフラー・ギュレンの信奉者たちに対する対策について意見を聴くと言ったそうです。

この会合の前日、CHPが組織して、イスタンブルの中心で行われたクーデター反対のデモに、AKPを含む数党のメンバーや代表が参加するという珍事が起こりました。「共和・民主行進」と名づけられたデモでは、クルチュダルオール党首が“タクシム宣言”を発表し、クーデターはトルコの議会制民主主義を攻撃したと言いました。

「トルコの国会が爆撃されたが、国会はクーデターを撃退し、その勤めを果たした。われわれは国内外にいる犯人たちと、その支持者たちを非難する」とCHP党首は言いました。「政治の正常化のために、有意義な会合だった」と、会合後、CHP情報源は言いました。


司法のトップに新メンバー342人が任命された

7月25日、国会の臨時会議後、トルコの判事・検事最高評議会〈HSYK〉が、国家評議会と最高裁判所の新メンバー342人を任命しました。評議会の17人のメンバーが、7月25日、午前9時半、ベキル・ボズダー法相を議長とする会議に集まりました。その2日前には、エルドアン大統領が、トルコの国法評議会の修正を含む議案を承認していました。

 Hurriyet

匿名投票の結果、342人の新メンバーが、最高裁判所と国家評議会に任命されたと、HSYKのウエブサイトに発表されました。最高裁判所には267人の新メンバーが任命され、国家評議会には25人の新メンバーが任命されました。

7月15日、全国を震撼させた未遂クーデターが終わって数時間後に、HSYKは、司法・行政の判事と検事2742人を、在米のイスラム学者フェトフラー・ギュレンとの関連容疑で、停職にしました。また、HSYKの総会は、22人の判事・検事の中で、アンカラの主任検察官から拘留を求められている5人をメンバーから除外することに決め、また、何人かの判事・検事の休暇を短縮しました。


クーデターの調査で、将軍2人がドバイで拘束された

アフガニスタンで勤務していた2人の高級軍人が、対フェトフラリスト・テロリスト組織(FETO)作戦の一環として、7月26日、ドバイ空港で拘束されました。

 Hurriyet

トルコ軍司令官ジャヒト・バクル少将と、カブール訓練・支援・勧告司令官ジェネル・トプチュ准将が、トルコ外務省と国家情報局(MIT)とエミラティ当局の作戦の結果、ドバイで拘束されました。



前イスタンブル知事がクーデターの調査で拘束された

前イスタンブル知事ヒュセイン・アヴニ・ムトゥル氏が、15日のクーデターの調査の一環として26日、拘束されました。

 Hurriyet

警察はムトゥル前知事の家の捜索を行いました。ムトゥル氏は2013年のゲジ・プロテストのとき、イスタンブルの知事でした。クーデター以来、246人の地方行政の長が停職になっていますが、ムトゥル前知事もその1人になりました。15日のクーデター以後、内務省は8777人の公務員を停職にしています。


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エルドアン大統領のホテルを襲撃した軍人7人がマルマリスで捕まった

2016年07月25日 | 国内
7月26日 15日の未遂クーデターで、エルドアン大統領が泊まっていたエーゲ海岸マルマリスのホテルを襲撃した軍人7人が、25日、捜索作戦中に捕まりました。

 Hurriyet

警察は7人の男が車を止めようとしているという通報を得て、ギョクチェテペで3人の軍人を拘束しました。3人は戦闘捜索・救助チームのタネル・ベルベル少将と、下士官イリヤス・ヤシャルとギョクハン・ギュチリュと認定されました。

この作戦で、さらに4人の軍人が捕まり、この日捕まった軍人は7人になりました。15日、ホテルを襲撃した17部隊を捕らえるために、精鋭兵士と警官による作戦はまだつづいています。エルドアン大統領はク-デターの知らせを受け、直前にホテルを出てイスタンブルへ発ちました。捜索チームはこの地域の出入り口で、車をすべて調べ、身元チェックを行って、逃走中の軍人たちを探しています。

憲兵隊チームは、逃走兵らが持っていた歩兵ライフル、銃、手榴弾など多くの軍用品を発見しました。大統領は攻撃直前にホテルを出ましたが、2人の警官が戦闘で死亡しました。17人の軍人が、クーデターの攻撃後、行方不明になっています。クーデターはアメリカ在住のイスラム学者フェトフラー・ギュレンの信奉者たちが組織したと言われています。


政府はギュレン関連の会社を閉鎖する

 「政府は、アメリカ在住のイスラム学者フェトフラー・ギュレンの支持者が関係する会社すべてを調査し、閉鎖するだろう。ギュレンは政府転覆を計画し、7月15日のクーデターの背後にいたとして告発されている」と、24日、ビュレント・テュフェンクジ関税・貿易相が言いました。

 Hurriyet

「フェトフラリスト・テロ組織(FETO)のスポンサーとして財源を提供していた会社を、しらみつぶしに確認していく。会社に調査が入り、閉鎖されるか、必要な処置がとられる」とテュフェンクジ関税・貿易相は言いました。未遂クーデターにつづいて、全国のギュレン関連の2000の施設が閉鎖された後、彼はこの発言ををしました。

7月23日発行の官報によると、35の保健施設と組織、1043の私立校と教育組織、学寮、ホステルが、ギュレン関連として閉鎖されます。総計1229の事業団体と協会、19の組合、連盟、連合、15の団体の学校が閉鎖されます。この処置は、全国的な非常事態下で行われます。

テュフェンクジ関税・貿易相は、国家組織が迅速かつ効果的に決定を下すと明言しました。「人々はいまも街頭に出ている。貿易はいまもつづいている。われわれは経済的な制約なしに、迅速に必要な決定をするために、この決定を下す」と関税・貿易相は言いました。


「私はクーデター参加者に血を流すなと言った」人質になった参謀総長

15日の未遂クーデターで人質になっていたフルシ・アカル参謀総長は、クーデターの参加者たちに血を流さないよう説得に努めたと語りました。

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「私はクーデターの参加者たちに血を流さないよう説得に努めたが、成功しなかった」と、参謀総長アカル将軍は、未遂クーデター調査で証言し、クーデター計画の主要人物であるメフメト・ディシュリ少将は“みな捕らえる”と言ったとも言いました。

「ディシュリは私に、“作戦はすでに始まっている。大隊も旅団も出動している。後戻りはできない”と言いました。私は最初、その意味が分からなかったが、やがて、これはいわゆる“反乱”という作戦なのだと理解しました。私は怒って言いました。“なんという忌まわしいことを言っているのだ? なにが作戦だ? 気が狂ったか? やめろ”・・・私はこんな連中とはなんの関係もない」とアカル将軍は言いました。

クーデターの夜、アカル将軍と他の司令官たちは、彼らの秘書官や補佐官や警備官らによって人質になりました。「私は彼らに“君たちは進路を誤った。君たちは泥沼に入ってしまった。君たちは刑に服することになるだろう”と言いました。私は彼らに、“男らしく、他人に巻き込まれず、こんなことはやめなさい”と言った」とアカル将軍は言いました。

アカル将軍はまた、「ハカン・エヴリム准将は私に、フェトフラー・ギュレンと話しをさせようとした」と証言しました。公正発展党(AKP)政府は、アメリカ在住のイスラム学者である彼が、クーデターの背後にいたと考えています。アカル将軍はこの証言で、15日の夜、マルマリスから帰ったエルドアン大統領がイスタンブル空港で行ったスピーチに触れ、あのスピーチがクーデター参加者たちに希望を失わせたと言いました。

「私は彼らに“これは戦争より悪い。投降しろ”と言いました。彼らは時がたつにつれ、士気を失ってきました」とアカル将軍は付言しました。「私は彼らに“人をだますのは止めろ”と言いました。彼らは“わかった、司令官。われわれは断念する”と言いました。彼らはまた、私に“大統領にでも首相にでも話してください”と言いました。そしてクーデターは未遂に終わりました」


「治安強化のため軍は警察との協力をつづける」参謀総長

トルコ軍(TSK)は警察との協力をつづけると、参謀総長フルシ・アカル将軍は言いました。

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アンカラの警察本部を訪れたアカル将軍


「警察と兵隊は兄弟であり、結束している。治安と治安の構築は結びついていて、区別することはできない」と、アカル将軍は、7月24日、アンカラの警察本部を訪れ、警官のグループに語りました。警察本部は15日、クーデターの兵士の攻撃を受けています。

アカル将軍はまた、クーデターの兵士の砲撃で警官50人が死亡したアンカラのギョルバシュ特別作戦部を訪ねました。「兵隊と警官は協力しつづけるだろう。われわれは警官も兵士も愛している。トルコ共和国は確固として立ち、トルコ軍は司令の鎖で結ばれている。トルコ軍は今回の事件のような恥ずべき行為に参加した人々を、トルコ陸軍のメンバーとは認めない。彼らは蛇蝎であり、軍服を着たテロリストだ」と、将軍は警官たちに語りました。

「われわれの友人である警官たちは、東で西で、敢然と弾丸に向かっていく」と、アカル将軍は、クルド労働者党(PKK)と戦う警官たちを讃えました。また、将軍は7月24日、国会を訪れ、エルドアン大統領と会談したと思われます。


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CHP党首が政府に“魔女狩り”にならないよう勧告

2016年07月24日 | 国内
7月25日 最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首が、政府に、未遂クーデター後の調査が“魔女狩り”にならないよう勧告し、民主主義の規範と法のルールを尊重するよう呼びかけました。

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「法の悪用はクーデターという発想を助長するだけだ。法的手続きは慎重であらねばならない。わが党は、クーデター関連で起訴されるすべての人が民主主義と法のルールに従って裁かれることを望む。わが党は魔女狩りは望まない」と、CHPのクルチュダルオール党首は22日、民放NTVのインタビューで語りました。

「わが国は法治国である。ときに民主主義に逆行したこともあったが、トルコはつねに民主主義に向かっている」とCHP党首は言いました。

1万人以上がクーデター関連で拘束され、5万人以上の公務員が、いかがわしいイスラム学者フェトフラー・ギュレンの運動に関係している容疑で解雇されました。反逆罪に対して死刑を復活させるか否かの議論が起こっていますが、CHP党首はその制止を唱えました。

「政府は群集心理に影響されるべきではない。国を治める人々は常識を堅持すべきだ。巷の声だけを基盤に国を治めたら、カオスになってしまう」とクルチュダルオール党首は言いました。彼はまた、司法、その他、国家組織内の重要な地位にいたギュレンの同調者たちに与えられた特権について警告しました。

「政府が160人の人々を最高裁に任命したとき、私は反対したが、批判を受けた。いま、私は正しかったと証明された。だれがこれらの人々を任命したのか問いたい」とCHP党首は言いました。


「ギュレンは人々を奴隷にするためにジン(精霊)を使う」アンカラ市長

アンカラのメリフ・ギョクチェク市長は、アメリカ在住のイスラム学者フェトフラー・ギュレンは、人々を“奴隷にする”ためにジン(精霊)を使っていると言いました。現政権・公正発展党はクーデターの背後にフェトフラリスト・テロ組織(FETO)がいると言っています。

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ギョクチェク市長は民放CNNトルコのTV番組で、司会者に「フェトフラー・ギュレンは、どうやってこんなに多くの人々を管理できるのか?」と尋ねられ、「ギュレンはジン(精霊)を使っている」と答えました。「そんなバカなと、お思いでしょうが、彼は変わった方法を使っています。ジンを使って人々をコントロールし奴隷にしているのです」

「ご存じのように、昔は多くの人々が奴隷にされ、やがて救われました。彼はそういう能力を持っているのです。人々は催眠術をかけられ、奴隷にされたのです」とアンカラ市長は言いました。

・・・トルコ社会では、いまでもジン(cin)ということばが出てきます。精霊、妖精、妖怪・・・。イスラム以前からアラブ人社会にあった民間信仰のようなものです。たとえば、赤ちゃんが泣きやまないと、ジンが泣かせているとか、理由なく悪いことが起こると、ジンのせいだとか。ギョクチェク市長はギュレンは催眠術をかけるように人を操る能力を持っていると言いたかったのでしょう。


「警察情報部内にクーデターのブレーン・チームがいた」内相

「7月15日のクーデター前に、警察情報部から通報があった。クーデターの参加者がこの組織内にはびこっていた」と、エフカン・アラ内相が言いました。

 Hurriyet

「警察情報部から通報がありました。情報部の中にブレーン・チームができていたのです。通報は兵隊から受けました。警察も情報を得ていたはずです。MIT(国家情報局)がクーデターが始まる5時間前に情報を受け取っていたから、ゲームは失敗したのです。われわれは憲兵隊の情報部を変えたのですが、内部まで変えられなかった。憲兵隊情報部からは通報はなにも受けていません」と、アラ内相はジャーナリストとのグループに語りました。


クーデターの夜、プロテストに参加して撃たれたシリア難民の若者

15日のクーデターで、反乱兵に撃たれたシリア難民の若者がいました。オメル・ハリド・デルヴィセさん(21)はいまも昏睡状態だと、22日、彼の兄がアナドル通信に語りました。

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「私の弟は15日の夜、クーデターの兵隊に撃たれて重傷を負い、まだ昏睡状態です」ハッサン・ハリド・デルヴィセさんは言いました。彼らはエルドアン大統領の呼びかけに応えて街へ出たそうです。

「クーデターが起こったというニュースを聞きました。大統領がテレビで街に出て抗議するよう呼びかけました。これはトルコ人だけの問題ではありません。自由と正義と人間性の問題です。私たちは呼びかけに答えることにしました。私たちはこの国に恩があります」とハリド・デルヴィセさんは言いました。

シリア人の兄弟はプロテスターを支援するために、ファティフ区の市庁舎に向かいました。抗議者たちは軍の車を止め、兵隊たちの攻撃を阻止しようとしていました。「私たちが市庁舎に着いたときには、兵士の一団が市庁舎を取り囲んでいました。突然、兵士たちが群衆に発砲しはじめました。弟のオメルは弾丸で唇を切られました。血は出ていましたが、重傷ではありません。私たちは友人たちと負傷者を安全な場所に運びました」トハリド・デルヴィセさん。

「怪我人を運んだ弟たちが、前線に帰ってきました。特殊作戦警察がビルに到着しました。私たちは群衆といっしょに歩きました。最後の発砲は私たちのすぐそばでした。私は弟と離れないようにしていましたが、突然、兵士たちが私たちに発砲してきました。群衆が散って、私は弟や友人を見失いました」

ハリド・デルヴィセさんは弟に電話しましたが、応答はありません。友人たちが弟は撃たれ、病院に運ばれたと言いました。「私たちは病院に走りました。彼は集中治療室にいました。弟は逃げているとき、後ろから撃たれたのです。彼はまだ重態です・・・」


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ミュンヘンの銃乱射の犠牲者の中に3人のトルコ人もいた

2016年07月24日 | 国際
7月24日 18歳のイラン・ドイツの二重国籍の男が、7月22日、ミュンヘンのショッピングモールの近くで、1人で銃を乱射し、少なくとも9人を殺した事件は、日本でもすぐに報道されましたが、犠牲者の中の3人はトルコ人でした。西欧の市民が襲撃されたのは、この8日間で3度目です。

 Hurriyet
襲撃の翌日、オリンピア・ショッピング・センターの近くの急造の祭壇に、花を捧げる人々


モールで銃撃された死者の中に3人のトルコ人がいたと、23日、メヴリュト・チャヴシュオール外相が発表しました。フベルタス・アンドラエ警察署長は、容疑者の男はオリンピア・ショッピング・センターの近くで死んでいたと言いました。この事件がテロリストによるものか否かまだわからないと当局は言っています。

襲撃は1人の犯行で、男はファーストフード・レストランで銃撃してから、ショッピングモールへ移動しました。動機の解明のほか、男が襲撃に使った銃の入手経路も調べなければなりません。アメリカの国会図書館の記述に寄れば、ドイツの銃管理システムは“ヨーロッパで最も厳しい”ということです。
 

「クーデターを覆したエルドアン大統領を大いに賞賛する」とトラムプ氏

 アメリカ共和党大統領候補ドナルド・トラムプ氏は、トルコの未遂クーデターに関して発言し、状況を変えることができたエルドアン大統領を“大いに”賞賛すると言いました。

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「クーデターは成功しなかった。この事実から、私はクーデターを覆すことができた彼を大いに賞賛する」と、トラムプ氏は、7月20日の共和党全国大会で、ニューヨーク・タイムスに語り、街頭に出て、クーデターに反対した国民を讃えました。

「あれは仕組まれたことだという人もいるが、私はそうは思わない。すばらしいのは市民が勝ったことだ。人々は軍に味方しなかった。公正発展党政府の態度が印象的だった」と、トラムプ氏は言いました。「人々が街に出た。天安門広場では軍が民衆をひき殺したが、トルコでは軍が人々を駆逐することなく、事件は終わった。人々は軍の行動に反対した」

インタビューで、トラムプ氏はイスラム国(IS)との戦いについても語り、「トルコはジハーディスト・グループに対して、多くのことができる」と言いました。「トルコはISに対して多くのことができると、私は言いたい。私がトルコと組んだら、トルコはISに対してもっと力を発揮するだろう」

また、トラムプ氏は「私はクルド人のファンだ」と言い、「トルコとクルド人が連帯するのが理想だ」とも言いました。「われわれはクルド人と連帯できるのが理想だ。それは可能だろう。私はクルド軍の大ファンだ。同時に、トルコとも非常によい関係になることもできるだろう。われわれが両方と連帯できたら、すばらしいと思う」

・・・エルドアン大統領、トラムプさんに褒められてもねえ。それに、トラムプさん、PKKについて、よくわかっていないみたい。


「ギュレンはビン・ラーデンより危険だ」トルコEU相

7月15日の流血のクーデターの背後の主要な容疑者で、アメリカ在住のイスラム学者フェトフラー・ギュレンは、アルカイーダの指導者だったオサマ・ビン・ラーデンより危険だと、トルコのEU相は言い、騒乱中、トルコを支援しなかったEUを批判しました。

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「テロリストの首脳フェトフラー・ギュレンはオサマ・ビン・ラーデンより危険だ」と、7月23日、トルコのオメル・チェリキEU相が記者会見で言いました。EU相はまた、クーデターから1週間たっても、EUの代表がトルコを訪れないことに驚いていると言いました。「われわれはEU,欧州議会、欧州協議会の代表がトルコを訪れ、トルコと共有する共通の価値観によって支持を表明することを期待していた」

しかし、チェリキEU相は、トルコへの支持のメッセージに対して、すべての同盟国に謝意も述べました。
「危険に対する価値観は、われわれみな共通のものです」と彼は言い、「わが国は自国の民主主義を守れるだけの力を持っている」と付言しました。

チェリキEU相はまた、現在の緊急事態の目的は「民主主義を守り、法治国家を守り、市民の権利と自由を守り、わが国の平和を守る」ことにあると言いました。


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大群衆がボスフォラス橋に集まってクーデターに抗議

2016年07月22日 | 国内
7月23日 7月21日夜10時頃、イスタンブルのボスフォラス橋に大群衆が集まり、「われわれはすべてが始まった場所にいる」をモットーに、クーデターに抗議しました。橋は群衆のために、交通止めになったようです。

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トルコ国会は非常事態議案を承認した

政府が3か月間の非常事態を宣言した翌21日、トルコ国会は非常事態を導入する議案を承認しました。賛成346人、反対115人。

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クーデターの夜、大統領とともにホテルにいたAKP議員は語る

 未遂クーデターの夜、エルドアン大統領といっしょに、ムーラ県マルマリスのホテルにいた公正発展党(AKP)の議員が、襲撃の夜の話をし、大統領は反乱軍が到着する45分前にホテルを出たと言いました。

 Hurriyet

AKPのムーラ選出のニハト・オズテュルク議員は、「われわれは午前12時15分から12時30分の間にホテルを出た」と言いました。「大統領はマルマリスをヘリで発って、ダラマン(同じムーラ県)に着陸しました。しかし、ダラマンの海軍基地には1機のエアバスがとまっていて、クーデター軍がそこにいたので、ライトを消して着陸しました。その後、大統領の飛行機はライトを消して離陸し、同様にイスタンブルに着陸しました」と、オズテュルク議員は国営アナドル通信に語りました。

「クーデター軍の兵たちがオクルク湾のそばで、しばらく待機していたので、大統領が飛び立つための時間が稼げました」と、彼は言いました。オズテュルク議員は、その夜、不穏な状況が起こっていると知って、午後9時45分頃、エルドアン大統領のホテルへ行きました。大統領は市民に、街頭に出て、クーデターに抵抗するよう要請しました。

インタビュー中、オズテュルク議員は、「大統領のホテルからギリシャのロードス島へは15分で行かれますが、大統領は身の安全のためにロードスへ行くことなど考えもしなかった。このようなリーダーと、ともに政治を行えることを、私は誇りに思う」と述懐しました。


クーデター軍の狙撃兵がボスフォラス橋の塔上で射殺された

7月15日、未遂クーデターの夜、反乱軍の狙撃兵が、イスタンブルのボスフォラス橋のアジア側の塔によじ登り、市民をターゲットにして、橋上の兵士たちに立ち向かいました。

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情報源によると、狙撃兵は塔の上から数人の市民を撃ち、その後、警官に射殺されました。彼の遺体はその後、橋上で発見されました。

また、橋の下の通路で、警官たちが反乱軍を追っているとき、多くの警官が反乱軍の標的にされました。


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